かねてより闘病中だった

父が永眠しました。

 

先月、抗がん剤治療が打ち切られ

自宅療養となり・・・

 

それでも諦めなかった父は

温熱療法を選択。

 

生きることを選択し続け

その選択を支える主治医にも出逢えました。

 

自宅療養を希望し、選択した父を尊重し

24時間看護してくれた母のおかげで

 

私たちは看取りにも立ち会えました。

 

このご時世

すごい貴重なことなんだと思います。

 

さらにすごいのは

韓国からオンラインで看取った弟。

15年ぶりの再会で看取った弟。

(私には弟が2人います)

 

 

 

 

妻、兄弟、孫、、、

きっと多分、一番逢いたかっただろう

家族が勢ぞろいして看取れたこの奇跡に感動してます。
 

子どもたちには

冠婚葬祭、看取りの場まで

父のおかげで体験できました。

(父の結婚式が、初の参列だった)

 

なかなかできないことだわなーてへぺろ

 

父はすごいものを見せてくれた。

お葬式やお通夜にも

慕ってくれた方々がたくさん来られた。

 

 

父の生きたいという想いは、半ばだったけど

 

残された私たちがどう生きるか

そして、どう死んでいくのか

 

すごい宿題を出されたぞ。

そんな氣がしています。

 

 

 

 

 

 

 

それにしても

ある程度、覚悟できてたこととは言え

やっぱ悲しいなー笑い泣き


淡路島に来た当初に比べると

コロナだったり再婚したりで

頻繁に会うことも

連絡することも減ってたけど


どれだけ離れてても

ずっと心の支えだったから

 

それは今も変わらないけど

やっぱ寂しい悲しい

 

 

 

 

 

あー。

やっと書けた。

 

抑圧するクセが

ここでも勃発する。

 

寂しい、悲しい

 

と、表現したらいいだけなのに

 

いろんな言葉が浮かび取り繕おうとする。

 

ずっとブログが書けなかったのも

次から次へと、弁護擁護する意味不明な言葉が出て

何書きたいか、何を伝えたいのか

わからなくなっていた。

 

ややこしい性格だわ、ほんと。

 

でも、これが私だ。

 

無理に直さなくていい。

 

こんな自分ごと

受け止めて前に進んでいけば良い。

 

 

3年前に、父が来島。

一緒に見た淡路島の夕陽。

 

 

亡くなる前日、まだ話せたとき

 

みちこやで、わかる?

と言ったら

 

何処のべっぴんさんかと思ったわ。

って。

 

意識朦朧としていた父の手で

私の頭をなでてもらった。

 

小さい私が喜んでいた。

 

 

 

翌日に子どもたちを連れ

逢いに行ったのが

最期になってしまったけど

 

最期は穏やかに

ゆっくりと呼吸が止まり

 

苦しみから解放された

穏やかな顔だった。

 

本当によく頑張ったと思います。

 

 

 

 

今回、在宅医療や介護保険のことで

わからないことが勃発しまくったてへぺろ

 

介護のことはわかってたつもりでいたけど

ぜんぜんわかってなかった。

 

各方面のスペシャリストへ

いろいろ相談させてもらいました。

 

温かい言葉やアドバイスやたくさんもらって

本当にありがとうございました。

 

 

そして、行きたいときに逢いに行けて

悲しむときはちゃんと悲しめる。

 

夫と子どもたちに

この環境に感謝しています。

 

 

先週、葬儀が終わり、自宅に戻ってきました。

今は少し落ち着いて、一気に脱力。

 

久しぶりに

瞑想とレイキをしたけれど

雑念、煩悩だらけでニヒヒ

 

まぁ、これもよき。

 

今月は、公私ともども

いろんな予定があったけど

 

忘年会に、太鼓のレッスン

ランチ会に、講座にと・・・

 

今週はすべてキャンセルさせていただいて

ゆっくりと過ごそうと思います。

 

来週からぼちぼち動くわ。

 

年越しそばダシのレシピ&キットはやります。

ちょっと待っててね。