以前の私。

あなたには何もないのね。
大したことないやん
と、思われるのが怖かった爆笑
 
なぜなら。。
 
何もない奴
大したことない奴
 
=不幸せそう
=ダメな奴
 
に、脳内変換してたから。
 
だから
資格とったり、勉強とかしまくって
 
いろんなものくっつけた。
武装してきた。
 
何もない?実はすごいんだぜグラサン上等だよ!
と、開き直れるようになった。
 
それが成長の証だと信じて疑わなかった。
 
でも、内心は、この張りぼてがいつバレるか
ヒヤヒヤしてたようにも感じる。
 
で、たぶん
出産を機に、その生き方とはオサラバした。
生まれかわったくらいに変わったんだと思う。
 
でも、染みついた習慣というモノは
なかなか変えられなくてジタバタする。
 
今の家族とはめっちゃ幸せなのに
子どもも可愛いくて、夫とも仲良しで
ほんわか生きてることを隠して生きてきた。
 
何もない、かわいそうなキャラを演じてきた。
 
なんだかなぁ。
モヤッとする年月を経て。今。
 
何も無いをじっくり覗いている。
向き合えたんだと思う。
 
何も無いことの何が不幸なんだろうか。
何がダメに繋がるんだろうか。
 
私には何もない、なんて言わないで。
否定しないで。
 
いや、言ってもいいけど
それ以上に可能性があるってことに気づいて欲しい。
 
無い、はある。
ある、は無いの上に成り立つ。
 
外側の世界には
自分を満たせるものが何も無い。
 
自分があると判断したから
無いがあるに変わっただけだ。
 
しっかりと絶望した方がいい。
 
あるってのは、内側から溢れ出すもの。
溢れ出ようとする流れを止めてはいけない。
 
不純物を溜め込み、止めてるのも自分。
 
溢れ出した何かが外側の世界と反応する。
それが鏡の法則。




 
自分で感じてることが
そのまま関係性に出る。
 
私なんて、、、って
自分の価値を低く見てるから
相手からもそんな対応をされる。
 
人は、物事の意味づけで勝手に傷つく。
 
あはは爆  笑私ですやん!

 
どんなことがあっても
自分で自分のことをどう意味づけてるか?
 
大切なことって
そこだけなんじゃないか。
 
誰もいなくなったって
自分を信じるんだ。
 
どうせ大丈夫。だと。
 
 
 

こないだ、ようやく
えんとつ町のプペルを観に行ってきました。
 
絵本にはない、その前後のお話やキャラもプラスされてて
めっちゃ良かったえーん
 
冒頭から号泣してるって、なかなかw
 
モヤモヤすることって煙みたいなんだな。
正体が見えない。
 
モックモク覆ってるのは、真実から目をそらせるため。
下を向いて生きろ。
煙の向こうになんて何もない。
 
モヤモヤ生きてて幸せなんだろうか。
 
やりたいことがあるけど
周りから理解されないかもって、モヤッてる人
このまま進んでってもいいの?って疑心暗鬼になってる人
 
オススメです。
 
 
私は、私のやるべきこと
 
人生を、仕事を
 
楽しんで全うします。って思ったよ。

ツシマミチコ