一つ前のブログ、お読みいただいて

ありがとうございます。



だからといって、


最初の頃の不登校の記事が

嘘だとか違うというわけでは、ありません。


不登校になるのは、

何か事件があったからとは

限りませんし、

心が弱いからでもありません。


むしろ、

もともと人より敏感で繊細で

受容力、共感力という能力が高いから

それがうまく使いこなせないから、

などの理由なので、


汎用性を一番に求められる場所では

合わないのは当然。

何も悪くありません。


その分、特定の分野でとんでもない能力を発揮することができますし、

私も、その性質のおかげで、

アナウンサーとしては

かなり色々なお仕事をさせていただいてきました。


だからといって

不登校でない人が

才能がないとかいうわけでもないです。


そして、不登校だから才能があるとは

限らないからね!とか言いたいわけでもありません。


前にも書きましたが、

ある、しかないので

それぞれに、様々な能力や経験が

あるのです。


なので!不登校も

何かを失った経験とか

その期間の経験がそもそもない、とかではなくて、

不登校という経験が

ある のです。



髪を切った!


私が20代の頃、ハマった漫画がありまして。


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この中に


「なにもない」があるんだ。


という台詞が出てくるのです。


自分は人と比べて何もない。

才能がない、経歴がない、学歴がない、肩書きがない、容姿の特徴がない。


きっと不登校に悩んだ方

その周りの方も


一番、何が不安かって


そこですよね。


今、学校に行けていないこと、よりも、

なにもなくなること、学歴や、

学んだ結果がなくなることが

なくなること、が不安。


何もないがある。


この意味が、まっったく当時はわかりませんでした。

え?気休め?

何?この台詞?

どういうこと??



まず、不登校になってしまったら、

無理やり登校しようとしても

無理ですよね。


学歴がどう、とか、

将来がどう、とか

色々言われても、

そして頭では「そりゃそうだよね。」とわかっても

どうしたって身体は動きません。


無理なんです。


というか

本人が一番不安なんですから。

この先私はどうなっちゃうんだろう。

自分を責めて責めて、また動けないんです。


そもそも自分を守るために

不登校になっているんです。

これ以上自分に嘘をついたら壊れてしまうのが

本能的にわかるから。


だから、

甘えているわけでも、

わざとやってるわけでも、

(前回、私はやりたくてやってた、と書いたのですが、わざと、とかそういう意味ではありません。)

怠けているわけでもありません。


そして行けなくなったら「きっかけ」は

明確な理由じゃないので

それを取り除いても

行けるようにはなりません。


その時は、

不登校であることが必要なので

そうなっているんです。


私が、不登校を経て大人になったとき。


「学歴が評価される理由は、

その学校に入るための努力ができた、ということの証明なので、人を評価するときにわかりやすい指針である。」

「反対に、中退をしたり、大学に行っていないということや、職歴がたくさんあるのにそれぞれが短いということは、

その努力ができない、忍耐力がないという評価になる」


という考え方があると聞いて

ビビりました。

むしろ、私が20代の頃に

「勝ち組」とか「負け組」とかいう言葉が

流行して、

外側に振り回されるようになりました。


「なにもないがある」とか言ってる場合じゃなさそうな雰囲気です。


そうして誰かに「勝とう」、

そのために

「私には何もないからどうにかして武装しないと!」と考えているうちは

なかなか仕事がうまく行きませんでした。


だいたい

この仕事は、自分に集中しないと

うまくいかない仕事です。

誰かのことを妬んだり

人と比べたりして振り回されると

途端に輝きがなくなるので。


何もない、そう自分を責めていると、

逆になんの結果も出せないまま

苦しいままでした。


不登校になるのは、

敢えて「素晴らしい!」とかじゃなくて

ただの状態で

普通のことなんです。

ただ、そうなだけなので、

経験したこともないのに

そんな風に持ち上げる必要はないと思います。

持ち上げられても微妙なので。


ですが!!


自分を内観するときには、

その経験を

素晴らしいと感じて良いのです。


不登校だったこと。

それが「ある」んです。


あるしかないので。


不登校という経験がある、んです。

そこには、

敏感な心の私

繊細な私

人のことを思いやる私

誰かの言葉を重く受け止める私

そういう私。

それがある。


すごい学歴があるのと

不登校という経験があるのは

同じ価値でいいんです。

(比べることがナンセンスだと思いますが、わかりやすくするために敢えて。)


なにもない、が、ある。


漫画の主人公は、たしか

タレントさんのような美貌とか

複雑な環境とか

特別な才能とか

そう言ったものが

「なにもない」と感じていたのだったかな?

(うろ覚えです。すみません。)

それが何もない、何もないと本人が思えているから、

徹底的にサポート役が出来るので、

タレントやマスコミからの信頼が絶大で

超敏腕マネージャーになっているのです。


全て

あるのです。


伝わるかなぁ。


なにもない、すら、それがある。


不登校を消そうとしないで

大丈夫です。


学歴が「ない」と

社会に信頼されないなんて

嘘ですから。




克服するのではなくて、

降参して、認めてください。

それが、ある、のだと。