「お前が負けたんじゃない、俺が勝ったんだ」

   実に横暴な発言に聞こえるが、これには深い訳がある。いや深いは少々言い過ぎなのでそれなりの訳にしておこう。

   あなたはゲームで負けた時「うわ〜負けた〜最悪〜」と思うであろう。これは大間違いなのである。相手が勝ったから自分が負けになっただけで、自分が負けたわけではなく相手が勝っただけなのである。ここで悲劇のヒロインぶるのはおかしい、みんな平等に負ける可能性はあったのである。そう考えるとみんな負けからのスタートと考えてもいい。この負けスタートから「勝ち」という一個上の段階までどう持ってくかを考える。そして一個上の段階に状態を持っていくことで初めて勝ったということになるのである。

   ここまで読み進めて「何をいってるんだ?」そう思っている人の方が多いと思う。一言だけ言わせてほしい。その見解は大正解である。何を言ってるのか自分でもわかっていない。しかし何事も気持ちの持ちようなのだということを私は言いたい。
   勝ち負けのあるゲームを行う上で、負けからのスタートだと考えれば少しポジティブな気持ちにならないだろうか?勝ったらとても嬉しいし、一方で負けても「あ、でも負けスタートだもんな」となる。ゲームに限らず何か無謀なチャレンジでもいい。できる、できないで分けた時に、人はできないからスタートしている。ここでもしチャレンジをして、できなくても「できなかった、自分はダメなんだ」そうなる必要はない、誰しもできないスタートなのである。「できる」という一個上の段階の状態に持ってくことが重要なのである。

   そんな事をつらつらと書いてきたがここまでのクソ論を最後まで読めた人間は負けである。いや、お前が負けたんじゃない、俺が勝ったんだ。そういうことなのである。