インド映画噺

インド映画噺

主に映画の、主にインド映画の、あとその他の小咄を一席。
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インド映画夜話
http://yuurismo.iza-yoi.net/hobby/bolly/bolly.html

Chalk n Duster (チョークと黒板消し) 2016年 130分
主演 シャバーナー・アーズミー & ジュヒー・チャウラー・メヘター & ディヴィヤー・ダッタ
監督 ジャヤント・ギラタール
"今日も、あらゆる困難に立ち向かう教師たちを、我々は支持しよう"
"今、手を差し出すのは我々の番"

 

 

 私立カンタ・ベン学園(通称K.B.ハイスクール)は、最近この学校に就任してきた新校長カーミニー・グプタによる経営方針の変更によって教師陣との軋轢が生まれ、自由な校風を狭める彼女の手法を指して教師たちは新校長を「ヒットラー」と呼んでいた。

 教育ビジネスでの大成を目指す理事長アンモール・パレークと結託して、学園を一流のセレブ校に変えようとするカーミニー新校長の強引な改革は、現場の教師たちを疲弊させるばかりで、そのまま自主退職に追い込めば退職金を払わずに済むと笑う理事長と新校長を止められる者もいないまま。
 その槍玉に上がって、授業中にPTAからの苦情申し立てをでっち上げられて解雇を言い渡されたベテラン数学教師のヴィディヤー・サーワントは、ショックから心臓発作を起こして入院してしまった。
 教育改革と称した学校ビジネスの加速に憤る同僚の教師ジョティ・タークルは、ついに白昼全教職員を集会場に召集させ、夫を懐柔して昇進させ自分の口を塞ごうとしたカーミニーに対して不信任案を提出しようと皆に呼びかけるが、職を失うことを恐れる教師陣は、そんなジョティの声にただうつむくことしかしない…。

 

 

挿入歌 Aye Zindagi (あゝ人生よ)

 


ニコニコ タイトルは、英語で「チョークと黒板消し」。学校教員の仕事道具であると共に、書いては消し書いては消しの行為が学校教育方針の迷走と、それに翻弄される教員の人生とシンクロしている事を表すタイトル…?(いらん深読み)

 インドにおける、私立教育ビジネスの加速をテーマにした社会派ヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある)映画。
 本作は、デリー首都直轄領、ラージャスターン州、ウッタル・プラデーシュ州、ビハール州にて免税公開されているそうな。

 自由な校風の私立学校を舞台に、ビジネスライクな新校長による現場無視な経営方針の変更が巻き起こす軋轢を描く映画という事で、予告編から予感はあったけどかなり教条的な映画でありました。ジュヒー&シャバーナー(+1瞬だけのゲスト出演でジャッキー・シュロフ)と言う高名な映画スターを使いつつ、あんまり登場人物たちの背景には注目せず、教育テレビ的な理想的な先生と生徒が悪役側を人情劇で黙らせていく勧善懲悪なお話。その決着にTVのクイズ番組に教員を出演させて雑学勝負させる展開に、同じく学校映画でもあった2021年のタミル語映画「Kamali From Nadukkaveri(ナドゥッカーヴェリー生まれのカマリ)」に通じる「知識人は全知識においてかくあるべし」みたいな知識人像が透けて見える…か?(ホンマか?)

 勧善懲悪な話が映画の奥行きを潰してる感も強いけど、注目ポイントとしてはやはり学校経営の迷走が現場教員たちに与える影響をつぶさに描いている点。
 日本でも深刻な問題になっている現場教員たちの疲弊がインドでも同じような問題を起こしていて、かつ現場教員たちにそれを解決する方法論が何も持たされていない現実を突きつけてくるのは、「日本でもこう言う映画を作っちゃえよ!」って言いたくなる切実さ(探せばあるかも)。
 テーマありきの教条さで押し切ってしまったのが惜しいながら、インド映画界で時々出てくる学校映画が、「教育こそは国の基盤」と言う社会派メッセージを共通して立てながらも様々に教育現場の現実の問題に切り込んでいきつつ、本作においては現場教員たちの苦悩、学校方針に合わせて努力していても上層部や保護者たちから無視され続ける弱い立場である事や、様々な問題に対処しようと認められない教員評価制度における教員たちの疲弊を描いて行って、最終的には教師と生徒の相互的な敬意をこそ解決の道と描いていく映画も貴重ではなかろか。だいたいは主人公格の教師以外はヘイト対象になりがちな教師と言う職業も、1社会人であり1労働者であると言う目線も、学校という現実を観察する1つの指標でありましょか。

 主人公ジョティ・タークルを演じたのは、1967年ハリヤーナー州アンバーラー県都アンバーラー生まれのジュヒー・チャウラー・メヘター(メヘターは結婚後の姓)。
 父親はIRS(国税庁)職員のパンジャーブ人で、母親はタージ・グループのホスピタリティ部門を率いる(?)グジャラート人。幼少期に一家でボンベイ(現マハーラーシュトラ州都ムンバイ)に移住したのち、1984年度ミス・インディアに輝き、同年のミス・ユニバースではナショナル・コスチューム賞を獲得する。
 1986年のヒンディー語映画「Sultanat(帝国)」で映画デビュー。翌1987年のカンナダ語(南インド カルナータカ州の公用語)映画「Premaloka(世界の愛)」と同時製作タミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)版「Paruva Ragam(時代のメロディ)」で主演デビューし、カンナダ語版が大ヒット。1988年のヒンディー語映画「Qayamat Se Qayamat Tak(終末から終末へ)」でヒンディー語映画界でも主演デビューし、フィルムフェアに新設されたLuxニューフェイス・オブ・ジ・イヤー賞を獲得。主演女優賞ノミネートもされて、相手役のアーミル・カーン共々一躍トップスターに飛躍。名コンビとしてもてはやされ、新時代ヒロイン像の先駆者として人気を呼んだ。
 同年には「Kaliyuga Karnudu」でテルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)映画に、翌1989年には「Amar Prem(不滅の愛)」でベンガル語(北インドの西ベンガル州、トリプラ州、アッサム州、連邦直轄領アンダマン・ニコバル諸島の公用語。バングラデシュの国語でもある)映画にもデビュー。以降、モデル出身女優に求められがちなグラマー女優路線を拒否し、コメディ演技を得意とする活発なヒロイン像を武器にヒンディー語映画を中心に90年代に大活躍する。
 1995年に実業家ジャイ・メヘターと結婚。出産を期にそれまでのコメディエンヌからシリアスな役への転換を図るも、興行的には不発が続き、2001年には一時的に女優業から離れたこともある(ただ、公開作は常に年1本以上維持されていた)。そこから、2002年の「3 Deewarein(3つの壁)」や2005年の「My Brother Nikhil(マイ・ブラザー…ニキル)」から再び俳優としての満足感を得たと本人は語る。

 本作悪役の新校長カーミニー・グプタ役には、1977年(1971年とも)パンジャーブ州ルディヤーナー県都ルディヤーナー生まれのディヴィヤー・ダッタ。
 7才時に父親を亡くし、公務員で医者の母親ナーリニー・ダッタに女手1つで弟と共に育てられたと言う。母方の叔父に映画監督兼プロデューサーのディーパク・バーフリーがいる。
 幼少期にパンジャーブ反乱(1980年代半ば~1990年代半ばに起こったシーク教徒の自治独立を求める武装闘争。当初は平和的であったものが、1984年のインド軍の武力鎮圧によって過激化した紛争)を経験している。
 スターダスト・アカデミーにて演技を特訓。アカデミー出身者で作られた未公開映画出演を経て、1994年のヒンディー語映画「Ishq Mein Jeena Ishq Mein Marna(愛による生と死)」で正式に映画&主演デビューを果たし、続く1995年の助演作「Surakshaa(保護)」がノルウェーとスウェーデンで大ヒット。1999年には「Shaheed-e-Mohabbat Boota Singh(殉国と愛 - ボータ・シン)」でパンジャーブ語(北西インド パンジャーブ州の公用語でシーク教の聖典に使用されている言語。別名パンジャービー。パキスタンでも最多言語人口を持つ言語)映画に主演デビューもして、大ヒットさせている。2000年の「Basanti(春の娘)」でネパール語(ネパールと、北インドのシッキム州の公用語)映画デビュー、2002年には「Game(ゲーム)」でタミル語映画デビューもしている。以降、ヒンディー語映画を中心に活躍中。2005年から始まるTVドラマ主演作「Shanno Ki Shaadi(シャンノーの結婚 / ハリウッド映画でのちにTVドラマ化もされた「マイ・ビッグ・ファット・ウェディング(My Big Fat Greek Wedding)」の翻案もの)」以降、TVドラマ界にも活躍の場を広げている。
 数々の映画賞にノミネートされる中、2004年の「Veer-Zaara(ヴィールとザーラ)」でZeeシャイン・アワード助演女優賞他多数の映画賞を獲得。2017年の「Irada(意図)」ではナショナル・フィルム・アワード助演女優賞も贈られている。

 監督を務めたジャヤント・ギラタールは、本作が5本目の劇場作品監督作。
 幼い頃から映画界を志望していて、1度銀行員として働き始めたもののすぐに仕事を辞め、K・ラヴィシャンカール監督のもとで助監督として働き始め頭角を表す。
 1994年放送のTVシリーズ「Akbar Birbal」で監督デビューして大ヒットさせ、Zee TVによる67言語もの翻訳版が作られると言う前代未聞の記録を樹立。1998年には、名優ミトゥン・チャクラボルティを主演に迎えた「Himmatwala(勇者)」で劇場公開作の監督デビューを果たしている。以降、ヒンディー語映画・TV界で監督、脚本家、プロデューサーとして活躍中。本作で、アイルランド・インド映画祭の作品賞ノミネートされている。

 問題に対処するために最初に立ち上がる、ジュヒー演じるジョティが、幼い頃から文武両道、何事につけても器用にこなす能力を持っていることがアピールされる映画冒頭なんかは、ある意味でマサーラー映画文法と言ってもいいかもだけど(劇中、化学実験を指導してるシーンはあったけど、専門はなんの教師なんだろう…。小学生にも教科別に教員がついてる学校だったけども)、学校経営のスポンサーや保護者からも軽んじられる教員と言う立場から、生徒を一人一人面倒を見つつ、同僚教員たちのサポートも行いつつ、理不尽な改革を強行する校長や理事長と渡り合って行こうとして孤立していく姿も悲哀を醸し出す姿。有象無象のインド映画の中でも悪役やコメディ役で描かれることの多い教員と言う職業に関して、インドにおける教員のイメージが「尊敬すべき仕事」「強権的で胡散臭い存在」「子供の人生を左右する擬似親」「子供の壁となって邪魔する存在」と善悪両極端に描かれがちな状況であることそのものを糾弾しているようでもある。教育の理想や教育ビジネスの加速に翻弄される教員たちが、不当に道化扱いされる現状に一石を投じたいと言う映画が、日本でも増えることを期待したい1本ですわよ。

 


挿入歌 Jingle Bodmas (数式の優先事項)

 


 

 

 

(。・ω・)ノ゙ CnD を一言で斬る!
「教師たちが、職員室とは別に集会場ってところで会議(立ちっぱなしで)してたけど、それはこの学校独自のやり方のなのか、インドの学校はそういうものがあるのか?」


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インド映画夜話

 

Ye Maaya Chesave (どんな魔法をかけたの?) 2010年 155分(162分とも)
主演 ナーガ・チャイタニヤー & サマンタ
監督/脚本/出演 ガウタム・ヴァスデーヴ・メーノーン
"あなたの事が好き……でも、これ以上のことは望まない"
"友達のままでいましょう"

 

 

 この世の中にはたくさんの女性がいるのに、なぜ僕はジェシーを愛しているのだろう?
 その日、教会で執り行われたジェシーの結婚式に参列するカールティクは、彼女を正視できないまま苦しんでいた。なぜ彼女は「私たちが結婚したら、幸せになるね」と言ったのか。カールティクは彼女の自由な心を愛していたのに……「僕たちは、誰を愛するのかを事前に決めなくてはいけないなんて…」
***************

 ハイデラバードの大学の工学部を卒業してエンジニアの仕事を探していたカールティクは、その実映画監督を志望して、親友クリシュヌドゥ(別名クリシュナ)のツテを使って映画業界で職探しをしていた。
 そんなある日、自宅の上階に住むマラヤーリー・クリスチャン(マラヤーラム語を母語とする東方教会所属のキリスト教徒)家族の娘ジェシーの美貌を垣間見て、一目惚れしてしまう。その日から密かに彼女を追いかけたり、影から見守りつつなんとか仲を縮めようとするカールティクの不器用なアプローチが続くある朝、出かけようとする彼女に同行するカールティクは、話の勢いから「弟みたいに思われるのは嫌だな…だって僕は……君を愛しているから」と口走ってしまう。
 厳格な父親の前で異性と口を聞いていたと知られればタダではすまないと語るジェシーは、カールティクのプロポーズに怒りの目を向け、そのまま彼の前を立ち去ると、以後姿を見せなくなってしまう。

 自分の言動を後悔するカールティクは、妹から「ジェシーは、おばあさんに会うため両親の実家のあるケーララ州のアレッピー(別名アーラップラ)に帰省している」と聞き付けるや否や、クリシュヌドゥを連れて一路アレッピーへ旅立って行く……。

 

 

挿入歌 Manasaa (私の心を [私は何度も何度も探ってる])

 


ニコニコ タイトルは、テルグ語(南インド アーンドラ・プラデーシュ州とテランガーナー州の公用語)で「貴方は、どんな魔法をかけたの?」の意だそう。
 劇中で、主人公の親友クリシュヌドゥ(芸名そのままの役名で出演してるテルグ人俳優!)がいうセリフとして出てくる。

 同時製作で、シランバラサン&トリシャー主演のタミル語(南インド タミル・ナードゥ州の公用語。スリランカとシンガポールの公用語の1つでもある)版「Vinnaithaandi Varuvaayaa(私のために、空を飛んでこれる?)」も作られているロマンス映画(この映画にて、主人公が監督する映画の劇中劇に本作主演のナーガ・チャイタニヤー&サマンタがカメオ出演していて、本作ではその役をタミル語版主演のシランバラサン&トリシャーが演じている)。
 2012年には、本作監督ガウタム・ヴァスデーヴ・メーノーン自身によるヒンディー語(インドの連邦公用語。主に北インド圏の言語。フィジーの公用語の1つでもある)リメイク作「Ekk Deewana Tha(狂った恋人たち)」も公開。

 のちのテルグ語映画界で大活躍するサマンタの映画デビュー作であり、映画批評サイト フィルム・コンパニオンにて「この10年中のテルグ語映画ベスト25」の1つに選出されている映画。

 初恋から始まる、不器用で一途な恋愛模様の美しさを詩的な爽やかに描いていく青春讃歌なロマンス映画の傑作。
 タミル語映画界の名優シランバラサン&トリシャーと言う映画スターを用いた「Vinnaithaandi Varuvaayaa」に対して、全く同じ物語でありつつデビュー間もないナーガ・チャイタニヤーと映画デビュー作になるサマンタと言う新人を起用した新人お披露目映画という対比構造も秀逸(男主人公を演じてるのが、映画一族出身の役者と言うのも共通なのは、意識されたことなのかどうなのか?)。それぞれで、物語を補完する形でのゲスト出演でタミル語版とテルグ語版が関連づけられ、お互いに主人公が劇中で作っている劇中劇に見えてくる構造になっているお話も、リメイク文化旺盛なインド映画界ならではな発想。早速タミル語版もチェックして見たくなる粋な計らいですわ。

 その爽やかな初恋の喜怒哀楽をどこまでも美しく切り取る、自由恋愛への憧憬をこれでもかと表現する画面の美しさを増幅させるように、これが映画デビュー作とは思えない堂々としたスターオーラを発揮するサマンタのたくましき眼力も、その将来の活躍を彷彿とさせる映画の武器になってる点も注目ポイント(声は歌手兼声優のチンマイの吹替だけども)。この主役コンビ、これが縁になったのかどうなのか、劇中と同じ異教徒同士のカップルとして世間を賑わせた後結婚しているのも色々と示唆的で、本作における本編と劇中劇の2重構造演出を強化させるかのような瓢箪から駒エピソードですわ(でも結局、2021年に離婚してるんだけど)。

 その主役カールティクを演じた(アッキネンニー・)ナーガ・チャイタニヤーは、1986年アーンドラ・プラデーシュ州都ハイデラバード(現テランガーナー州内にある、両州の共同州都)生まれ。
 父親は映画一族アッキネンニー家出身の映画スター アッキネンニー・ナーガルジュナ。母親も映画一族出身のラクシュミー・ダッグバーティになる、ダッグバーティ=アッキネンニー家の一員(ただし、両親は1990年に離婚)。テルグ語圏を代表する名優アッキネンニー・ナーゲスワーラー・ラーオを始め父方、母方双方に著名な映画人が多数連なっている。
 幼少期をタミル・ナードゥ州都マドラス(現チェンナイ)で過ごし、ハイデラバードの大学に通う間に俳優を志してムンバイで演技特訓。米国留学してロサンゼルスでも発声・演技・武術特訓に1年間を費やした後、2009年のテルグ語映画「Josh(熱意)」で映画&主演デビューして、フィルムフェア・サウスのテルグ語映画新人男優賞他を獲得。続く本作と「Vinnaithaandi Varuvaayaa」でサウス・スコープ・アワード主演男優賞他も獲得している(この2本でフィルムフェア・サウスのテルグ語映画主演男優賞ノミネートされてもいる)。以降、批評家から賛否両論されながらもテルグ語映画界で活躍中。アイドル的な人気を勝ち取っていく。
 2015年に本作ヒロインを演じたサマンタと結婚してヒンドゥー式とキリスト教式の結婚式を行ったと報じられている(が、2021年に離婚)。
 2022年には「Laal Singh Chaddha(ラール・シン・チャッダー)」でヒンディー語映画デビューもしていて、2023年にはWeb配信ドラマ「Dhootha(配達人)」に主演。2024年には女優ソビータ・ドゥリパーラーと再婚している。

 監督を務めたガウタム・ヴァスデーヴ・メーノーン(略称GVM)は、1973年ケーララ州パーラッカード県オッタパラム生まれ。
 父親がマラヤーリー(マラヤーラム語を母語とする集団)で、母親がタミル人になり、タミル・ナードゥ州都マドラス(現チェンナイ)のアンナ・ナガル地区(別名ナドゥヴァッカライ)で育つ。
 機械工学の学士号を取得する間、同級生たちと映画脚本を作り始めて映画監督を志望するようになるも、母親から広告カメラマンになるよう勧められ、撮影監督兼映画監督のラジーヴ・メーノーンの助手を経て、彼の監督作である1997年のタミル語映画「Minsara Kanavu(電撃的な夢)」で助監督(&ノンクレジット出演)を務めて映画界入り。
 自身で企画した映画企画「O Lala」を元に映画製作準備に入るも、プロデューサーにタイトルを「Minnale(灯り)」に改題するよう迫られた他、新人ばかりのスタッフ編成に不安を感じた主演予定のR・マーダヴァンから「マニ・ラトナム監督にストーリーを読み聞かせてほしい」と提案されて重圧に苦しめられたと言う(結局、マニ・ラトナムの好意により読み聞かせは実現したものの、好評を得られなかった。しかし、後にマーダヴァン側から「申し訳なく思った」と謝罪が入って企画が継続されたそうな)。
 2001年、数々の苦難を経験した上で「Minnale」が公開されるや大ヒットを記録。同年に、R・マーダヴァン主演続投のままヒンディー語リメイク作「Rehnaa Hai Terre Dil Mein(君の心のなかに住んで)」も監督してヒンディー語映画デビューもしている(ただ、こちらでもプロデューサーから横槍が入って、脚本の大部分を歪められたためにヒットしなかった監督は語る。後に再上映されるや人気作となった)。
 2003年の監督作「Kaakha Kaakha(守るために)」の大ヒットに乗って、そのテルグ語リメイク作となる2004年の「Gharshana(衝突)」でテルグ語映画監督デビュー(その他、「Kaakha Kaakha」はヒンディー語リメイク作「Force(フォース)」、カンナダ語リメイク作「Dandam Dashagunam」も別監督の手で公開されている)。
 以降、タミル語映画界を中心にこの3言語映画界で活躍。監督作の多くでカメオ出演、吹替声優を演じていたりもして、2008年の「Vaaranam Aayiram(千頭の像)」でナショナル・フィルムアワード人気作品賞を、2010年の本作でナンディ・アワード脚本賞他を獲得してから、数々の映画賞、功労賞を贈られている。
 2011年のアンジャナ監督作「Veppam(心)」でプロデューサーデビュー。2019年からWeb配信ドラマ「Queen(クイーン)」の監督を務めてドラマシリーズにも進出。2018年のタミル語映画「Goli Soda 2(マーブル・ソーダ2)」で主役級デビューしてから俳優活動も本格化させている。

 異教徒同士の恋人関係と言う物語を強調するように、ヒロインの実家をキリスト教東方教会発祥の地ケーララに置いて、映画の中盤に風光明媚なケーララ州アレッピーを舞台にする旅行ムービーとしても機能するように映されていく。
 映画冒頭のヒロインの結婚式を参列席側から見守る主人公という場面が、映画ラストにつながる「卒業(The Graduate)」的な展開をするのかと思ってたこちら側の思惑は、映画中盤に結婚式シーンが出てくることで「さらに先があるのね!」って驚きと共に霧散し、そこから失恋を通した人生再生劇、異教徒、年齢差、仕事と人生設計と言うインドの恋愛劇について回る壁を1つ1つ確かめるようにしながらより詩的人生劇の美しさを加速させていく語り口の目配りの良いサービス精神のスキのなさが美しい。
 自分の失恋譚を初監督作の物語に選ぶカールティクが、映画冒頭から恋に浮かれるたびに「柵を飛び越える」所作を繰り返していくが如く、様々な困難を自分から飛び越えていくたびに少年から大人へと変わっていくように顔つきも変わっていくように見えていく映画マジックも麗しい。そんな計算された演出の静かな目配りが、初恋に翻弄されていく若い2人を見守るように映像を紡いでいくのも、劇中のカールティクが抱く「痛々しくも大事な初恋の思い出」を表現しているようでもあって、どこまでも映像の二重構造が深掘りされていくようでもあるのも常習性を強めていくよう。

 タミル語版とラストの展開が違うということなので、早速にチェックしたくもあり…初恋を通した人生の美しさに全振りしている本作の麗しさをこのまま味わっていたいようでもあり……美しい映画であるが故に、別バージョンを覗く勇気がなかなかに悩ましくわきあがりますよホント。完全に製作者たちの思惑にハマりまくってますわー!

 


挿入歌 Aaromale (ああ、愛しの人)

*音楽監督A・R・ラフマーンが、依頼された挿入歌以外に「マラヤーラム語の歌が必要では」と監督に提案して作った歌。"アーロマーレ"と言う曲タイトル自体もマラヤーラム語のラブソングで頻出する単語である。
 ヒンドゥスターニー音楽のラーガ"バゲシュリ"を基にした旋律、歌を担当するアルフォンス・ジョセフ自身が弾くギターの転調技術が大きな人気を呼んだ歌。

 


受賞歴
2010 Filmfare Awards South 女優デビュー賞(サマンタ)・音楽監督賞(A・R・ラフマーン)・撮影賞(マノージ・パラマハンサ)
2010 Santosham Film Awards 音楽監督賞(A・R・ラフマーン)
2011 CineMAA Awards 監督賞・女優デビュー賞(サマンタ)・撮影賞(マノージ・パラマハンサ)・音楽監督賞(A・R・ラフマーン)
2011 Nandi Awards 脚本賞(ウマルジー・アヌラーダー & ガウタム・ヴァスデーヴ・メーノーン)・女声吹替賞(チンマニ / サマンタの声担当)・批評家選出特別賞(サマンタ)
2011 South Scope Awards アルバム賞・読者選出アルバム賞・BGM賞(A・R・ラフマーン)・男性プレイバックシンガー賞(ヴィジャイ・プラカーシュ / Ee Hrudayam)・女性プレイバックシンガー賞(シュレーヤー・ゴーシャル / Vintunnaava)・作詞賞(アナンタ・スリーラーム / Vintunnaava)・期待のヴォーカリスト賞(ベニー・ダヤル / Vintunnaava)
TSR-TV9 Film Awards BGM賞(A・R・ラフマーン)
MAA Music Awards 男性プレイバックシンガー賞(ヴィジャイ・プラカーシュ / Ee Hrudayam)・女性プレイバックシンガー賞(シュレーヤー・ゴーシャル / Vintunnaava)
Nokia BIG Ugadi Music Awards 期待の作詞家賞(アナンタ・スリーラーム)・歌曲賞(A・R・ラフマーン / Kundanapu Bomma)

 

 

(。・ω・)ノ゙ YMC を一言で斬る!
「『映画のアシスタントなら、誰でもできる仕事だよ』って言ってたけど、ホントにぃ?(ほら、黒澤明は『助監督はうまい飯が作れるヤツでないと』みたいなこと言ってなかったっけ?)」


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インド映画夜話

 

Angalo Yo Maya Ko (愛と許しを胸に)  2011年 143分
主演 プラシャント・タマン(歌も兼任) & ハルシュカー・シュレスタ
監督/脚本 ヴィノード・セレン
"神様も、私のことなど忘れてしまったのよ"

 

 

 ある男が、警察と共に墓参りに現れた。
 警察官が「なぜ毎年、このお墓に花を供えにくるのですか?」と男に聞くと、男は個人的な事と断ってから語り出す…「このお墓には、私の目を開かせて真実を見せてくれた人物が眠っているのです…」
***************

 インドのシッキム州都ガントクに住むシュラッダーは、高校を首席卒業して地元のシッキム・マニパル工科大学に入学する。
 その大学には、乱暴者として有名なアカーシュが通っていて、シュラッダーの入学直後もいきなり暴力事件を起こしてくるのだった。
「やめなさい! 貴方は喧嘩するために大学に来たの? 貴方のご両親が、どれほどの期待を込めて大学に貴方を通わせているか、考えたことがないの!?」
 シュラッダーに制止されたアカーシュには、自分の生い立ちを振り返らされる彼女の言葉が突き刺さり、何も言い返さぬままにその場を去ってからは、親友であるジャスミンの言葉すら届かなくなっていく…。

 そんなある日、いつも同級生たちの溜まり場になっている大学構内の軽食堂の店長との世間話で、店長の娘が事故で視覚障害者になっていて、その手術代も捻出できないと嘆いていることを知ったシュラッダーは、大学内でのチャリティコンサートを企画してその手術代を集めようとする。
 そのイベント当日。真っ先に多額の募金をしようとした実業家スーリヤ・プラタープを前に、突如アカーシュが出て来て「慈善家気取り」だとスーリヤを罵り始めてしまい、教授やシュラッダーが割って入る事態に。
「貴方のご両親に同情してしまうわ。…こんなくだらない品性の持ち主を息子と呼ばなければならないんだから。なんて可哀想」
「その通りだ。俺の両親は不幸な奴らだ。その不幸な父親が……ここにいるスーリヤ・プラタープなんだからな!」


主な登場人物 ()内は役者名
ラン・バドゥール (プレーム・スッバ) シュラッダーの父親。本編の語り手。
警察官 ラン・バドゥールの墓参りに付き従って来た警官。

ダネイ シュラッダーの家の使用人。音的には「ダーニー」とも聞こえる。家畜や畑仕事ばかりの人生に飽き飽きしている。シュラッダーの兄貴分でありまた弟分的な存在。
シュラッダー (ハルシュカー・シュレスタ) 本作主人公。高校主席で大学入学。子供達への教育の大事さに注目して、近所の子供達のための簡易的な塾を自宅で開いている。夢はキャビンアテンダントになる事。
シャシー シュラッダーの母親。
サニー 大学の軽食堂の小間使い。
軽食堂の親父 大学構内の軽食堂の店主。成長した息子に軽食堂店主である事を軽んじられ、娘は事故で視覚障害者になってしまって手術代を欲している。
ハリ 大学のシュラッダーの友達。
アカーシュ (プラシャント・タマン) 富裕層の家で育った大学生。本作のもう1人の主人公。乱暴者として有名で、何度も大学構内で暴力事件を起こしている。名前は「アカース」とも聞こえる。
ウッジャル 大学の新入生。入学したその日にアカーシュに目をつけられ喧嘩になる。夢は世界を飛び回る歌手になる事。
ジャスミン (ビジャヤター・バライリー?) アカーシュの友達の大学生。アカーシュと共に麻薬常習者。
アディティ シュラッダーが放課後に面倒を見ている生徒の1人。成績優秀ながら片足が不自由なため、安価なシュラッダーの教室以外に学校に通えていない。
キリスト教徒の女性 シュラッダーの家にキリスト教への改宗を進めに来た女性たち。
アカーシュの養育係 アカーシュの父親に雇われて、亡くなった彼の母に代わり彼の身の回りの世話をしている。その過保護ぶりと父親の不干渉ぶりに嫌気がさしているアカーシュからぞんざいに扱われている。
スーリヤ・プラタープ アカーシュの父親。富裕層で、何不自由ない暮らしをアカーシュにも与えているが、自分で子育てしたことなく、親子関係は冷え切っている。
シュリスティ 大学のシュラッダーの友達。
ナーヴィン 大学のシュラッダーの友達。
ジャスミンの叔父
レーカー 大学の軽食堂店主の娘。事故で視力を失っている。
医者 交通事故で搬送されたアカーシュの治療担当。
アカーシュを搬送した男 アカーシュの交通事故を見て、大怪我したアカーシュを病院まで搬送し、輸血まで願い出た男。キリスト教徒で、アカーシュの様子を見て改宗を提案する。
パンパ シュラッダーの姉。
パンパの夫 酒乱で暴力的。赤ん坊の子供の病気に、占星術師を呼んで祈祷させようと放置していた。
ティカ・プラサード シュラッダーの叔父。シュラッダーを狙う甥っ子の手伝いのため、彼女の父親に色々と吹き込み、シュラッダーの改宗を邪魔しようとする。

 

挿入歌 Fariya Ra Choli

 


ニコニコ タイトルは、ネパール語で「(無条件の)愛を抱きしめて」の意?
 当初、2011年(ビクラム暦2068年)にインドのシッキム州で公開されたネパール映画。その後(2017年?)にネパール国内でも公開されているよう。

 シッキム州都ガントクを舞台に、牧歌的な大学生の悲喜交々を描く青春映画ながら、前半は親子関係の断絶に荒れるアカーシュの悲哀をヒロイン シュラッダー視点で、後半はそんなアカーシュを叱責していたシュラッダーに降りかかる絶望をも並列的に描きながら、人生の浮き沈みのままならなさへの救済としてのキリスト教への献身を直接的に描くところなんかは、インド映画でもあんま見ないお話の展開具合で「へえ」って感じ。

 歴史的にネパール人移民が多く居住し、州の多数派になっているシッキム州は、ネパール語、タマン語、ネワール語などのネパール国内の言語が多数公用語認定されている地域でもある。
 ネパール人にとっても外国に感じない外国みたいな土地ってことなのか、映画は特別にシッキムらしさをアピールすることなく、自然にネパール人たちが生活していろいろに活動している様を見せてくる。ネパール本国と共通する劇中の高山地域の絶景が、実際にシッキムで撮影されたものなのかは分からないけど、前に見たシッキムロケ映画「Kathaa(カーンチャとクマリの物語)」とも共鳴するような美しい風景の数々は、大画面で見ると格別だろうなあ…とは思えてくる。

 やや音がぶつ切りの上にラストが切れているものを見ていたので、詳しく映画の内容をつかんでいる自身はないけれど、まあお話は青春劇の悲喜交々の中で感情をダイレクトに説明してくれるので、分かりやすいとともに説教くささも感じてしまうものにはなっている。
 前半のアカーシュのグレ具合なんか、親に構ってくれサインを出してる甘えん坊にしか見えないので、主人公シュラッダーと同じく「なにをそんな、ふさぎこんでんのか」と言いたくなるのは、家庭崩壊を経験していない「恵まれた側」の意見だろか。
 それを救済してくれるのが聖書との出会いであり、キリスト教の「赦し」によって精神的に安定するアカーシュに促されて、周りの人間もすぐ聖書の影響を受けて真面目君に変化していく正直さがなんとも。シュラッダーたちがネパール社会において、どの辺のどんな少数部族社会と関わりがあるのかいまいち分からない身ながら、特に宗教的・伝統的しがらみを見せない大学生たちの「善良であろう」と言う素朴な姿勢が、シッキムののんびりした牧歌性を見せてくれていて、大学生活では色々と後輩いじめがあるらしいインドの大学より、ネパール人たちの大学の方が過ごしやすそうには見えて来ますわ。そんな中で暴れん坊学生やってるアカーシュの不良っぷりは、素直と言うか朴訥なグレ具合なので、反抗期の中学生っぽいのが可愛らしいと言うか、グレ具合が足りないというか…(いやまあ、同級生としてあんなのがいたら、近づかないで周りと同じく他人のふりしときますけど)。

 そんなアカーシュを演じているのは、1983年インドの西ベンガル州ダージリン県都ダージリンのグルカ系家庭に生まれた、プラシャント・タマン。
 学生時代に警官だった父が事故死してしまい、学校を辞めて父の後を継ぐ形で警察隊に入団して警察楽団で活躍する。特別な音楽教育を受けたわけではないにも関わらず、上司の勧めで2007年のタレント発掘TV番組「Indian Idol 3 (インディアン・アイドル3)」のオーディションに参加(TVショー参加のための休暇申請も問題なく通ったんだとか)すると、そのまま歌手部門で勝ち上がり、一躍世界中のネパール系の人たちの中での有名人になる。その後援を受けて堂々優勝し、ネパール~西ベンガル州…いわゆるグルカランド(ネパールの山岳民族が多く住む地域で、インド独立後に自治州を目指した分離独立運動が盛んだった)…などで多くのファン、支援者、後援者を生み出した(一部で、ラジオDJのグルカ人揶揄発言を巡っての熱狂的ファンによる暴動まで起きている)。
 「Indian Idol 3」優勝後、ファーストアルバム「Dhanyavad(ありがとう)」を発売してワールドツアーを敢行。歌手として映画挿入歌を担当するようになり、歌も担当した2010年のネパール映画「Gorkha Paltan」で主演デビュー。映画の大ヒットによって、映画俳優としても活躍して行くことになる。本作は、その次になる2本目の主演作。
 2026年、ニューデリーの自宅にて心臓麻痺により搬送され、そのまま物故される。享年43歳。

 聖書による救いによって、麻薬ジャンキーだったアカーシュとジャスミンもすぐ品行方正な青年になるし、アカーシュの家庭崩壊も解決して父親と和解しあうのが早すぎだろ、ってツッコミも、ヒロイン シュラッダーの改心による奇跡と頑固な父親との宗教的対立の氷解が一瞬で描かれているタメなし脚本の素直さに無効化されてしまう感じ。最大の障壁となる父親の頑固さを受けた親戚のおじさん連の喧嘩っ早さが、無理やりな悲劇をへとお話を引っ張って行くのも「ネパール映画は、やっぱ悲恋が好きなのねえ」って感じではあるけれど、そもそもお話そのものが冒頭に墓参りに来ている父親が語ることとして描かれてる時点で、結末は自明の理ってやつだったんデスヨネ。ソウデスヨネ。
 プラシャント・タマン主演作としては、デビュー作の前作「Gorkha Paltan」ほどの人気作にはならなかったと言うけれど、シッキム人的にはどんな感じで受け止められたのやら。そっちの反響も気になります!。

 


挿入歌 Mero Jeewan

 


 

 

 

(。・ω・)ノ゙ AYMK を一言で斬る!
「アカーシュの腕に掘られた漢字タトゥー『力』に放射状のフレーム、『概率风◯汉特』はなんの文言なのー!!??(◯部分は、こざと偏に、上にひとがしら、下に豆の口部分がないやつみたいな簡体字)」


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インド映画夜話