ずいぶん前にテレビ番組で、主婦を年代別に分けて

「おたくの料理はインスタントをよく利用しますか?手作りですか?」というアンケート調査をしていました。
とても面白い結果がでたのでよく覚えているんです。



「インスタント」と答えた年代が意外なことに

1位・・・40代
2位・・・50代
3位・・・30代
という結果でした。



さらに不思議なことに、20代に関しては90%近くの人が「私の料理は手作りです」と答えていました。

40代50代の人より20代のほうが手作りする割合が高いなんて驚きの結果ですよね。


これ、ちょっとしたカラクリがあるんです(笑)


というのは、インスタントの概念が年代別で違うんです。
例えば40代50代の人の感覚だとシチューを作った場合、市販品のルーを使ったら、「インスタント」で、小麦粉とバターを使って作った場合を「手作り」という意識があるのです。

私のような若い(笑←ここは笑うトコじゃないよ)世代になるに連れて市販品のルーを使ってもインスタントじゃない。
野菜や肉を切って炒めたり煮込んだりするのだから立派な手作り料理だという感覚になるのです。



ここで重要なことは、同じ手間をかけて料理するにしても、40代50代の人はインスタント料理だという後ろめたさを感じており、若い世代のほとんどは、立派な手作りだという感覚で堂々としている。



毎日、子育てに奮闘しているお母さんたちは上手に家事をこなしているのでしょうね。
もし自分は家事が苦手で料理がちゃんとできないワ~なんて思っているお母さんがいたら、気持ちを切り替えてみてはいかがでしょうか。


まずは、お母さんの気持ちが癒されることが最優先。


そのためにも、敵を欺くならまず味方から・・・!?



家族に手抜きしてると非難されないためにも、家事の省略化に対する罪悪感を捨てましょう。

ダシの素を使って味噌汁を作っても、いりこからダシをとっても、味噌は市販品なんですよね。
我が家では、数年前までは祖母が味噌を作っていたんですが・・・。


市販の味噌を使って味噌汁を作るのが「インスタントでない」のなら、市販のルーを使おうが、キムチ鍋の素を使って鍋料理しようが、手抜きだとは言われたくありませんね。

夫の実家では、手作り餃子と言ったらいつも皮から作るんです。
餃子の皮の手作りは面倒だ・・・アセアセ。


しかし、一手間かけて子どもへの愛情を形にしてみるのも自己満足ではあるけれど、癒されますね。

セリカさんのブログ が久々に更新されて、私が読んだことのない過去記事の掲載もされています。
『女の敵は女』でセリカさんが訴える保育園の素晴らしさと必要性は私も同感です。


けれど現実問題として、保育園に預けたくても預けられない人が大勢いて、仕事をしたくてもできないのが現状です。

そもそも、職探しに行くにしてもどこかに預けなくてはなりません。
実家も親戚も遠く離れた見知らぬ土地で、夫は長期出張。
今思えば、よく無事にアノ時代を乗り切ったな~と・・・

一人目を出産して6年間は専業主婦をしてきました。


その中で学んだことは、親も子も集団生活の中で得るものが大きいということ。


「我が子だけ」ではなく「みんなの中の我が子」を育てることです。
これは、私は私の子だけを育てる、というのではなく、みんなでみんなの子を育てようという事なのです。


大手会社の社宅の建ち並ぶ首都圏でしたので、私のように実家も親戚も遠く、見知らぬ土地に転勤でやって来た人が大勢いました。
やはり、仕事をしたくてもできない事情を抱えた人もたくさんいました。


そんなお母さんをサポートするために子育て支援センターというものがあるのだと思います。

自主運営の育児サークルを設立したときに、子育て支援センター(仮名)にお世話になりました。


子育てはたくさんの人に迷惑をかけながらしていくものだと学びました。
家庭と親だけでしていくものではありません。



少年事件が起こるたびに、家庭環境・・家庭でのしつけ・・教育・・
「親が悪い」「きちんと叱れない」「過保護」などなど。
ちゃんと事情も知らない人が好き勝手言っているように思います。
決して家庭だけの問題ではないと言いながらも親との関わり方の影響は大きいとされています。
それらの発言がどれだけ母親たちを傷つけていることでしょう。


「親には、子どもの面倒をしっかり見させること」
「親には、しつけを厳しくさせること」
「非行や少年事件は親の責任とし、親も罰する」

このような意味合いの発言をする大臣もいます。


子どもを守るためにも母親を攻撃しては逆効果だと思います。
その証拠に近年、子どもが幼い時に、叩いてでもしつけなければならないと考えている親が年々増えているそうです。


世界の中でも日本とドイツは、少子化が問題視されている先進国ですが、
どちらの国も、親の責任とか家庭でのあり方などが重要視され、母親は子育てに自信が持てないという悪循環を引き起こしているのです。

子育ては母親が一人でするものではなく、国や地方公共団体はもちろん・・
地域で・・社会全体で子育てしていくべきなのです。


子育てに悩み疲れたお母さんを、みんなで支援することが大事なのです。
昔のように地域での子育てが難しくなっている今日、孤独な育児をしているお母さんは大勢います。
そのためにも、気楽に安心して預けられる保育園は増やしてほしいと願います。

一昨年、「保育園で過ごす時間の長さと、子どもの成長発達にほとんど影響がない」
という研究発表もあったそうです。

子どもを早くに預けると「かわいそう」とよく言われますが、何の根拠もありません。
「子どもが小さい間は、母親が家庭にいるべき」
なのか
「母親は仕事をして、家庭保育より優れている保育園に預けるべき」
なのかは、母親自身の気持ちで決めていいと思うのです。



「子どもが小さいうちは、仕事と育児の両立はたいへんそうだ」と思えば、経済的には少々苦しくても育児に専念すればいいでしょう。
「家に一日中いるとストレスがたまる」という人は、仕事をすればいい。


どちらを選んでも、母親は育児の「主」とならなければならないので、夫のサポートが重要になってくる。
育児に奮闘するお母さんを国を始めみんなで守っていくこと(お母さん同士の助け合いはもちろん)が最も大事なことだと思います。

つくし採り


九州の山と言えば、阿蘇山。

とは言っても「阿蘇山」って山はないんですけとね。

先日阿蘇へドライブに出かけたら、スッカリ野焼きが終わって、あちらこちら茶色になってました。

ふと見ると数人が、なにかを採っていたので私たちも近くに行って、その「なにか」を採ってみることにした。


つくし


見て驚いた。

懐かしさで子どもの頃を思い出した。

今でも「つくし」ってあるんですね。

何十年振りかに見た「つくし」に感動して、家族でつくし採りに夢中になった。

子どもたちも、ビデオや絵本でしか見たことがなかった「つくし」に大喜び。

「なにか」を採る・・ってスゴク楽しい!!

大人も子どもも夢中になれる。


さて、

調理は、

ガクをとるのが面倒で大変でした。

アクがでるのか、手が真っ黒になりましたよ。

アク抜きとか、必要だったのかな?

よくわからないまま、適当に調理。


つくし料理



「つくし料理」で思いつくものは、甘辛く炒めてキンピラ風にする。

でもそれだと子どもが食べられないので、塩茹でしてゴマ醤油であえました。

クセもなくて、シャキシャキして美味しかったです。

例えるならば、モヤシに近いかもしれない。

画像は、オレンジっぽく見えますが、実際はピンクでした。

「つくし」って茹でるとピンク色に変わるんですね。

初めて知りました。


ご存知の方も多いと思いますが

セリカ非公式ファンブログ 「Dear優等生主婦」書籍化を応援します!  

というブログがあります。


さっそく セリカブログの記事タイトルを思い出そう!企画  にトラックバックします。


タイトルは思い出せないのですが、ファミレスに関する記事は印象深く残っています。


※※※ どなたか、この記事のタイトルをご存知の方がいらっしゃれば教えてください※※※
どうしても思い出せなくて・・・気持ち悪いです(笑)


記事では

「食事中にふらふら歩き回る子供は、家庭での躾に問題があるのかもしれません。食事状況を見直してみましょう。」
という講習会のお話がありました。


セリカさんは記事の中で、外食先で騒ぐ子どもを正当化したわけではなかったのですが、誤解されて反論意見が殺到していまた。

(詳しくはトラバ先をお読み下さい♪)


セリカさんがこの記事で言いたかったコトは、

ファミレスで子どもが騒いでも「親の躾が悪い」なんて思って自分を責めるんじゃないよ!
と言いたかったのではないでしょうか。

学者さんという立場の方がこのような発言をされると、ほとんどの母親は鵜呑みにしてしまうと思うのです。
必死で子どもを躾ようとする親に対して、「親の責任じゃないんだよ」ってメッセージがこの記事にあったのだと思います。


私はセリカさんの記事を読んで共感したのを覚えています。

食事に集中できないからと言って、その事で親が悩みストレスを抱えてしまっては、楽しい食卓は囲めないのです。
親のストレスは子どもに伝わり、食事の時間を楽しむことができなくなり、ますます「食」に対して悪い印象を植え付けてしまうと思うのです。

食事もトイトレと同じで、時期がくればちゃんと座って食べられるようになります。
そのためには、普通に食事することが大事なんです。
子どもが食べないとか、じっと座ってない、という事に目くじら立ててイライラしていては、普通の食事ができなくなります。

子どもは食べたい時に食べて、遊びたい時に遊ぶ・・・子ども本来の姿なんですね。
躾ができてない幼い子どもというのは、親が恥ずかしい思いをするだけです。

私も、親の都合で外食していることを忘れてついつい子どもを叱ってしまうことがあります。

でも、静かにできない子が決して「悪い子」ではありません。
「親の責任」でもありません。


外食先でどうしても騒ぐ時は、外に出て気分転換するに限りますね。
それを繰り返しているうちに、静かにしなければいけないことを自分で判断できる子になると思います。




セリカさんは、
心の中では子どもに、ゴメンよ・・って気持ちで、周囲の人に「ワタクシの躾がなってなくて申し訳ございません」という態度をとっていればいいのサ!!
と言われていたと思います。

そして、世間の目は冷たいよね~と、嘆いておられました。

せめてファミレスくらいは、幼い子連れでもゆっくり食事ができる、理解のある世の中になってほしいものですね。

そのためにも私たち一人ひとりの意識が大事なのだと思います。

きっとセリカさんもそう願っていることでしょう。

今日は、旦那を迎えに行くため、子供たちを車に乗せて会社まで行きました。

少し時間があったので会社の前の公園で子供たちを遊ばせてます。
桜散る1

【画像は、息子が木に登って降りられなくなったトコ。心配そうに駆け寄るお姉ちゃん♪】

会社の前の公園には桜並木。

私も旦那も会社から毎年この桜を見てきました。

でも今日の桜はちょっと、違う気がする・・


年度末の処理に忙しく、桜の季節と言えば深夜残業を連想させる印象が強かった。

昼休み、満開の桜を見て綺麗だなぁ~と眺めていた・・あの頃。


今日の桜の木はアノ頃とは違った表情を見せてくれる。

あたり一面に淡いピンクの花吹雪でいっぱいだった。

時折吹く風に、舞い踊る花びらをこんな風に見たことがあっただろうか・・

満開を過ぎて、容赦なく花びらを散らす桜並木。

鮮やかな緑の葉を見せて始めて、花盛りに終わりを告げているようだ。

美しく輝きを見せてくれた桜の木は、一瞬にして終わってしまうんだなぁ~

さみしいような、悲しいような気もする。


けれど淡いピンクと緑のコントラストが、私は好きだ。


桜散る3


桜は散っていく・・

桜の季節は終わりを告げる・・

だけど、桜の木はこのまま終わってしまうわけではない。

花の後に顔を出す緑は、新しい命の誕生。

華やかに咲き誇る桜のそのイメージとは違うけど、大地の力強さを感じさせる新緑。

生きる力で溢れた美しい新緑は、元気いっぱいの子供たちのようだ。


昔、旦那と二人で歩いた桜並木を今こうして家族で歩いている。

付き合っていたあの頃の二人に戻ることはできないけれど、純真な気持ちがもう一度芽生える時が来るような・・そんな気がする。


恋に花咲かせ、甘く淡い色の時を経て、私たちは今、大地に足をつけ生命力溢れる新緑の時期にさしかかっているのかもしれない。

桜の樹は、この新緑の時期を力いっぱいに生きて、また来年満開の時期を迎える。

季節が巡ってくるその時まで、花はないけど緑という新しい命と共に逞しく生き抜いていく。


私たち家族も今、新緑の時期を子供たちと精一杯過ごそう。

父親と母親の役目を果たし、家族で笑いあおう。

そのあとで私たち夫婦にも、きっと満開の花を咲かせる季節がめぐってくるに違いない。

地面に敷き詰められた花びらは、過去を振り返るためのものではなく、再び訪れる未来を約束してくれるもの。

季節がめぐって桜が花を咲かせるように、私たちも今は新緑の時代を力いっぱいに生きたいと思う。

女性専用車両については、様々な考え方があるんですね。

タイホナさんの 女性専用車両について  の記事とコメント欄に寄せられる意見を見て女性として考えなければいけない部分が多いのかなって思いました。


女性専用車両については無条件に導入されてもいいのではないかとさえ考えていました。
痴漢対策として完璧とは思わないけど、無いよりマシだと思うのです。


でも男性からしたら屈辱で罪悪感を覚えるほど不快なものなんですか?
女性専用車両が導入されたコトで、妊婦に席を譲る気持ちさえもなくなるものなんですか?



賛成する理由は、痴漢された女子の中には黙って耐えることしかできない被害者がいるからなんですけど。
最初のコメントに書いた通り、高校時代は「声を上げる」なんて選択肢が私にはありませんでした。
でも年齢と共に思考も進化して、「女はどうせ声を上げない」という確信があるから痴漢行為をするんですよね?そんなコトを考えたら痴漢にムカつきました。
それで大きな声で「さっきからずっと私の足を手で触ってるでしょ!!!」って言ったんです。
その人は「荷物だ」と言ってましたが、荷物で死角を作って手で悪さしてたんですよ。
周囲の人もその人のコトを睨んでましたけど、私もそれ以上は言えなくて「とにかく気をつけてください」って言いました。
でも、被害者であるはずの私はその後、周囲から白い目で見られたような気になって後悔しました。
今だったら後悔なんてせず、堂々としていることはできます。
たとえ、誤解だったとしても不快なら不快だと声を上げることは、間違いだとは思いません。

勇気を出して声をあげましょうよ・・って思います。


警察に突き出すことが目的ではなく、もし嫌なトコロに男性の手が当たっていたら、声に出して少しずらしてもらえばすむことじゃないですか?
けれど現実は、そうはいきません。
自信過剰な女って目で見られたり、気が強いとか思われたり・・
声を上げられない理由は様々だと思います。
でも本当は、確実に声を上げれば、痴漢行為はなくなると思うのです。


だからと言って、被害に遭う人が声を上げないのが悪いという風には考えたくありません。

利用者の声がないから女性専用車両を導入する必要がない、というのでは意味がないというのはそういうことなんです。

被害者が申告しなければ、対応してもらえないというのは少し悲しいかなと思うのです。



もし、痴漢していないのに痴漢に間違えられたら、その場でその女性に主張してください。
絶対に駅員室などに行ってはいけないそうですよ。
行ったら、無実を立証するのはとても難しいらしいのです。


もし、痴漢被害に遭ったら・・
周囲の人に気付いてもらえるように合図して、目撃者を確保してください。
目撃者を数人作ったら、触っている手を掴んでその手を上にあげて「痴漢です」と言います。
その痴漢と自分との位置関係を周りの人に確認してもらいます。
(あとで、立っていた場所が遠かったので触れるわけがない・・などと言う人もいますから)



本当に訴えたい場合は、このような段階を知っておくとよいとは思いますが、最初の段階で一声かけて痴漢行為をやめさせるコトのほうが面倒なコトもなくてよいと思います。



痴漢の無実の罪で人生を台無しにした人もいると思います。

そんな大げさな話じゃなくても、勘違いされて不愉快な思いをした経験のある人もたくさんいるでしょう。

痴漢被害に遭って辛い思いをした女性の数だけ男性も同じような思いをしている事実を女性も知っておく必要があるのだと思いました。

娘が生まれて下の子が生まれるまでの2年間は一人っ子な状態でした。

ハイハイを始めた頃から子育てサークルなどに参加していたのですが、我が子のことしか考えられなくていつも頭の中は我が子のことでいっぱいでした。


二人目が生まれ、二人を連れてサークルに参加するようになって「助け合う子育て」の大切さがわかってきました。


サークルを通して、我が子だけでなく他人の子へも目を向けるようになって、育児のストレスが軽減したように感じるのです。

それは、悩みごとを共有できたからなのかもしれません。

一緒に悩むことによって、辛さを分かち合い。

解決できたとき喜びあえるお母さんたちとは、「ママ友」以上の関係になれたように思います。

そんなサークルの活動のなかで良かったことやたまには愚痴など綴っていきますので、適当にお付き合いください。


今回は【読み聞かせ】です。



絵本の読み聞かせをしていると、全員がじっと座って聞くことはなかなかできません。

一人が、前に出て立ち歩き始めるとそれに続いて他の子も前に出てしまいます。

1歳から3歳児の集まりなのですから当たり前。

「座って」と言っても言うことを聞いてくれるはずもないので、他のお母さんがひざに抱きかかえたりします。

しばらくするとまた立ってしまうけど、それでもまた他のお母さんが「こっちへおいで」と声をかけて、絵本の前から遠ざけます。

自分の子じゃないから、注意をしないというのではなく、みんなでみんなの子に手をかけ、自分の子はもちろん他人の子の成長も喜びあう関係があったように思います。


回数を重ねていくと皆どの子も座って聞けるようになるんですね。


母親に読んでもらう絵本の楽しさとは違う、お友達と並んで聞く絵本の楽しみも学んでいくのだと思います。


集団生活に参加するだけでも子どもにとっては大きな成長。

そんな子どもに「悪い行為」は何一つありません。

読み聞かせを黙って聞けなくても、決して悪いことではないのだから、どうしても聞けない子には他の子の邪魔にならないように気を反らすなどして、無理強いしないことが大事だと思います。


毎回、その子が喜んでサークルに参加しているのではあれば、親はそれ以上は何も望まなくていいのではないでしょうか。

集団では規制が多くてつまらない・・・という印象を子どもに与えてはいけないのです。


一時期、荒れて集中しない時期が続き、お母さんたちの中から、

「読み聞かせを止めよう」との意見もでましたが、皆で話し合いながら決めていきました。


自分の子どもだけが楽しければ良い、というのではなく、一人ひとりが真剣に会のことを考えてくれるお母さんたちに囲まれて、代表を務めていた私は素敵なサークル生活を送ることができました。


親も子も集団から学ぶものは多かったように思います。


子育てサークル関連記事:オモチャの取り合い

過去記事から転載いたします。

☆☆☆ひとりぼっちで孤独を感じたら☆☆☆


私も育児に疲れてイライラしたときもあるよ。
公園に行って気晴らししようと思っても余計にストレス抱えて、
どうしていいかわからなくなった時もあったよ。
私のように公園でのお付き合いがイヤでイヤでたまらないのに、
「子どものため」って思い一生懸命頑張っているママさんは多いと思います。
だから、私は言いたいの。
無理に公園にこだわらなくても、公民館とか市民間とかにデビューしてみたらどうかな?
けれど、そういう場に行くことも躊躇う人、いますよね。
幼稚園に入るまでの間、家にこもりっきりじゃなくてさ。
外に出ようよ。
母子二人きりでもいいから、自然を感じようよ。
「風が冷たいね」
「花がきれいだね」
それだけでいいんだよ。
毎日、風や土や虫に触れて子どもと会話しようよ。
お友達つくることだけが子育ての全てじゃないんだよ。
ママ友ができなくて辛い思いをしている人たちへ
無理に作る必要はないよ。
公園に行っても子どもの社会性は身につかないのだから、
イヤなら無理に行く必要はないんだよ。
でも家に閉じこもりっきりにならないでほしいの。
そんな思いが強かった私は、当時自主運営していた会員制の育児サークルで、
月に一回だけ、保健所と連携して、会員じゃなくても誰でも参加できる日を設けました。
サークル開放日です。
その日は自主運営としての当番の仕事もなくて、活動の進行は保健所の人がやってくれます。
参加型のお気楽サークルで、来た人の名前や連絡先を書いてもらうこともしません。
サークルに興味はあるけれど、こういう親同士のつながりがうざいって思う人も大勢いると思うから、
まずはサークルの良さを体験してもらって、集団から学ぶことがいかに多いかをわかってほしいと思いました。
特に1歳前後のお子さんを抱えたママさんは、ひとりで孤独を感じている人が多いと思う。
そんなママさんが一人でも多く孤独から開放されることを願います。

※現在そのサークルは巨大化してしまい、運営していくのがやっとという状態です。
そのため開放日の実施も取りやめ、保健所の予算も削除されているため援助も受けられない状態です。

      『初めて画像UP』


夕焼け




綺麗だったので思わず携帯から撮影してみました。

実際に眼で見た風景とは全然、ちがいますね。


空を8:2くらいの割合にしてみました。

左の電柱はいれない方がいいですね。



先々週末から、娘が原因不明の高熱で、病院通いが続いていました。

インフルエンザ・アデノウィルス・ヨウレンキンでもなく、

喉が赤く腫れてるわけでもないので、抗生物質は処方されず熱さましだけもらっていました。

40度近くの熱が5日間ほど続きましたが、今は、感染原因がわかり、お薬で治してます。


病院の雑誌をパラパラと見ていたら、こんな統計結果がありました。


①【日の出・日の入りを見たことがない】

   平成 3年・・・40%

   平成 7年・・・43%

   平成12年・・・46%

   平成16年・・・50%


②【木の実や野草など採って食べたことがない】

   過半数以上

     (4割の子どもは食べたことがある?そっちの方がある意味スゴイと私は思ったが)       


③【感動したことは?】

   運動会で勝ったこと

   テレビドラマを見て    などがほとんどでした。



私自身も子ども時代に日の出・日の入りを見た記憶はありません。

小学校の修学旅行で見たかもしれない・・・

けど家族でそういう自然体験などあまりしてきませんでした。

だから、なおさら子供達には・・・というより私自身が家族で自然体験する喜びを実感したいのです。

子どもだけでなく、大人だって自然体験はストレス解消になりますから。



ウチは旦那が写真好きなので、日の出の写真を撮りに行くのですが、お正月に、家族で見た日の出はスゴク感動しました。(今は一眼デジカメが欲しいと言ってるのが私の悩みの種です)

昨年はじじ・ばばと一緒に山菜採りに山へ行きました。

今年もそろそろ、ワラビやゼンマイ採りの季節がやってきます。


義母は、山菜取りに夢中になり

子供たちは、草すべりや虫とりに夢中

義父は、そんな孫たちの姿に夢中

旦那は、山と草花の写真撮影に夢中

私は、新緑の中に身をおき自然浴を楽しむ


大自然の中で食べる食事は、いっそう美味しく子どもたちも大喜びです。


人工的な遊具のある遊び場も楽しめるけど、何もない大自然で思いっきり遊ぶ子どもたちは、想像力を働かせ楽しむ力を開拓しているように思います。

そこから生活力や積極性などに繋がっていくと信じたいですね。


自然とのふれあいから得られる開放感や感動の体験を子どもたちに伝えていきたいと思います。