インド映画噺

インド映画噺

主に映画の、主にインド映画の、あとその他の小咄を一席。
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インド映画夜話
http://yuurismo.iza-yoi.net/hobby/bolly/bolly.html

Jaya Janaki Nayaka(我らがジャーナキーよ、偉大なれ) 2017年 147分(149分とも)
主演 ベラムコンダ・スリーニーヴァス & ラクル・プリート・シン
監督/脚本/原案 ボヤパティ・スリーヌ
"君を愛している…永遠の、永遠の、永遠に。…その最後の1息まで"

 

 

 大学生スウィーティはその日、同級生アムリヤーを退学に追い込もうとする男ヴィクラムとその手下数十人を、大学構内で一気に跪かせたガガン・チャクラヴァルティー…大企業チャクラヴァルティー・グループの御曹司…親子の活躍を目の当たりにする。

 それ以来、富豪ながら庶民派で男所帯のチャクラヴァルティー家に興味を持ったスウィーティはガガンと付き合い始め、善良ながら表情に乏しく父親絶対で不器用な彼をコーディネート。彼の家のお屋敷のズボラさを矯正するとともに、彼らの生活スタイルも是正して行った。
 スウィーティの計らいによって、ガガンの兄プルドゥヴィの結婚式が盛大に執り行われている間、彼女の父親である交通省大臣JPの所に、高速道路建設計画を持ち込んできた北インド最大の酒造会社社長にしてマフィアボスであるアルジュン・パワールは、国家権力の元による勢力拡大を狙って、自分の息子とスウィーティを結婚させれば建設計画が思い通りに進行できると脅迫する…「両家が1つになれば、貴方の威信が我が家の威信になるのです…そうでしょう?」

 進退窮まったJPは、建設計画におけるパワール家の競争相手である冷酷な実業家アシュウィート・ナーラーヤナ・ヴァルマーを頼って、アルジュンの息子を襲わせて再起不能にする事で娘の安全を確保するが、折り悪くそこに「結婚相手を紹介したい」とスウィーティがガガンを連れてきてしまった。
 喧嘩騒動や路上屋台にたむろするチャクラヴァルティー家の不品行、ガガンの母がすでにこの世にいない事をあげつらうJPが、そんな家の男を家にあげた娘をも叱責し始めると、ついにガガンの拳がJPを襲ってしまい…!!
 「…貴方が父を侮辱した時は我慢した。僕ら家族を侮辱した時も我慢した。母を侮辱した時でさえ我慢した。でも、貴方が自分の娘を『汚らわしい』と罵るのなら、僕はもう我慢しない!!」

 

 

挿入歌 挿入歌 Rangu Rangu Kallajodu (色も景色も偉大なり)

 


ニコニコ タイトルは、「偉大なる我らがジャーナキー」「指導者ジャーナキーに勝利を」みたいな意味?
 「ジャーナキー」とは、「ジャナカの娘」を意味するシーター(叙事詩ラーマーヤナにおけるヒロインで、主人公ラーマ王子の妃)の称号であり、シーターが祭壇工事時の溝の中から生まれたと言うエピソードから、「溝」を意味する単語でもあるとか。そこから、シーターに因み「神に守られる者」「英雄の妻となる者」と言う意味にもなる一般女性名。
 劇中ではオチにタイトル回収的に唐突に出てくる名前なんだけど、そう言う文句が一般に広まってるって事なのか…結婚式の時に使われる一般的フレーズなのかどうなのか? オチの意味を誰か教えてプリーズ。主人公の結婚相手であるヒロイン スウィーティがシーターに重ねられているってのは、わかるんだけど(かつてのタミル・ナードゥ州のジャーナキー政権のスローガンという可能性は……ないか)。

 2005年の「Bhadra(バドラ)」で監督デビューしたボヤパティ・スリーヌ7作目の監督作となる、テルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)アクション映画。

 インドと同日公開で、英国、米国でも公開されたよう。
 のちに、ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある)吹替版「Jaya Janaki Nayaka Khonkar」がネット公開され、7億6千回以上の再生数を記録。マラヤーラム語(南インド ケーララ州、ラクシャディープ連邦直轄領の公用語)吹替版「Njan Gagan」もTV放送されている。

 アクション映画を主に手がける監督によるマサーラーアクション・サスペンスってのが一目瞭然な、ギャング抗争アクション全フリな1本。
 冒頭のヒロインとヒーローの出会いから学園コメディでも始まるのかと思ってた雰囲気は、登場人物紹介パートが終わる頃には全く消え失せ、2大ギャング対決に巻き込まれたヒーロー&ヒロインの戦いを通して、その複雑なシチュエーションへ向かう前口上がやたら冗長に描かれ、その発露としての派手派手な漫画アクションへと帰結していく画面的勢いが120%熱い映像の連続。
 ノリ重視よね、ってハチャメチャ展開はあいかわらずのマサーラー演出を土台にしてるけれど、次々変わる敵味方の状況の中で寡黙な主人公ガガンが、家族の助力を得ながらヒロインであるスウィーティを救いに奔走するのは、しっかりラーマーヤナ構造を踏襲していて潔い。

 監督を務めるボヤパティ・スリーヌ(本名ボヤパティ・スリーニーヴァス)は、1970年アーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県ペダカカニ生まれ。
 写真スタジオを経営する家の生まれで、写真への興味から学生時代に新聞記者のアルバイトを始め、そこから映画へ興味が広がりハイデラバードへと移住。従兄弟にあたる映画監督兼脚本家兼男優のポサニ・クリシュナ・ムラーリの紹介で、映画監督ムトゥヤーラ・スッバイアーの監督作の助監督を務めて映画界入り。
 2005年のテルグ語映画「Bhadra(バドラ)」で監督&脚本デビューし大ヒットさせ、以降、テルグ語映画界で監督兼脚本家として活躍中。
 2014年の監督作「Legend(レジェンド)」でナンディ・アワード監督賞を、16年には同じナンディ・アワードのBN・レッディ・ナショナル(特別監督功労賞)賞、監督作「Sarrainodu(正しき兄貴)」でサントーシャム・フィルムアワード監督作も獲得している。

 家族以外には寡黙で無表情の不器用主人公ガガンというキャラは、主演作3本目のベラムコンダ・スリーニーヴァスの演技力への不安から設定されたものか? とかうがった見方をしてしまう前半だったけど、中盤からの凄惨な抗争劇を体験して心を閉ざしたヒロインに対し、前半にスウィーティ自身から教育された「友達になろう」と言う心の解放をガガン側からスウィーティに行う鏡面対比構造が効果的。
 ま、ロマンスの肝はそこあたりが限界で、あとはとにかく前口上で状況説明がされてる日常または悲劇に対して、突然誰かが狙撃されてアクションシーンへ突入するパターンが延々続く。冒頭の大学を荒らしていた中央大臣の息子ヴィクラムの復讐も何処へやら、2大マフィアの残酷性が爆発すれば、主人公ガガンも「いつかお前を殺す!」と凄んで人殺しも辞さない喧嘩っ早い性格がより状況を激化させていくとこなんかも、アクションシーンを水増ししまっせ、って声が聞こえてきそうなわかりやすい構造ではある。
 印象に残るのは、やっぱり純然とした悪役として人の命を踏み台にして「自らの誇り」を堅持しようとするラスボス アシュウィート・ナーラーヤナ・ヴァルマー(演じるは、名優ジャガパティ・バーブ!)の渋怖い眼光でありましょか。コメディアン不在なまま、色々な悪役に囲まれてヒーロー&ヒロインの前に立ちはだかるパワフルな悪役オーラの中にあって、頭1つ2つ飛び抜けたオーラが、新人スター ベラムコンダ・スリーニーヴァスに対して「倒せるものなら倒してみやがれ!」みたいな存在感で立ちはだかってくるのが不敵で妖しくカッコええ(深読みが過ぎる)。

 


挿入歌 Just Chill Boss (ジャスト・チリー・ボス)

*メインで踊ってるのは、セカンドヒロイン…と言うには出番が一瞬だったけど…ファルグニ演じる女優兼モデルのプラグヤー・ジャイスワール。

 


 

 

 

(。・ω・)ノ゙ JJN を一言で斬る!
「『あいつらは、前からタイソンのように殴り、後ろからバイソンのように蹴ってきた』…被害報告する時も韻を踏む事を忘れないインド人。ナイス・ライム!」


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インド映画夜話

 

Karthik Calling Karthik (カールティク・コーリング・カールティク) 2010年 135分
主演 ファルハーン・アクタル(製作も兼任) & ディーピカー・パドゥコーン他
監督/脚本/台詞/原案/製作補 ヴィジャイ・ラルワーニー
"完璧な仕事、完璧な彼女、完璧な生活。全ては完璧ー"
"ー秘密を抱えて、いられるのなら"

 

 

 子供の頃の悪夢にうなされるカールティク・ナーラーヤンは、今日もいつもと変わらぬ朝を迎えた。
 内向的な彼は、いつも大家からアパートの修理費用を無心されるわ、勤め先の建設会社の書類仕事全般を押し付けられるわ、それでいて顧客契約も持ってこいと命令されるわで心の休まる時もない。唯一、同じ職場にいる美女ショナーリー・ムケルジーの姿を追う事が楽しみながら、入社から4年間、彼女との接点は一切ないまま。

 カールティクは、幼い頃兄からの虐待を受けていたが、両親はそれを信じてくれなかった。ある日、兄に古井戸に落とされそうになった彼は必死に逃げ出したのだが、代わりに兄が井戸に転落してしまい、そのまま命を落としてしまった。その日以降、カールティクは兄の死の原因は自分にあると攻め続けている…。

 ある日、些細な誤解から社長の失敗を自分のせいにされたカールティクは、社員全員の前で罵倒されて解雇を言い渡される。ショックから数日間部屋に引きこもった彼は、睡眠剤の大量摂取で自殺を図ろうとするが、薬を口に入れようとした瞬間に電話が鳴り始める…
『誕生日おめでとう、カールティク』
「…誰ですか?」
『カールティクだよ。君も同じカールティクだろ? たった今睡眠剤を飲んで自殺を図ろうとしていたね。もう死ぬ必要はない。私が来たからには、全てが変わるよ。君の人生を改善させてあげよう…』
「あなたは誰だ? なんの冗談なんですか!?」
『いいから信じろ。私は君のために言っている。君の銀行口座も知ってるし、君が子供の頃につけた顔の傷の由来も説明できる。自分の人生を変えたいと思わないか? 私を信じろカールティク…』
 その日から、午前5時になるとカールティクからの電話がかかってくるが、電話局にはこの電話の通話記録は一切残っていない……

 

挿入歌 Hey Ya! (ねえ、あのさ!)

 


ニコニコ 人生に絶望して引きこもる主人公の元に、主人公と同じ名前、同じ声を持つ男からの電話がかかってくるサイコスリラー・ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある)映画。

 部屋に設置された新商品の固定電話を通して、別の自分が語りかけ、その自分が自分になりすまして知り合いにまで情報操作してくる恐怖を描いて行くと言う、都会人の孤独と恐怖を表現する1本……とまとめてみると、2007年公開作「No Smoking(ノー・スモーキング)」、2008年の「Aamir(アーミルの1日)」、2013年公開作「テーブル21番(Table No. 21)」あたりの路線の映画に近いか。
 ムンバイの会社内や集合住宅内などの密閉空間を主な舞台として、無関心とあたりの強い会話しかない都会人たちにかこまれて精神を摩耗して行く主人公が、悪魔の囁きのような電話の男の指導によって地位も恋人も手に入れる…という前半の展開から「これは、インドのなろう系と違うか?」とか思わないでもなかったけれど、こういう寓話的プロットが後半に「全てを手に入れたはずの男を襲う固定電話の恐怖」として牙を向くのも寓意的。最大限跳ね上がったオチへの期待値ハードルに答えてくれるオチだったかどうかは、人による気もしますが、まあ「おおぅ…!」と衝撃を与えてくれる映画でありましたわ。

 監督を務めたヴィジャイ・ラルワーニーについては、あんま情報が出てこないけど、もともとコピーライターとして広告界に入って来て、広告会社のクリエイティブ・ディレクターで活躍している人のよう。映像製作の仕事を受け持つ中で映画界から声がかかり、本作で長編娯楽映画監督デビュー。大きな評判を勝ち取るも、以降は広告界に戻っているようで、映画&TV界では2019年のTVシリーズ「The Final Call」の脚本を担当したのみになってるよう(2026年現在)。

 同じくコピーライターから映画界に入った主演ファルハーン・アクタル(もっとも、両親ともに映画業界人の家生まれで、映画人になることは既定路線だったかもしれない人ですが)が呼び寄せた、広告ディレクターによる新規映画企画とかだったら大成功な衝撃作で、この路線で色々作ってもらいたい感じもするけれど、「マダム・イン・ニューヨーク(English Vinglish)」のガウリー・シンデー監督、「ニュークラスメイト(Nil Battey Sannata)」のアシュウィニー・アイアール・ティワーリー監督などの広告界出身映画監督の活躍にも影響が出ているのかどうなのか。

 デジタル端末全盛時代において、固定電話と言う「それでも各家庭、各会社、各店舗に1つは置いてあるありふれた家電」から来る得体のしれない相手からの悪魔の囁き、どこまで逃げようとしても固定電話がそばにある限り、その得体のしれない恐怖から逃れられないと言う束縛感は、電話なしの生活を強行しようとした後半の主人公をどこまでも追い続けて行く効果絶大のギミック。
 大切な人には隠し事はしたくない、と言う主人公の善性がやがて周りを巻き込んだ悪意そのものへとつながって行くスピード感も圧巻。電話という、日常に強制的に侵入する外部情報が、同じ声の相手であるが故に本人確認とかの防御策もなく多くの人々の生活を壊して行く様も、皮肉的に面白い構造。そうなんですよ。電話なんて言う生活を勝手に乱す機器ばかり使う奴なんて、信用してたまるもんかー!(←感化されやすい人)

 


挿入歌Uff Teri Adaa (ああ、君の魅力が [君の身体が、君の視線が、僕を踊りに誘ってくる])

 

 

 

 

(。・ω・)ノ゙ KCK を一言で斬る!
「日本製の電話と言いつつ、パッケージに思い切りハングルが書いてありますがなー!(まあ、過去に日本語を指して「この中国語が読めるか?」とか言ってたインド映画があったしなあ…)」


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インド映画夜話

 

Jolly O Gymkhana (私、懺悔します) 2024年 121分(129分とも)
主演 プラブー・デーヴァ & マドンナ・セバスチャン & アビラーミー
監督/脚本/台詞/原案/作詞/カメオ出演 シャクティ・チタンバラム
"死体1人に、女性が4人。1億ルピーはすぐそこに"

 

 

 さて皆様。
 これからお話する物語は、これが起こり得るかどうかを考えず、これが起こったらどうなるかに焦点に当てた物語です。これは架空の物語…整理されたテーマが存在するわけでなく、ただ笑いのための物語。それでは、心行くまでお笑いください……
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 その日、痔に苦しむ神父マルティン・ルター・キングのいる聖ジョセフ教会に、バヴァニという女性が「懺悔したい」と訪ねてきた。

 タミル・ナードゥ州南部、テンカシ県メンニャーナプラムに住むパヴァニは腹話術の達人。妹シヴァニはロボット工学の天才インフルエンサーで、もう1人の妹ヤーリニは筆跡模倣術を得意とする。3姉妹の母親チェッランマは、口を開けばDJ真っ青の弾丸トークで有名な美女と言う家族。
 この3姉妹の祖父タンガサミーはビリヤニ食堂ヴェライカラン・ビリヤニ・ホテルを経営していたが、経営苦から食堂を抵当に入れて街中に新食堂をつくろうと、悪名高い金貸しロケット・ラヴィから150万ルピーの借金をした。
 酔っ払い叔父さんこと叔父ムルゲーサンの協力のもと新食堂は順調に開店したものの、州内選挙を勝った州議会議員アダイッカルラージュの後援組織から宴会依頼を受けて張り切る新食堂に対して、支払いの段になって後援組織は費用を踏み倒し、抗議しに来たバヴァニたちに暴行を加えてきたのだ!
 祖父の入院費用、宴会費用の未回収分に加えて、政治組織と対立した者には金を貸せないから今までの金も24時間以内に返せとロケット・ラヴィから迫られた家族は、入院中の祖父の助言でアダイッカルラージュの腐敗を糾弾する新進気鋭の弁護士ポーンガンドランが近くに滞在していると聞かされ、助力を請いに彼を訪ねにいく事に。
 口八丁で彼の滞在先ホテルの部屋までたどり着いたバヴァニたちだったが、部屋に入って目撃したのは、椅子に座ったまま亡くなっているポーンガンドランの死体だった……!!

 

挿入歌 Police Kaarana Kattikitta (警察と結婚したとしたら)

 


ニコニコ タイトルは、タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)で「一緒に楽しく過ごそう」の意だそう。

 そのタイトルは、2022年の大ヒットタミル語映画「Beast(ビースト)」の同名挿入歌に因む。劇中タイトルでは、下に「NONSTOP NONSENSE(どこまでもナンセンスに)」と出てくる。予告編では「実話に基づく」と出てくるが、本編では冒頭に「笑いを追求した、架空の物語」と明言されている。
 当初、挿入歌作詞を担当していたM・ジャガン・カヴィラージが制作途中で降板。監督のシャクティ・チタンバラムが全歌詞の作詞を担当すると言う騒ぎが起こった映画で、カヴィラージ側は「制作上の問題のため」と説明していて、報道では監督が作詞の完成度への不満を表明して自らやり直したからと伝えられている。

 冒頭でナレーションが語る通り、社会的なテーマとか整然とした映画文法とかは傍において、徹底的にシチュエーション・話芸コメディで押し切った不条理ブラックコメディな1本。
 死体役のプラブー・デーヴァの周りで登場人物が終始右往左往する様を楽しむ映画って意味では、思い切り舞台パフォーマンス的なお話。ツッコミ不在のボケ倒し饒舌コメディもインド映画のお得意とする作りで「そうはならんやろ」の連続を楽しむ、まさに「ナンセンス」の連続。そこにノレるかノレないかで映画の楽しみ方が2分されてしまう作りではある。
 都合よく、腹話術と筆跡模倣術と「死体を生きてるように動かす」ロボット工学のスペシャリストが揃った3姉妹が「殺人容疑がかからないように」死体を隠そうと外に連れ出し、「その死体の口座から大金を引き出せるかも」と言う希望をもとに小細工に小細工を重ねてくる無駄な努力を笑うお話の悪趣味さが、悪趣味には見えないお騒がせコメディに昇華されたノリの軽い楽しさを追求したお話……と肯定的に捉えてみよう。うん。なんと言うか、全体的に鉄板コントネタで繋げた芸人映画のノリが強い。

 語り手であり主人公のバヴァニを演じたのは、1992年(1991年とも)ケーララ州カンヌール県チェールパザのマラヤーリー・シリア・キリスト教会(マラヤーラム語を母語とする、東方典礼カトリック派キリスト教徒の集団)の家に生まれたマドンナ・セバスチャン。
 エルナークラム県アンガマリーで育ち、カルナータカ州都バンガロール(現ベンガルール)の大学で商学士を取得。幼少期から古典音楽と西洋音楽の訓練を受けた歌手兼奏者として活動していて、マラヤーラム語(南インド ケーララ州と連邦直轄領ラクシャドウィープの公用語)音楽界で活躍するディーパク・デーヴやゴーピ・スンデル作曲の歌を担当。TVの音楽番組「Music Mojo」司会を務めたことをきっかけに、映画監督アルフォンス・プトゥーレンの誘いを受けてオーディションに招かれ、2015年の彼の監督作になるマラヤーラム語映画「Premam(恋)」で映画デビュー。SIIMA(国際南インド映画賞)のマラヤーラム語映画新人女優賞他にノミネートされる。同時期公開の「You Too Brutus(君もブルータスだ)」では、挿入歌"Raavukalil"の歌を担当して、バッキングを務めたロビー・エイブラハムと共にバンド"エヴァーアフター"を結成している。
 当初は役者に興味はなかったと言うものの、翌16年に「King Liar(キング・ライアー)」で主演デビュー。「Premam(恋 / 2015年のマラヤーラム語映画「Premam」のテルグ語リメイク作)」でテルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)映画デビュー。「Kadhalum Kadandhu Pogum(愛もまた過ぎ去る / 2010年の韓国映画「내 깡패 같은 애인 / My Dear Desperado」のリメイク作)」でタミル語映画デビューも果たし、「Kadhalum Kadandhu Pogum」でアナンダ・ヴィカタン・シネマアワード新人女優賞を獲得。以降、マラヤーラム語、タミル語映画界を中心に南インド映画界で女優兼歌手として活躍。2021年公開作「Kotigobba 3(一億分の一 3)」でカンナダ語(南インド カルナータカ州の公用語)映画デビュー。2022年からタミル語Webシリーズ「Kaiyum Kalavum(赤い手)」に出演してWebドラマ界にも進出している。

 存在感の強い3姉妹の母チェッランマを演じたのは、1981年(1980年、1983年とも)ケーララ州都ティルヴァナンタプラム(旧トリヴァンドラム)のタミル人銀行員の家に生まれたアビラーミー(生誕名ディヴィヤー・ゴーピクマール。ゴーピクマールは父称名)。
 イングリッシュ・ハイスクールに通いながら芸能活動を開始した後、米国オハイオ州の大学に留学して心理学とコミュニケーションを修了。両親もオハイオ州に移住してヨガインストラクターを始めたため、自身もそのまま米国で就職していたことがある。
 学生時代からTV番組のキャスターを務めていて、それが縁となって映画とTVドラマへの出演オファーが集まり、1995年のアドール・ゴーパラクリシュナン監督作でNHK協賛の印日合作マラヤーラム語映画「マン・オブ・ザ・ストーリー(Kathapurushan)」に子役出演して映画デビュー。TVドラマ出演の中、芸名を1991年のタミル語映画「Gunaa」のヒロインに因み"アビラーミー"に変える。
 1999年の「Njangal Santhushtaranu(僕らは幸せ)」で主演デビュー。2000年の主演作「Vaanavil(虹)」でタミル語映画に、2001年の主演作「Thank You Subba Rao(サンキュー、スッバ・ラーオ)」でテルグ語映画に、2003年の「Laali Haadu(子守唄)」「Sri Ram(スリー・ラーム)」の2本でカンナダ語映画にそれぞれデビューする。その後、南インド映画界で大活躍するも、米国留学のため2004年のタミル語映画「Virumaandi(ヴィルマーンディ)」をもって一旦女優引退。オハイオ州にて多国籍企業のマーケティングディレクターを務めていたと言う。
 その後10年間、タミル語TV番組「Rishimoolam」の司会を務め、数本の映画で吹替を担当するのみだったものの、2014年のマラヤーラム語映画「Apothecary(薬剤師たち)」で女優復帰。2021年のタミル語映画「Maara(マーラ)」で主演復帰、2024年の「Maharaja(マハラージャ)」でSIIMA(国際南インド映画賞)の助演女優賞を獲得。以降も、タミル語映画・TV界を中心に活躍中。

 本作の監督を務めたシャクティ・チタンバラム(本名C・ディーナカラン。本作では名前がShakthiとクレジットされていて、ネットではSakthiとあるけど、スペル違いの同じ発音?)は、1992年のタミル語映画「Kottai Vaasal(城門)」の台本ライター兼端役出演で映画界入りした人。
 その後も台本ライターを務めていく中、1997年の「Samrat / 1993年のヒンディー語映画「賭ける男(Baazigar)」のタミル語リメイク作」で本名のC・ディーナカラン名義で監督デビュー。続く1998年の監督作「Vettu Onnu Thundu Rendu(1回切って、2つに割って)」共々興行不振を招き、2年間の空白期間を置いてシャクティ・チタンバラム名義で3作目の監督作「Ennamma Kannu」を2000年に公開させて好評を得る。この成功を受けて、同じキャストを再結集させて「Mr. Narathar」を製作するも、ほぼ完成していたにも関わらず企画凍結されお蔵入りに。以降、タミル語映画界にてヒット作とフロップ作を繰り返しながら、2002年の大ヒット監督作「Charlie Chaplin(チャーリー・チャップリン)」から作詞も、2006年の監督作「Kovai Brothers」からプロデューサー業も開始。
 2009年の監督作「Rajadhi Raja(王の中の王)」を酷評した女優スハシーニーに対して激しく非難したことがニュースで報じられている。

 死体役で動かない・瞬きしない・急に倒れるプラブー・デーヴァの演技が苦労したのか楽だったのかはさておき、死体を生きてるように振る舞わせる周りの女性たちの右往左往のチヤホヤ具合をプラブー・デーヴァ含むおじさん達が楽しんでるようにも見えてくる映画ではあるけど、ダンサーとしてあらゆる関節を「動かしまくる」プラブー・デーヴァを終始硬直させていく「動かない」演技に集中させていく楽屋落ち的な笑いは、「ヒンドゥー教徒なんですが、教会で懺悔してもいいでしょうか」と実生活ではキリスト教徒のマドンナ・セバスチャン演じる主人公に言わせてる楽屋落ち的なオチともシンクロする脚本的遊びってやつでしょか。そう言う舞台裏ネタ込みでのコメディは、その背景までわかってないと笑えない冗長さを見せてきてしまうけれど、現地でもそこまでウケてなかったと言うのは、面白くなる要素満載なのに何処かで見たような普通さでまとまっちゃった大人しさが見えてしまうせいか。まあ、所々でお話の無軌道さにツッコミを入れる話の聞き役の神父マルティン演じるヨギ・バーブの茶化しあいが、いい感じにお話の無軌道性を修正したりよりボケ倒したりと言うテンポを変則に変えたりしてるのが効果的で、最後まで飽きない笑いを提供してくれているけれど。
 まあ冒頭のナレーションが語ってる通り、コメディに突っ走る話をなんだかんだ分析するのは野暮ってもんで、「死体を、それとバレないように動かして銀行口座からお金を引き出そう」と言うトンデモシチュエーションだけで2時間以上突っ走れる映画の愛嬌そのものが、最大の武器になってる1本ですわ。

 


挿入歌 Vellaikaaran Biryani (ヴェライカラン・ビリヤニを [味わう準備はお済み?])

*3姉妹と祖父、母親、叔父が協力して祖父の新ビリヤニ店を開店させて大ヒットさせるの図。歌タイトル"ヴェライカラン・ビリヤニ"とは、祖父が経営していたビリヤニ店の店名だけれども、「ヴェライカラン」で「白人」の意だそうな。「洋風」とか「欧風」とかって意味? それとも祖父一族の名字?

 


 

 

 

(。・ω・)ノ゙ JOG を一言で斬る!
「プラブー・デーヴァ演じる弁護士の名前、人によって『ポーンガンドラン』になったり『プーングンドラン』になったりしてるけど……同じ音って認識なんだよね???」


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