2025/5/30  VHS出演の時期追記

2024/5/25  2ndファンクラブ追記

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この令和の時代に、90年代のアイドル『井上麻美』に”再び”ハマってしまった…。現代のネットの力を駆使してファンを辞めた後の活動やら当時の様子を検索してみたので、自分なりに概略を整理してみる。ファンになった経緯や辞めた理由も記載しておきます。

ちなみに、私は麻美さんより一歳下です。

書いていて、よく30年前の事をこんだけ覚えてたな、よっぽど好きだったんだなって思いました。

 何故再びハマったのかは自分でもよく分からないが、今の自分だから許容出来た処と懐かしさに他ならない気がする。麻美さんの歌を聴くと、今の中年オヤジではなく当時の自分に戻った気分になり、あの頃に戻りたい気持ちが湧いて来る。


◾️ファンに至るまで

当時(中学3年の終わり頃と思われる)永井真理子や岸谷五朗がTBSラジオで番組を持っており、永井のファンだった自分はラジオをよく聴いていた関係で、不意にラジオを付ける習慣が身についていたのかもしれない。

そんな折、女の子がTVゲーム関係の情報を取り上げている珍しい番組をたまたま聴いた時があった。

それが、麻美さんがパーソナリティをやっていた”マミカル・ミステリーアワー”(1991年10月13日開始?TBSは金曜21時〜)だった。

ただし、その一回だけなのか何回か聴いたのかは覚えていないが最終回っぽい会話で番組内のミニドラマで際どいセリフを言わされたとか言ってたのは覚えている。

その後(どれくらい後かは不明),月刊少年マガジンの懸賞ページを見ていたら麻美さんのテレカ(ネットで画像見てたら、たぶんサヨナラは君の空にの物)があり、そこで初めて顔を知り、可愛かったので興味を持つようになった。そこの誌面にたぶん出演情報が書いてあって、日テレの番組”IDOLアイドル”に出ている事を知ったとおもう。そして実際にそのTVを見始めてから、本格的なファンになったと記憶している。ただ、第一印象は雑誌とだいぶ感じが違うなというのはあった。。

高校に入学し、隣の席の男子の名前が井上だったので、おお!と思ったのを覚えてる。だから高校入学時(1992年)からファンだったと思うのだが。。

 

◾️ファンを辞めるまで

ただ、私は元々”アイドル”というジャンルが苦手だった。ぶりっ子したり、際どい写真集を平気でだしたり、何でもやるような偏見イメージを持っていたからだ。その頃はまだ、各種オタク文化も認知されてないしね。

ファンクラブの会報に質問コーナーがあり、そこに”アイドルと呼ばれる事をどう思いますか?”という投稿をし、採用された事もある程に。。

そんな気持ちを持ちながらもファンを一年くらい続けてたろうか、いよいよ最初の写真集が発売された。

そう、”聖域(1993年6月)”だ。書店に予約して、半券に書店印かなにかを押してもらったのを送ると、自分の名前を本人に書いて貰えるという特典があった。

田舎の高校生が写真集を買うのって、それはそれは勇気がいる事だった。アイドル誌のBOMB!でさえ、エロ本を買うのと同等の勇気が必要だったのに。ただ、純粋に田舎では予約しないと買えないという問題もあったが…

そしてその写真集を買って見た時、見てるこっちが赤面するほど自分にとっては際どい写真が掲載されていた。そんな写真は撮らないで欲しいと思うようなものが。

そこで、やっぱりアイドルってこうなんだなという、裏切られた感を感じてしまった。正直、涙した。

今思えば、彼女も居ないような年頃特有の単なる’あおくささ’だったと思う。よく言えば純粋。

そして、そこでファンを辞めた。その時に身の回りにあったCDや会報や雑誌などもまるっと捨ててしまった。こうして、高校一年から約1年2ヶ月程のアイドルファン時代が終わった。以降、名前は度々思い出すものの、この年齢まで30年程度、井上麻美に触れる事はなかった。

 

 ◾️活動抜粋と考察 

 (間違いあったらすみません)

▼1991年 16歳(高1)

 事務所:メリーゴーランド

 8/25  single 青春はちっぽけな僕たち

   11/21  single 君が痛みと呼ぶもの

▼1992年 17歳(高2)

   3/1  single サヨナラは君の空に

   3/25  albam 世界中のステキ信じてる

   7/25  single いつも ありがとう

   11/21  single 恋人になりたいな

   12/25  ゲーム:この星にたったひとりのキミ

▼1993年 18歳(高3)

   1/25   albam たったひとつの贈り物

   5/5 ファースト・バースデー・コンサート

     東京・神田パンセホール

 6月 写真集:聖域

   ※ アルテミスプロモーション設立(11月)

      ↑どのタイミングで移籍したのかは不明

 11月 写真集:TRADE WIND

    12/20  VHS  はじらい   ※YouTubeにあり

     メリーゴーランドの記載あり

▼1994年 19歳

    5/21  CD うじゃうじゃパラダイス

       ※フリマ等で僅の出品あり

    7/1  移籍後のファンクラブ”Cheerful-Cat“結成

    8/1  写真集:微・少女

 11月 車の免許取得?

 12/2 ゲーム:ぷよぷよ通(?版) wikiより

▼1995年 20歳

 1/15  ぷよマスターズ司会

    3/1  CD-ROM ふれてみて  ※YouTubeで歌唱あり

    7/14  VHS  特攻!ヤンママ仁義(アマプラでみれそう)

    夏 三浦海岸イベント ※YouTubeあり

 10/27  ゲーム:ぷよぷよ通(SS版)

 11月 写真集:Mutation

▼1996年 21歳 

     6月 トゥルースカンパニー移籍

     7/26  VHS  悪玉志願

     CL!K結成(期間限定?)

     8/30 ゲーム:湾岸デッドヒート+リアルアレンジ

              ※YouTubeで動画有り

▼1997年 22歳 

 4/21 マキシsingle「勇気をください」CL!K

     ※ニコニコ動画に音源あり

▼1998年 23歳 

      CLICK(改名)解散

▼1999年 24歳 か 2000年 25歳 引退


<引退後の活動>

・2003年 28歳 スタジオキューブ所属中

 寺門仁美写真集『まんぼう。』 デザイン

  @たかみゆきひさ氏のXより


・2011年 36歳 退社済み?

 ぷよぷよ通のアルルの声はアイドル井上麻美で長年弊社でデザイナーとして働いておりました

  @たかみゆきひさ氏のXより

   →長年という事は5-10年くらい在籍か。


・2013年 38歳 

 今年もいのまみから幸せそうな年賀状が届いて安心家族 

  @たかみゆきひさ氏のXより

   →結婚し、お子さんもいそうな文面にみえる。


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今回、ネット検索していたら同時期に活動していたアイドルさんが継続して活動していたり、または活動再会されてる方も見かけました。

今現在の麻美さんを見たいかと言われると、正直わかりませんが、SNSとかだけでもやってくれたらいいなとは思っています。そんな日は来るのか…

もう引退してるし、当時はスマホとかは無く動画に残す手段は限られていたので、今後新しい動画とかは出てこないと思うのが寂しいですね。

 

そんなこんなで、明日は麻美さんの誕生日。

少し早いけど、おめでとう御座います!


乱筆乱文ご容赦ください。

 このジャケ写は好きじゃないけど、収録曲は2ndアルバムより秀逸。これはフリマサイトで直近で購入し直したもの。(フリマ初めて利用した、、)

 

 ネットで見つけたファンクラブ会報の表紙画像。

季刊発行だったのね。その間はハガキか何か来てたのかな…。この写真はめちゃ好きだな。。

 

 


当時のFUNHOUSEのチラシ