なんと説明したら良いのだろう。
はじめは偶然、公開時に観た作品。
「ヒマだな。映画でも観に行くか」と。
前情報は一切持っていなかったけれど、
IMAXで上映することと、
むしろ、
「では、なぜIMAX!?」という疑問も相まって。
ちょうど時間も都合が良かった、この作品を選んだのだ。
こんな時には、街中に住んでいるのは好都合である。
チケット購入時の座席表の選択からは、
決してその作品が、
人気を呼んでいるのではないことがわかったが、
上映が始まってすぐに、
なぜIMAXでの公開なのかはわかった。
音の効果、素晴らしい音楽。
身を委ねるというよりは、巻き込まれてゆく熱狂。
「なんかすげー!」
観終わったあとの余韻がすごかった。
しかし、気になって仕方がない細部もたくさん残った。
「あのセリフはどういう意味だろう?」
「なんで『罪人たち』なんだろう?」
...なんで?
なんで。
浮かんだ疑問を調べ始めたら、
まず、アイルランド系移民が歌う、
曲の歌詞に出てくる『コマドリ』は、
『搾取される者』の意味を持つことがわかった。
作中では『加害者』に見える彼らもまた、
厳しい土地を『あてがわれ』
過酷な労働と貧困を強いられた経緯を持つのだと。
使われている音楽から考えても、
『あの夜のあのシーン』からも、
『移民たちが持ち寄ったそれらが、
カントリーやブルースやロックを生んだのだ』
という意味を含ませている...
くらいはわかったつもりでいたが、
とにかく、気になる点がたくさんあり過ぎて、
「もう一度観たい!」と思っていたものの、
人気は集められなかったのか、
すぐに公開は終わってしまい、
その機会を得られずにいた。
が、つい数日前のことである。
またもや近所の映画館で、
ひっそりこの作品が公開されているのを知った。
それはまた当日のことで、
しかし時間に間に合いそうだったので、
急ぎ、上映館に足を運んだ。
相変わらず作品自体は素晴らしく、
ましてや、前回わからずにいた、
隠された意味を知れば、
それはさらに面白く、感動的な体験だった。
...しかし、やはり再び気になることが、
今度はもっともっと出て来たのだ。
「もっとちゃんと調べてみよう」
すると、まずは舞台となっている、
ミシシッピ州の歴史にぶち当たった。
劇中のセリフ
『この辺りには先住民はいないはずだ』
はなぜなのか。
そして、なぜ、脚本家は、
当のネィティブアメリカンに
『手遅れになる』と言わせたのか。
または、『スリム』に演奏を依頼に行くシーンに、
なぜ駅と列車が登場したのか。
他にも私が気づいていなかった、
隠された、たくさんのこと。
2度目を観て、いろいろ調べて、
ようやく、
なぜこの作品が途中から吸血鬼モノになるのかがわかった。
吸血鬼とは誰のことか。
吸い上げたのは何なのか。
これはネタバレにはならないと思うけれど、
あの時代のあと。
舞台となったクラークスデールからは、
綿花労働の機械化により、
たくさんの労働者が列車に乗って、
シカゴを始めとする工業都市へと出てゆく。
...あの駅から。
一度目の観賞後に私が思った、
「なんかよくわからないけど青春映画だ...」
は、あながち間違いではなかったような気がする。
理不尽と不幸と苦難に満ちていた、故郷。
けれど...故郷。
もはや故郷。
苦難の中、魂を揺さぶる音楽を生み出し、
大地と家族と、生きてゆく...
機械化前夜。
最後のセリフには、
それらが凝縮されているのではないか。
または、少女に車の番を頼む際、
『交渉』させるシーンに未来を。
いろいろ書いたけれど、
2度目の観賞後に、
この作品が史上最多16部門で、
アカデミー賞にノミネートされたことを知った。
急遽の再公開は、そのためだったのだ。
私にとって、この作品は、
歴史青春音楽劇であるが。
実はきっともっと、
拾いきれていないたくさんのモノが作中に散りばめられているのだろう。
『罪人たち』とはどういう意味か。
吸血鬼とは。
マジで脚本家が凄すぎる。
そしてすべてが。
スゴイ映画に出会ってしまった。
さて。皆さんは。
またはアカデミー賞審査員は、
この映画をどう捉えるのだろう。