夜の恐怖に耐えた男の愛 No.386 1月20日発

　埼玉に住むＫさんは、東京の会社まで2時間ほどかけて通っていた。往復4時間の通勤は、決して楽ではなかった。
　入社してから15年ほど通っていると、齢と共にだんだん負担に思う日が多くなってきていた。それに、営業主任の役付になってからというもの、帰宅が遅くなり、残業などをしていると午後11時を過ぎることもまれではなかった。翌日の勤務を考えると、たまには会社近くのビジネスホテルでゆっくり休みたい、と思うこともあったが、そうもいかなかった。
　家では妻が、どんなに遅くなっても起きて待っていることを思うと、外泊などはできない。それに、結婚当初から飼っている犬が必ず玄関まで迎えに出てきて飛びついてくる。子供には恵まれない夫婦にとって、犬は夫婦の鎹（かすがい）にもなっていた。
　夜遅くまで夜食の用意をして待ってくれている妻と、膝から降りようともしない愛犬に囲まれていると、疲れきった体に少しずつ生気が戻ってくる。
【毎日恐怖の夜がやってくる】
　ただＫさんにとって、一つ誰にも打ち明けることができない悩みがあった。それは、妻の用意した肴で晩酌を楽しみ、ベッドに入ると、恐怖の夜がやってくるのだった。
　妻が必ず愛の交歓を求めてくるのだ。新婚当初は、妻の愛らしいしぐさに胸をときめかせ、夜の更けるのを忘れて愛し合ったこともあった。
　しかし、結婚して15年、毎日目の回るような仕事の忙しさから解放された時、月に一度や二度は家に帰った時くらい、『大の字』になってぐっすり眠りたい、と思う時もあった。
　だが妻はそれを許してはくれない。必ず毎晩、どんなに残業で遅くなって帰宅しても、ベッドに入ると愛を求めてくる。
　女性には体調の悪い日があるはずなのに、彼女はお構いなしに愛の交歓を迫ってくる。この一日たりとも体を休ませてくれない妻に、さすがに40歳を間近にしたＫさんは、付いていくことができなくなってきていた。
　帰宅してからの夜は、彼にとって恐怖の夜になるのに、そう時間はかからなかった。
【異常性欲は不感症の証し】
　女性の異常な性欲にはニンフォマニアという病名が付いている。和名では淫乱症などと、古来言うが、決して心の病とは決めつけてはいけない。女性も、自分の高まる性欲には悩み苦しんでいることが多いのだ。
　医学的には、女性の性欲異常の背景には、不感症という病が潜んでいる、と考えられている。その原因は、性行為の初体験の恐怖や、あるいは、男の乱暴な性行為などともいわれ、性感が著しく低下してしまうことがあるのだ。
　性感を失った場合、どうしたら性感が戻ってくるか。またあるいは、愛の交歓を続ければ回復するのではないか、という思いが、無意識のうちに性行為に走らせる、と考えられている。
【あっけなく夜の悩みに幕が下ろされて】
　Ｋさんの夜の苦しみは、あっけないほど、終止符を打つ日がやってきた。
　ある冬の夜だった。いつものように、くたくたになって家に帰ってくると、玄関先に、妻も愛犬も迎えに出て来ない。
　不安を覚えて寝室を開けてみると、愛犬が布団の上で、倒れた妻の傍に寄り添い、Ｋさんの方を振り向こうともしない。その異常な光景にＫさんは、倒れている妻に駆け寄り、声をかけながら体をゆすってみた。しかし、応答はなかった。
　妻は、急性の心不全で、そのまま召されていった。37歳の短い生涯だった。
　Ｋさんは、予想もしなかった出来事で、夜の恐怖から解放されたことを知り、ただ呆然として妻の亡骸を見つめているだけだった。

東スポ　男の羅針盤「男の生き方、男の死に方」編より