若い頃、
神さまを信じていなかった私が
個性的な家族のお陰で
たくさんの貴重な体験をし
いま、ここまで辿り着きました。
これからも進化し続けます。
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ブログの主な登場人物
ユータ22歳。
専門学校中退後1年の休養を経て
去年10月から家の近くの事業所へ
リハビリがてら通ってます。
ハルナ19歳。
去年10月、神がかりで失踪後、
精神科に約半年間入院。
4月に退院、少しずつ回復して
今は週2回B型事業所へ。
モト夫50代後半。
近くで一人暮らしをしていて
お金の管理は私がしています。
詐欺被害やら失業やら長い苦難の時を経て
やっと平和に暮らせるようになりました。
こんばんは〜
11月になりましたね。
ホーランドロップイヤーの凛が来て
明日で2ヶ月。
すっかり私に懐いて
脚に戯れてきます。
前のネザーランドドワーフのチョコは
寄ってくるのに5年かかったのに
種類が違うとぜんぜん性格も違うのね。
この子を飼うことで
また新たな学びがあり面白いです
さて、昨日の木曜日
ハルナはB型事業所へ行き
帰りに神社に寄りました。
いつものように
ハルナと並んでお詣りし
「ハルナに憑いているモノたちの
名前をお返しするので
救済してください」
と言い、ハルナに向かって
「名前を言って」
と言うと、
今までだったらハルナが
「リュウ、リョウ、ミナホ、△△、・・・」
と憑依霊たちの名前を
順番に言うのですが
昨日は
「名前が付いてない人もいっぱいいるので
救済して下さい」
と言いました。
「名前を言って」
ともう一度私が言うと
「名前が出てこない」
んだそうです。
「じゃ、いいや」
って事で
名前のない人たちのことをお願いして
終わりました。
古馴染みさんたちのパスは
切れたのかしら
ハルナの記憶からも
消えたのかな
「神社詣りは
いつまで続けるのかな」
とハルナに聞くと
「もうしばらく」
だそうです。
離れて行った子たち
今までハルナを支えてくれて
ありがとう
そして、午後は
モト姑(タズエさん)の面会です。
漢字からして
タヅエじゃなくてタズエでしたので改めます。
この前初めて行った時、
個室で新しくてキレイなんだけど
ろくに荷物もなく
壁も真っ白で
特にタズエさんらしい部屋では
なかったのが気になりました。
それで昔の写真を探して
タズエさんの部屋に飾れるのを
1枚持って行くことにしました
私が初めてモト夫の実家に行った時に撮った
タズエさんと
亡くなったモト夫おとーさんが
2人で並んで
いい顔してるのをコピーしました。
ハルナは私たちが
モト夫の実家を出て
縁を切ってから生まれたので
タズエさんには初めて会います。
ユータは就労移行支援事業所へ
行ってるので
別の日に行く予定。
タズエさんがいる所は
ウチから車で10分くらいの
まだ新しい施設。
連絡をくれたヘルパーさんが
お部屋に案内してくれました。
「わーい、タズエさん、来たよ」
と言うと、
タズエさんはベッドから少し体を起こして
こっちを見ました。
私はベッドの横の椅子に座って
「私はモト夫の嫁だよ」
と言いました。
離婚してることは
話がややこしくなるから省略。
「そして、この子は
モト夫の子供だよ」
と、隣に座ったハルナを
紹介しました。
最初のうちは
分かったような分かってないような
反応でした。
そして
「いいもの持ってきたよ」
と言って私は写真を見せました。
タズエさんは
じっと見ていましたが
よく分からないようでした。
「こっちが若い時のタヅエさんだよ
隣は、○○さん(モト夫おとーさん)だよ」
何度か言うと
「あーー、そう言われれば分かる」
と言いました。
やっと昔の自分だと認識したようです。
そしてそれまでは
「もう全部忘れたわ」
と言っていたのに
少し思い出してきたようでした。
「あの子に子供がいたかーーー」
と言うので
「もう1人、ユータがいるよ。
昔、一緒に暮らしてたよ」
と言うと
思い出したみたいな
そうでもないような。。。
「今度、連れてくるね」
疲れるから面会は短時間です。
さっきのヘルパーさんが来られて
「もうお食事がペーストで
それもあまり食べられなくなって
浮腫もこんな風で」
とタズエさんの腕を見せてくれました。
ものすごく浮腫んでました。
持ってきた写真を
タズエさんの見える所に貼ってもらうよう
お願いしました。
そしてモト夫が
タズエさんがここに来るまでの経緯を
知りたがっていることを話したら
ケアマネさんの連絡先を教えてもらえました。
家に着いてから、
さっそくケアマネさんに
電話しました。
そしてかなり詳しく
いろいろ聞くことができました。
私がモト夫と結婚したのが2000年で
その9月末から
モト夫の実家で暮らし始めました。
すぐに私は
モト夫の両親と仲良くなりました。
2001年の4月に離れに新居を建て
その年の大みそかにユータが生まれ
2003年の6月に
モト夫のおとーさんが亡くなり
そこからお家騒動が勃発し
モト夫の事はもともと悪口ばかりでしたが
長女さんが私のことを良く知らないのに
私の悪口をタズエさんに吹き込んで
タズエさんは
実の娘の方を信じて
私のことを悪く思うようになり
私がタズエさんと仲良く過ごしていた
楽しい期間は
終わりを告げました。
2003年7月には家を出ることを決心。
9月には密かにマンションを契約し
12月24日に行先も告げずに
今のマンションに引っ越したのでした。
長女さんが
家もお墓もタズエさんの事も
「私がすべて面倒をみる」
と腹を括っていたので
私たちはそれを信じていたのですが
無理だったみたいですね。
私たちが居なくなった直後から
タズエさんは完全な一人暮らしで
歩いて行ける距離に住む長女さんは
ほとんど見に来なかったみたいです。
考えてみれば長女さんは
家や土地はあるけれど
仕事を持っているシングルマザーで
高校生と中学生の子供を育てていて
時間もお金も
そんなに余裕があったとは思えません。
でも、愚かな弟には
実家は継がせられないし
他所から来た都会育ちの嫁は
この地域のことを何も分かってないし
その嫁が母親と仲良くしていて
跡取りの嫁になるのは気に入らない。
長女として自分が家の為に
なんとかしなければ
とか思ったのかな~
当時は本気で
全部の面倒を自分が見るつもりだったのだと
私は思うんです。
感情的になると
自分のキャパが分からなくなって
判断を間違うんですよ。
それに、もともとこの家族は
亡くなったおとーさん以外は
自己中心的な考えの人たちの集まりなので
うまくいかないんですね。
1人暮らしのタズエさんを
気にかけてくれていたのは
向かいの家の人と民生委員さんと
モト夫のおとーさんの友人でした。
モト夫のおとーさんは
子供たちがあてにならないことを
分かっていたのかもしれません。
亡くなる前に
タズエさんのことを
お友達に頼んでいたようです。
タズエさんって本当に
変わり者で有名だったので
モト夫のおとーさんも
自分が亡くなった後のことが
心配だったんでしょう。
周りの人たちのお陰で
タズエさんはなんとか行政に繋いでもらって
ここまで生きて来れたのです。
本当に良かったです。
そして今日、
タズエさんが居る老人ホームに電話して
次の面会を予約しました。
そしたら
最初の時に私の名刺を渡した
施設長さんが出られて
「タズエさん、
いただいた写真を見てから
急に元気になりました」
と興奮気味に言われました。
施設長の勢いに
少々びっくりするほどでした
良かったです
白い壁のなんにもない部屋って
精神的に良くないんですよね。
何か心を動かされるものが
必要なんです。
だから写真が良いと思ったんです。
写真は
自分が生きてきた証になるでしょ。
次は月曜日に行きます。
長いのを読んでくれて
ありがとう
ヨーコの著書1.超霊能力児ユータの成長記録
2.発達障害家族サポート奮戦記
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