子どもは「生まれる」のではなく「産む」というのが普通の考え方なのでしょうか。
これに関しては賛否あるようですが、親の側から見た論ではなく、生まれた子どもの立場から考えるコトのほうが私にとっては重要なのです。
生まれてきたことの意味を追求することは、私が子育てをしていくうえで避けることのできないポイントなのです。



私には、両親が仲良くしていた記憶がありません。

父親については、悪口しか聞いたことがなかったので、母と父に愛し合った時代があったなんてことは子どもの頃の私には想像も出来ませんでした。



そして母は、私たち子どもへの愛情をこんな言葉で表現しました。

「あなた達のために苦労して頑張っている」
「再婚もしないのはあなた達のため」


周囲の大人も私に言いました。
「お母さんは一人でたいへんだから、お姉ちゃんがしっかりしないとね」


そんな母の生き方を見て、自分の存在が母の幸せを奪っているのだと私は考えるようになったのです。
母は私の犠牲になっているのだから、私は幸せになることを望んではいけない。
自分の欲求は全て我慢しなくてはならないのだと思い込んでいたのです。


自分が親になって思うのですが、子どもにそんな風に思わせてはいけません。

親は親のしたいように人生を歩んでいる姿を子どもに見せてやることが望ましいと思うのです。


私のように自分の楽しみを否定して育ってしまうと、自信が持てない人間になってしまいます。

自信を育てるということは、子どもらしい感情を持って子ども時代を過ごさなければならないと思うのです。

再婚したければして欲しかったです。
再婚しないコトを子どものせいにしないで欲しかった。

母は私たちのために父と別れたというようなコトを言ってました。
それは事実でしょうけれど、もし説明するのならば、
「母自身のために」
「母の意志で離婚した」
と説明するべきだったと思います。


父親の悪口を言うのもいいでしょう。
けれど、もし言うのならば、
悪口を言った分、愛していた時代があったことも話すべきでした。

そんな時代が存在しないのであれば、父親の悪口なんて言ってはいけないと思うのです。


母親が父親を否定するという事は、子どもが生まれてきた事の意味を否定するのと同じです。


子どものために人生を犠牲にしてきた、と言う人は多いです。
その気持ちは子どもへの愛情表現なのだと思います。そう信じたいです。

そうでなければ、自分の人生に自信がなくて子どもを理由づけして生きていこうとする証なのかもしれません。

自分の人生や生き方に自信を持てない人は案外多いのかもしれませんね。

そんな人たちが「子どものため」を支えに生きていこうとする。

その気持ちや考え方は間違いではありません。



けれど、その気持ちを子どもに伝える時は慎重にしなければならないと思うのです。



子どもを愛するがゆえ、間違った愛情表現をしてはいないだろうか。

子どもにはいつも自信たっぷりの笑顔でいてほしいと願います。


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