本日は千葉県市川市国府台「里見公園 羅漢の井」(さとみこうえん らかんのい)に
参りました。
 

公園の中に湧水があります。最寄り駅より徒歩20分位にて公園に到着です。

この公園は徳川家康が居城とする以前の旧江戸城を築城した「太田道灌」(おおたどうかん 1432年-1486年)が「国府台城」(こうのだいじょう)として築城した場所ですが、戦国時代の「国府台合戦」(こうのだいかっせん)
の方が有名な地です。

当時、戦国時代でも早期に下剋上(げこくじょう 上司を打倒すること)に成功し、伊豆を支配後に神奈川県小田原の名城「小田原城」に拠点を築いた「北条早雲」(ほうじょうそううん 1432年-1519年)を祖とする、関東支配を目指していた「北条氏綱」(ほうじょううじつな 1487年-1541年)が南房総を支配していた「里見義堯」(さとみよしたか 1507年-1574年)と小弓公方「足利義明」(おゆみくぼうあしかがよしあき ?-1538年)にこの地で会戦、その後、それぞれの息子である「北条氏康」(ほうじょううじやす 1515年-1571年)と「里見義弘」(さとみよしひろ 1530年-1578年)が激突した、2度房総半島の覇権を賭けて争った場所です。

「第1次国府台合戦」「第2次国府台合戦」と呼ばれています。この2回の戦いは供に北条氏の勝利に終わり、北条氏の関東支配が一層強められた戦いです。

この地の戦いは凄惨を極め、里見軍5000人の死者を出し、それに関連して夜な夜な泣く石と言われる「夜泣き石」もあります。公園の奥にいくと鬱蒼と生い茂る木々があり、烏が鳴いていました。


またあまり有名ではありませんが、幕末に江戸城を明け渡した旧幕府軍がこの国府台城に集結、新撰組副長「土方歳三」(ひじかたとしぞう 1835年-1869年)も参加し、戊辰戦争「市川・船橋戦争」(いちかわ・ふなばしせんそう)の舞台でもあります。

目的の「羅漢の井」ですが、水量が少なくペットボトルに汲むのみかなり時間がかかります。
こちらの湧水は、煮沸することをおススメします。
  
■アクセス

最寄駅【国府台駅】(こうのだい)
 京成線「京成上野」より各駅停車で約25分程度

【徒歩】
国府台駅より徒歩20分程度

【バス】
 JR市川駅・国府台駅より京成バス乗車。「国府台病院」下車にて徒歩5分程度
 

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