ひとつ前の記事「傷ついた子ども時代を受け入れること」から関連した内容になります。


というのは。


ゆうこさんから
「コメント欄に書くには長くなりましたので」
とのメールを頂きました。
とても素敵な内容でしたので、許可を頂いたうえで記事にさせて頂きます。



ゆうこさんご自身も、私と同様に子ども時代に家庭環境によって心の傷を負っていたようなのです。

過剰な期待や他人と比べられることで精神的に傷ついてきたのでしょう。


私としては、親と子の関係で、適度な距離を保ちつつ愛すること。
それによって、子どもは一人の人間として尊厳されるのだと思います。



なので。


私の場合は、母親に私物化されたように呑み込まれ、母の価値観に値しなければ突き放されてきたため、
一人の人間として尊重されなかったと感じているのです。


周囲に気を遣いすぎて無感情になったり。
何をするにしても理由付けを必要とし、
~~~だから、~~~するべき。
という方程式に当てはめないと気がすみません。



繰り返し非難され続けたことによって、自尊心を傷つけられてきたので、自己評価が低いのだと思います。

だからなのか、「母親はこうあるべだ」という考えが頭からはなれず、自己否定してしまう癖があります。
他人に認められないと不安になり、自分は価値のない人間のように思えてなりません。
すなわち、常に他人の視線が気になり、他人にどう思われているかが気がかりなのです。


さて。
ゆうこさんのメールによると、ゆうこさんも似たような境遇でありながら、
きちんと、自分自身が傷ついた経緯と向き合ってこられました。


何に対して傷ついたのか。
そして、どうして欲しかったのか。


ご自身の中でよく整理したうえで、お母様と話し合われて解決へと導いていかれたのです。
容易に出来ることでありません。
たくさんの時間と努力と苦労を重ねて得た結果だと思います。
自分自身が「癒される」も「苦しむ」も自分次第なんですね。



私は、自尊心を傷つけられて、自信を持てない自分が居ます。
それでもいいじゃない?
だって、そういう家庭環境で育ってしまったために、私にはそこの部分が育たなかったのですから。
たまたま、自分にはそういう所が育たずに大人になっただけ・・・
こんな風に、今の虚しい気持ちを認めることが必要だと思う。
親のせいにしたっていいと思う。


しかし、過去にぶら下がっているだけでは過去に引きずられ前へは進めません。
ここで止まっていてはいけないのだと思う。

過去を認めたうえで、
こんな自分でも、必要としてくれる人が必ずいると自覚することです。
他人の視線が気になり生きづらさを感じているけれども、これは言い換えれば他人の気持ちに敏感だということにもなります。
少々無理があるかもしれませんが、自分の生きづらさをプラスに変えていくことで、自分を変えることができると思うのです。

今の自分を変えることで、過去を変えることに繋がればいいと思う。


ゆうこさんのように強く前向きな生き方は、私への何よりのエールとなりました。
ありがとう。