自分だって傍から見てるとそうだと思うけど、そういうタイプの人とは仲良くなるスピードが遅いか、永遠に距離が縮まらないかもしれない。


今、社交不安障害(SAD)の本を読んでいるんですけど、その本にも「何を考えているのか分からない」治療者とは相性が悪いというようなことが書かれていました。(SADの人は相性が悪いということです)


積極的に突っ込んだアドバイスとかしてくれない治療の場合は、そうなんでしょうけど。


治療とかに限った話じゃなくて、普通の対人場面でも同じようなことが言えるんじゃないかな?と私は思いました。


自分から積極的に関わってきてくれたり、どんどん向こうからツッコミ入れてきてくれるような人じゃないと、なかなかこっちも自分を出せそうにないというか…出しにくいというのはありますよね。


自分と同じようなタイプの人だったら、なおさら。

こっちが自己開示もろくにできずに緊張で固まってたらつられて相手も固まりそうになるやろうし。


同族嫌悪?かもしれないけど、そういう人とはとりあえず相性が良いとは言えなさそう。

(打ち解けさえできれば相性いいかもしれませんけどね)


こっちが積極的に質問したりすればいいんだろうけど、私は話しかけ不安(?)があるので、なかなかそういうのは緊張がほぐれてこないと無理だ。


やっぱり人に慣れるには、最初はどんどん積極的に関わってきてくれるような人と仲良くなるのが近道かもしれないし、そういう人と仲良くなることができればいい影響を受けられそう。


そういう人って、まず大人しい人にあんまり興味ないだろうから、現実的に考えて難しそうだけど。


心の奥に引きこもってるのを無理やり引きずり出されたくはないんだけど、少しずつ安心感を与えられて、「出てきても大丈夫だよ」ってずっとそばで言い続けてくれる人どっかにいないかな。


自分自身もほかの人にとってそういう存在になれたらいいし、そうありたいとも思います。


子供の頃にそういう人が居てくれたら、緘黙なんかもっと早くに克服できていたかもしれないとも思ってしまいます。


たぶんずっとそういう存在を欲してるんだろうな~。

今年はよい年だった? ブログネタ:今年はよい年だった? 参加中


今年(2012年)は良い年だったと思います。

とにかく平穏無事に生活できているので良い年でしたよ。


途中、夏あたりに自分的に激しく落ち込んだりしたこともあったけどw

全体的には良かったんじゃないですかね。


今年は、結構外出できたので良かったな~、と思うし、自分的には結構頑張った方だと思う。



今年は1月の成人式ごろに両親から風邪(インフルエンザ?)をうつされてしまい、何年かぶりに高熱が出ましたw

そのとき、うちに住みついてる猫(まだそのときは子猫だった)がいちご用の大きい冷蔵庫に一晩閉じ込められてしまい…(私が熱が出てきつかったので猫がいるのに気づかないで閉めてしまったため)

次の日、冷蔵庫開けたらものすごーく、激しい声で鳴いてたからびっくり!!

猫なのに人間が「助けてくれー」って言ってるみたいに聞こえたw

そのくらい感情がこもってた。


それがきっかけで、その猫は私になつきましたw

閉じ込めてしまったのも私なんですけどね。

ちなみに冷蔵庫って書いてるけど、スイッチは入ってなかったです。

(普段、物置として使ってるほうの冷蔵庫だったので)


それから夏ごろは、自律神経が少し狂い気味で地味にきつかったです。

なんか知らんけど、精神的にも落ち込みがちで、相当暗かったです。

こんなに暗い人やったっけ?で自分でツッコミ入れたくなるほどの暗さだったと思います。


周りにはそんな自分をあまり公表させたくないと思う人間なので、たぶんほとんどの人が誰も気づいてないと思うけど。(いや、気づかないでほしい。けど気づいてもほしい。もし気づいたらそっとしといてほしいという面倒くさい心境)

そういう自分をどうやって切り替えるのか?独りで考えたり、とにかく悶々としがちでした。

(詩っぽいものを書いたりしたのは、精神状態があまりよくなかったせいです。まともなときはそんなの書こうとも思わないw)


毎年、夏はそうなりがちだと思うけど、特に今年はなんかきつかったです。

(夏しかないというプレッシャーと夏の暑さにやられるんです)


そういえば夏ごろにもなぜか高熱が出ましたねw



10月、沖縄旅行へ。

これきっかけでようやく悶々としたものから少しは解放されたと思います。


母には「私は絶対(レンタカー運転)しきらん」とか言われたり、母方の祖母は母に「あんたよく一人で行かせたね~」とか言ってました。

普通の人でもなかなかしないことが出来たという事実は、とても自信になったと思います。


普通の人だったらわざわざしなくても済むようなことでも、私みたいなのはそういうことをあえてやってみる!ぐらいでないと、自信なんてなかなか得られなかったりするんですよねw

(普通の人が普通にやってることがなかなか普通にできない人間なので、逆にそういうところで挽回?しないとやってられないようなところもあると思います)


確か今年は、占いで結構運勢が良い年だったはずなんですよ。

だから、これでも良い年だったんだろうなー、って思います。


来年はあんまりよくないらしいけど、その次がまた良いとか…。

再来年を逃したらもう運が良い年なかなか来ないとか…。(←どこ情報?)


とにかく、来年も自分的に良い年にできるように努力しよう!とは思います。

私の場合は、先に緘黙になったから社会不安が出てきたのか?

それとも社会不安が先にあって緘黙になったのか、どっちなんだろう?と思う。


元々、家以外、家族以外とは喋れないなどという極端なパターンではなかったので、学校(保育園)で緘黙状態がだんだん定着してしまい、学校以外の活動などほとんど経験しないまま成長。


その間に、色々な経験値が他の同年代の子たちは積み上げていったはずなのに…

そんなの華麗にスルーしてしまいました。


そういう経験不足のこともあって、余計に社会不安っぽくなってしまったところもありそう。


緘黙期間が長かったので、今でもまず不安になるのが「ちゃんと言えるかな?」ってことです。


ちゃんとキョドったり、相手が聞き取れないほどの小声になってしまったり、滑舌悪く発音してしまったり、変な早口になってしまったり、長い文章が組み立てられないほど頭真っ白…というようなことになってしまったら、などと想像してしまうことがさらに不安を呼んでしまって、そういう現実を作り上げてしまうんですよね。


「過去、ちゃんと言えなかったこともある」

という現実があるから、緊張してしまうとそういうことになってしまうかもしれない、そしたらさらに恥ずかしいわけで…恥はかきたくないからついついそうなりそうな場面を避けがちになってしまうというわけです。


他の人はどうだか知りませんけど、少なくとも私の場合は黙ることによってそういうことを回避しまくってきました。


黙ってると、黙ってること自体について色々ツッコミを入れられますが、緊張して喋って恥をかくことも少なくなるわけで。


緊張がほぐれて自分が出せるようになると、全然普通の人のはずなんですけどね。

緊張と不安が強いと何事もマイナス思考になってしまったりして、本当ろくなことになっていない…ということを最近自覚してきました。


とにかく、「黙ってる=まだ失敗じゃない」という意識が私の中にはありそうです。

普通に考えて黙ってること自体がもうその時点ですでに失敗なはずなんですけど、私の中では失敗じゃない。まだ何も始まっていない。真っ白な状態。


よく考えたら緘動っていうのも、根っこは同じだと思います。

「自分の意思で考えて動いてる生き物だと思われたくなかった」ので、人から指示されないと自分からは動けないとかそういう理屈です。(私の場合は)


自分から話しかけるのが不安なのも過剰に失敗を恐れているからです。

失敗したくないから黙っていたいんです。

(でも、黙ったままなのも人から変に思われるのは分かってるからそれ自体も苦痛)


社会不安の話に戻すと…

たとえば、私はお店などで注文するときに必要なことをちゃんと言えるのか?不安になります。


何度がそういうこと(苦手な場面)を繰り返していると、ちゃんと言えるときもあります。

(実際、最近ではちゃんと言えるときのほうが多いはず)


あー、なんだ。ちゃんと言えるやん!と思って、安心します。

じわじわ自信も少しは出てきます。


私の場合は、ちゃんと言えると分かってくると、そういう場面も「こんなところで緊張してたまるか!普通の人気取りで何食わぬ顔で買い物してやる!」とか内心思ってきますw


ちゃんと言えれば、別にそういう社会的な場面は怖くない!って思ってきそう。


私の場合は、やっぱり一番は緘黙が問題な気がする。

やっぱり先に緘黙になってしまい、後で社会不安にというパターンかもしれない?

(社会不安の中の症状の一つが緘黙ってことなのかもしれないけど)←ややこしい