わかる人にだけわかってもらえたら良い。
というのがあってね。
これは今でも変えないし、好きなんだけど。
向いてる方向がコソコソだったの。
明らかに受け入れ体制ではない人に
わかってもらおうとは思ってない。
だから何やってるか見つからないように。
隠れ家のようなイメージ。
後ろめたいわけでもない。
このコソコソ感がちょっと快感だったり。
そこには、
私は良いと思ってても周りからは理解されない。受け入れられるわけがない。という前提があった。
過去、そう感じたことがあったからだ。
7歳か8歳かの頃、キラキラ大きな瞳のドレスを着た女の子の絵をよく描いてた。
それを弟が覗き込んで、ヘタクソ!ってからかってきたのね。母にも見せてなんかかんか言われたように記憶してる。
それがショックでスコーンと入った。自分か上手いか下手かは知らんけど、恥ずかしい想いがあった。
それから、このコソコソ感が始まった。
ここに向き合えたのは
今、娘が女の子をよく描いてるのをみてから。
その時の私がフラッシュバックしてきた。
寄り添って味わう。
オッケーがでたら思い込みを変える。
✳︎
誰にでも好かれるわけはないし、
同じように嫌われるわけではない。
と頭ではわかってたつもりでも、
無意識の奥のほうでは、誰からも愛されたいし、嫌われたくないって思ってた。
自分とどこまで繋がれて、素の自分をどこまで表現できるのか。
理解されなくてもいい。
好かれても嫌われてもどっちでもいい。
私が楽に楽しく生きるには
もうこれしかないのだな、と。
自分と繋がった分だけ、他者とも繋がる。
結果的に。
✳︎
夫に子どもたちをお願いし、昨日から姫路にいます。昨夜は1人でホテルで泊まる。
母でもなく、妻でもなく、講師でもなく、カウンセラーでもコーチでもない。
何者にもならない時間。とてもありがたい。
私はここにいるよ!ってメッセージが
数日前からずっとあった。
やっと会えたなぁ。ごめんね。待たせたね。
昨日の昼はハピネス仲間との集まり。
美味しいご飯とたくさんの気づきがありました。
これから赤穂へ移動します。