5/18日水曜日PM1時

 

 

 

最愛の母をこの腕の中で見送りました。

 

壮絶な闘いに

 

ただの1度も痛いとも苦しいとも弱音を吐かず

 

その想いを一人背負ったまま

 

最後の最後の1しぼりまで頑張って

 

呼吸し続けた母でした。

 

物が食べれなくなって2ヶ月間、

 

どんなに辛くても自分で歩きトイレに行った母

 

夜中に苦しくなり吐いても尚

 

看護師さんを呼ばず、自分で処理しようと

 

頑張った母

 

朝一病院に行き、自宅に戻りえるのあのお散歩して

 

会社で仕事、

 

仕事が終わって、夕方またえるのあとお散歩して

 

また病院へ、、

 

 

そんな私にいつも

 

「あんたは忙しいんだから

お母さんはいいから、帰ってお願い!」

 

本当は、痛くて苦しくて不安で仕方なかったのに

 

迷惑かけまいと頑張った母・・・

 

 

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亡くなる日、血圧が50まで下がり

 

手で脈も取れなくなり

 

手足の先がどんどん亡くなった人の様に

 

冷たくなっても

 

呼吸を止めなかった母・・・

 

 

 

 

一番苦しかったのは亡くなる前日、17日火曜日の夜でした。

 

瞳孔は開き、息も出来ずに

 

口が大きく大きく空いたまま

 

肺炎で高熱が続き、下血もしていました。

 

 

その日は、

 

私のセミナー講師のお仕事が有った日・・・

 

そして兄も九州で大事なレセプションが有った日でした。

 

 

私も兄も仕事に向かいました。

 

私は笑顔で愛犬家住宅セミナーを無事に終え

 

兄も無事にレセプションを成功させました。

 

 

そんな時母は意識の無い状態でも

 

私達兄妹に、迷惑をかけまいと

 

懸命に懸命に闘い

 

苦しみ抜いていました。

 

 

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15日から私はパパにえるのあを任せて

 

病院に寝泊まりして

 

意識のない中苦しむ母と一緒に過ごしました。

 

 

入院当初から「痛いかい?苦しいかい?」

 

いつ聞いても本音を言わなかった母が

 

唯一言ったのが

 

「こんな苦しい想いは誰にもさせたくない・・」という言葉でした

 

 

 

 

月曜、火曜と会社にお休みを貰った私でしたが

 

18日亡くなる日

 

私は病院から真っ直ぐ会社に向かいました

 

私がずっと傍に居たら、きっと母は

 

こんなに苦しくても逝けないのだろうと思いました。

 

私が仕事に行かないと逝けないのだろうと・・・

 

 

午前10時半

 

担当の看護師さんから

 

「すぐ来れますか?」との連絡

 

「お願いだから一人で逝かないで!!」

 

そう車の中で叫び号泣しながら病院へ向かうと

 

母は待っててくれました・・・

 

頭を撫で、抱きしめて

 

「お母ちゃん、頑張ったね!

 

本当に頑張った!

 

立派だったね!

 

苦労して育ててくれて

 

美味しいご飯をいつも食べさせてくれて

 

ありがとうね!

 

本当にありがとう!

 

もう自分の好きな様にしていいんだよ

 

よく頑張ったね!

 

ありがとう、ありがとう・・・」

 

 

母はスッゥーと息を引き取りました。

 

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初めて手術をした3年前のあの日から・・

 

言葉を選び、本人はもちろん

 

家族の心情まで気遣ってくれた

 

佐々木先生

 

母はもちろん、私と顔を合わす度に

 

「娘さんも大丈夫ですか?」と

 

何度も肩を抱いてくれた母担当の

 

丸山看護師さん

 

 

病院では1度たりとも嫌な思いをする事が

 

ありませんでした。

 

スタッフさん、同室の患者さん

 

皆さんに、本当によくして頂きました。

 

 

数限りなく死に立ち会って来たであろう

 

先生と看護師さんが

 

母の最期に涙を流してくれた事も・・・

 

本当に感謝の気持ちでいっぱいでした。

 

 

 

 

私の思うところ・・・

 

母は人様に好かれる性格ではなかったと思います。

 

それは必要以上にした苦労のせいだと思って来ました

 

でもその母を親に持ち

 

私は人を好き嫌いで判断するのではなく

 

短所も認めた上で受け入れる事を学んだ気がします

 

 

母は難しい性格だったけど

 

自分が立てなくなるその日まで

 

お料理を作り

 

一人暮らしの近所のおばあちゃんや

 

奥様を亡くした近所のおじいちゃんや

 

料理が苦手なご家庭にと

 

届けていました。

 

 

人には必ず長所があり、短所もある

 

この人はこんな所もあるけど

 

こんないい所もある

 

私も苦手な人はいるけれど

 

あまり嫌いだと思う人がいないのは

 

母の全てを受け入れる事で培ったのかもしれない。

 

 

 

 

生前、会った事もない母の心に寄り添って下さり

 

母の為に貰って頂いたお守り、、

 

心を込めて書いてくれた手紙、、

 

母の喜ぶ物をと選んでくれたハンカチ等のプレゼント、、

 

全て母に持たせました!

 

手編みのお洋服だけは

 

私が形見分けで頂く事にしました。

 

 

お通夜の日には

 

平日にも関わらず、遠く田舎まで運転して

 

お通夜に来てご香料まで下さった方々

 

書き留めでわざわざご香料を送って下さった方々

 

素晴らしいご供花やお供物を手向けて下さった方々

 

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弔電を下さった方々

 

私の自宅までご供花やご香料を届けて下さった方々

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弔問客がいらっしゃるので

 

家の中に入るのは家族から許可が出ず

 

外に繋ぐしかなかったえるのあこ・・

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お通夜の間は車の中にお留守番だったけど

 

告別式は朝から夕方まで・・・

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その間のえるのあの事を心配し、面倒を見に

 

お仕事を休んでまで

 

田舎までご夫婦で来て下さったフィーココさんご夫妻

 

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母の病気の事でいろいろ調べて

 

アドバイスをくれたり、

 

アロマやレメディを送って下さった方

 

 

 

ラインやメールで励まして頂いた方

 

病院で看病する私の為に

 

お弁当を作って来てくれた従姉妹やお友達

 

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関わって下さった全ての方々に

 

母共々、感謝の気持ちでいっぱいですはーと

 

心から~ありがとうございました桜咲く

 

 

 

これからも私は大切な家族と共に

 

母を愛していきますtulip*

 

 

私は十数年前から、先祖供養というものをしています葉っぱ

 

先祖と言っても

 

それは母であり、おばあちゃんであり

 

伯父であり、祖母が先祖です。

 

年に2回のお墓参りより

 

毎日そんな人の為にお経をあげてあげたい・・・

 

レイキで学んだと同じ、それは他者への愛

 

伯父が食道癌で苦しむ姿を見て

 

必死に般若心経を覚えました。

 

この伯父さんが旅立ったら

 

私は毎日ご供養してあげよう・・・

 

そんな想いで覚えた般若心経だけど

 

これからは毎日母に唱えてあげられる!

 

お母ちゃん、これからも共に生きて行こうねキラキラ

 

 

 

 

29日の日曜日また大きなセミナー講師の

 

お仕事があります。

 

母の為にも頑張らなくちゃ・・・

 

まだ資料が作れてないけどね(^_^;)

 

 

 

母の亡くなった翌日

 

頑張って頑張って頑張り抜いたごんちゃんも

 

お空に還って行きました流れ星

ごんちゃん、本当に頑張ったね肉球

 

向こうの世界で、のんたんと夫婦になってくれたら

 

嬉しいなハート”2

 

 

心からのご冥福をお祈りします葉っぱ