子供の頃、祖母の葬式に参加した。何をしているのかわからなかった。お通夜で食べたお刺身は美味しかった。
これは葬式を費用やエネルギー的に贅沢品であるとし、無用論を主張している一冊だ。
先ず日本の葬式は他国と比べ高すぎると著者は述べる。少し安くなったとはいえ100万円以上かかる国は珍しい。これは宗教の違いがあるからか。否、他の仏教国の葬式代もそこまで高くはない。むしろ仏教の教えに則れば高額になるわけないのだ。
仏教とは世の無常を知り、悟ることではないか。釈迦は死後極楽浄土へ行くために修行していたのか。五戒を守っていない僧侶に戒名を授ける力があるのか。日本の葬式は外見だけ立派なビジネスであり、だから見直しを求める著者の言い分は間違っていないのだろう。
そもそも葬式がビジネスに成り下がったのは、私たちが仏教をありがたがらないからだ。寄付がないから葬式で稼ぐしかないのだ。これは悲しいことだと思う。私は死後の世界も霊も信じていないが、無常を感じて生きることは豊かだと思っている。だから仏教の今の形を残念に思う。僧侶はもっと修行や布教に真摯になるべきで、それで金銭的に困るのなら政教分離の方を疑ってもいいのだろう。
ちなみに私は自分の死の際には葬式をあげなくてもいいと伝える。墓も要らない。火葬の際にみんなの好きな曲を流し、好きな料理を並べ、わいわい楽しく談笑してくれればそれで満足だ。骨を持って帰りたい人がいるなら家に飾ったりペンダントに加工すればいいし、残りは畑にでも撒いてくれればいい。あなたはどうするか。
葬式を否定しているのではなく、一考の余地があることを訴える本です
「葬式は、要らない」著:島田裕巳