久しぶりに夫が自宅へ帰ってきた週末でした。

普段は、あまり夫婦の会話はないのですが、今週は久しぶりに会ったというコトもあってか、色んな話をしました。


夫は今、ウクレレ教室に通っていて、その教室での話をしながら、ウクレレを弾いてます。

ふと、夫がこんな話をし始めました。



読み聞かせの番組で、すごくいい話があったんだけど。
知らない?
犬の話なんだけど・・・


【私】???


家族は飼っていた犬に厳しく接するんだけれど、男の子だけは優しくする。
優しく接したから犬が死んでしまっても、その男の子は楽だった・・・
という話なんだけどスゴクいいよ。



と、そこへ娘が、「それ、エルフでしょ」



それは、1年生の教科書に載っている話でした。



【夫】ねぇ。それ読んでよ。

【娘】うん。いいよ♪


「ずうっと、ずっと、大すきだよ」
ハンス=ウイルヘルム作
ひさやま たいち訳


娘は去年の教科書を引っ張り出して、ハキハキとした声でスラスラと読んでくれました。
私は、今までちゃんと内容を聞いていなかったのか、

その日、夫と一緒に聞いてモノスゴク感動しました。


「愛情を伝える」ことは「伝えた分だけ幸せになれる」

というメッセージが込められているように私は思いました。


 ときどき、エルフが わるさを すると、
うちの かぞくは、 すごく おこった。
でも、エルフを しかって いながら、みんなは、
エルフの こと、大すきだった。
 すきなら すきと、いってやれば よかったのに、
だれも、いって やらなかった。いわなくても、
わかると おもって いたんだね。


なんだか、子供に対する親の対応とダブってしまいました。
悪いコトは悪いと教えなければならない。
キッチリと教えるコトが、将来的にも結果的にも子供のためになるのだと信じているトコロが私にはあります。
それは、子供のコトを愛しているからこそ、時には必要以上に感情的になったりもするのです。
けれど、厳しさだけの愛は伝わらない・・・
そんな風に私に語りかけられているように感じました。



 ぼくは、エルフに やわらかい まくらを
やって、ねる まえには、かならず、
「エルフ、ずうっと、大すきだよ。」
って、いって やった。 エルフは、きっと
わかって くれたよね。


「略」


 にいさんや いもうとも、エルフが
すきだった。でも、すきって いって
やらなかった。ぼくだって、かなしくて
たまらなかったけど、いくらか きもちが
らくだった。だって、まいばん エルフに、
「ずうっと、大すきだよ。」
って、いって やって いたからね。




「愛情を伝える」って難しいようで、実はとても簡単なのかもしれません。
それは、私自身が「伝わっている」と自信を持てればいいのではないでしょうか。


親から子へ愛情を伝えたい。
親子の愛を育みたい。


子供のためではなく、廻り廻って私自身のためなのです。


独り立ちして、子供がどんなに遠くへ旅立つ日がきても、楽な気持ちで受け入れられるのだと思います。


子供にも、夫にも、
ずうっと、ずっと、大好きだよ。
って気持ちをいつも忘れずにいたいですね。


それは私が幸せな人生を歩むための「おまじない」なのかもしれません。


夫から、素敵な「おまじない」の贈り物をもらいました。
お金では買えない、世界でたった一つしかなくて、私しかもらうコトができない贈り物を、


ありがとう。


そして家族が揃った素敵な週末に感謝です。