興亜観音 | 栄二のブログ

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熱海の興亜観音へ慰霊に行ったのですがそこで住職さんより聞いた話を書きます。

この興亜観音は昭和十五年二月、陸軍大将松井石根閣下により支那事変での日中両軍の戦没者を『怨親平等』に等しく供養するために建立されたそうです。
この台座には松井閣下の部下の位牌が入っていると住職が仰っていました。

この宗教法人礼拝山興亜観音には殉国七士の遺骨が祀られています。
殉国七士とは極東軍事裁判(東京裁判)で刑死されたいわゆるA級戦犯といわれている
東條英機 元首相・陸軍大将
土肥原賢二 元陸軍大将
廣田弘毅 元首相
板垣征四郎 元陸軍大将
木村兵太郎 元陸軍大将
松井石根 元陸軍大将
武藤 章 元陸軍中将
の七人のことですが昭和二十三年十二月二十三日(今上陛下ご誕生日)に処刑されここに祀られるまでに遺体はその日のうちに横浜久保山火葬場で荼毘にふされました。
火葬後別々だった遺骨は米兵によりメチャクチャに混ぜられ黒塗りの箱へ無造作につめられ東京湾に捨てられましたが、箱に入れ残った遺骨を米兵がコンクリートの穴に捨てたのを当時の飛田火葬場長は見ておりこれを東京裁判弁護人、三文字正平氏らに伝えそれを聞いた同氏等はそれを奪還し近くのお寺に隠しました。
その後、三文字氏は七士の遺族と相談し翌年五月三日に東條、廣田、武藤両氏等の未亡人と共に興亜観音を訪れ、知り合いの遺骨だとしか言わずに渡されたそうですが当時住職はすぐに七士の遺骨だとわかった上で快く引き受けることを承諾され今にいたるそうです。





写真を見て解ると思いますが石碑に傷があります。この殉国七士の石碑は昭和四十六年東アジア反日武装戦線なるテロリスト達(その他三菱重工爆破事件など)により爆破されました。全ての碑や観音像に爆弾が仕掛けられましたがこの七士の像の爆破のみで導火線が消え他には被害はなかったそうです。

ちなみにそのテロリスト達は雨の日に下見にきており現住職の母親が傘を貸してあげたそうです…プンプン



祭殿のまえで頭を下げなんと住職と中に入らせてもらい、お線香をたきお経をあげ一緒にお祈りしてきました。
ご本尊などの写真は撮りませんでしたが(撮っていいと言われたのですがやめました)他の写真を撮らせて頂きましたので…


















この最後の写真ですが処刑の前に七人が手錠をされたまま自筆で書いたそうです…。

このあと住職の話を聴くため別の建物に移ったのですが、そこで色々な話しを聞き、歌まで歌ってもらいました←本当です。すごい上手だった♬
とても素晴らしい一日でした。
大雨の予定でしたが素晴らしい良い天気になりました(笑)

わかりにくい場所にありますが興味のある方は住職も丁寧に説明などしてくれますし是非是非行かれた方が良いと思います。


ちなみに興亜観音建立後しばらくはチャイナの方の参拝がかなりあったそうです。
この上の写真はチャイナの方が寄贈されたもので、松井閣下の事だそうです。星とつけるのは人物につける最高の敬称らしいです。