タイトル忘れちゃったんだけど

だいぶ前に読んだ

養老孟司さんの本に

 

頭は都会

身体は田舎

 

って箇所があってね。

 

面白いなぁと思ったの。

 

顔のパーツも、髪質も、指紋だって

1人だって、まったく同じ人はいない。

 

だから、本来の生き方

自然に沿った生き方をしていれば

 

脳が都会化しない。

個性のない生き方はない。

 

ということが書いてあった。

 

 

都会は便利だけど

均一化しててなんか物足りない。

みんな一緒に見える。

 

 

頭の中にある常識は、

ほぼみんな一緒。

 

人と違っていた時に

あれ?自分だけなんかおかしい?

 

となる。

 

ほんとは

これが個性なのにね乙女のトキメキ

 

 

 

 

反対に、身体は田舎。

 

田舎というのは

自然を指している。

 

自然の中には

ひとつとして同じものはない。


波ひとつとっても

同じ波は二度とやってこない。

 

胡瓜ひとつとっても

JAの規格に合わせるなら

まっすぐに育てなくてはいけない。

 

自然農だと

胡瓜の曲がりたい方向へ育てばいい。

 

そういやさ、胡瓜は、ほとんどが水分で

栄養価ないなんて言われてたけど

ケイ素が豊富なんだってね。

 

美味しいから好きなだけで充分じゃないか。


人間のものさしで評価しようとする浅はかさ。

地球上に必要じゃないものなんて存在しないのにね。

 

 

自然は個性。

身体も個性。

 

身体には個性がたくさん詰まっている。

 

 

人を

 

頭 と

身体 とに分ける

 

冒頭で紹介した

養老さんは これが言いたかったのかも。

 

頭は都会    ⇒ 知識 

身体は田舎  ⇒ 感覚 

 

 

脳は情報をインプットするだけ。

 

アウトプットし、行動するのは

身体にしかできない。

 

身体を通してのみ行動できる。

 

脳からは得た情報を元に

指令しかできない。

 

脳は司令塔ではあるけど

身体を通して出ないと行動できない。

 

逢いたいなと思っても

身体が動かないとそれは実現しない。

 

どんな素晴らしい構想が頭の中にあっても

実行するのは身体だ。

 

身体は動きたくて仕方ないのに

脳がストップしてる場合は

身体からの反応がきっとある。

 

情報をシャットアウトしようとしても

身体はそれを見逃さない。

 

違和感やモヤモヤしたことを

そのままにして生きているのは

とっても不自然なこと。

 

身体の感覚ありきで

生きていけば

嫌でも個性が発揮されてしまう。

 

もっと自分を

風通しよく生きていこう。

 

 

 

誰かの真似をしても

それは自分ではない。

 

それは憧れているあの人であっても、だ。

 

それ、脳と身体が

バラバラなんだよグラサン

 

 

違和感見つけるお手伝いします。

 

5月の昆布セッション

日程決まりましたー飛び出すハート

 

 

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*5月24日(火)10時〜

*5月24日(火)14時〜

 

*5月25日(水)10時~

 

*5月30日(月)10時~

*5月30日(月)14時~

 

 

それぞれの日時から

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