久しぶりの更新になります。

こんな感じで今後も、のんびりペースで更新していきますので、気長にお付き合いくださいm(._.)m


さて、前回の続きとなりますが。

前回は子どもが生まれてから、子育てに自信が持てないというお話でした。

今回は子どもと出会うずっと前から、自信がなかったという私のお話です。

私の場合は、「子育て」にというより、「親になること」に自信が持てませんでした。



本当に自分は子どもが欲しいのだろうか。
曖昧な気持ちでは産んではいけないように思っていたのです。



結婚してから、周囲の期待に応えなければという思いで出産を迎えました。
なかなか子どもができなかったので、子どもが欲しいという思いは一層強かったです。
周囲の温かい声に励まされたり、時にはプレッシャーになったりもしました。


そんな中で、私は本当に【自分の意思で】子どもを産みたいのだろうかと考える暇も余裕もなかったように思います。


「子どもを産みたくて産む」のだという気持ちをしっかりと持ちたかったのです。



私は子どもの頃、自分の存在が母にとって邪魔なのではないかと、心のどこかで思ってました。
本当に望まれて生まれてきたのかと疑問に思ったときもありました。


そんな思いを抱えていた私は大人になりきれなかったのかもしれません。


だから、本心から子どもを必要として、親になる自信がなければ子どもを産んではいけないと思っていたのです。
子どもには、「待ち望んであなたは生まれてきたのよ」と言いたいです。

子ども心に、そんな感情を味わった覚えが私にはありませんでしたから。



「親になる自信が持てない」という言葉の意味は、言い換えれば私にとって、
「自分という存在に自信がもてない」ということになるでしょうか。




先日、母の日にカーネーションを持って実家へ行きました。
すると母は、子どもたちにお菓子をたくさん買っており、私には洋服を買ってくれていました。

母の日に私が会いに来てくれると思って準備していたのです。


年金暮らしで生活に余裕があるわけでもないだろうに、そう思うと母の気持ちがありがたかった。

私は親孝行できているのだろうか。

寂しい思いをさせているのだろうか。

最近、そんなことを考えるようになりました。


母にとって私はかけがえのない大切な存在です。
私の存在そのものが母の心の支えとなっているのです。

必要とされているというその思いは、私の親としての自信へと繋がるのです。



すくすくと成長して毎日笑顔を絶やさない子どもたちに感謝です。


泣き顔を見せてくれる我が子に、安心します。
子どもは、親の前で泣き虫&わがままなくらいが、ちょうどいいと思えるようになったのは、きっと母のお陰です。


母と今度会うときは、『ありがとう』って素直に言おうと思います。