◆一生忘れないけど、もう一旦忘れるべき5年の月日
◆これは昔の恋人の話
◆N君と呼ぼう
◆未練とは異なる感情
◆伝わるかな
初めてのサークルの飲み会。出会ったときに何となく記憶に留まった。サークルをつくった。わたしは会長って呼ばれてた。半年は友達だった。私の破天荒な性格、男みたいな口調と態度に、男の子たちのネタにされてた気がする。いわゆる可愛いタイプではなく、私は恋愛対象から外れるタイプだったと思う。私は、そうやって振る舞うのはわざとだった。
大学時代、私は女友達が何より大切だった。高校の時のトラウマで、夏休み明けはいつも怖かった。「けい、話があるの」と昼休み呼ばれると怖くて過呼吸になった。「もう信用できない、ダイッキライだ」と女友達から悪いことを何か言われるのではないかって不安になった。でも決まって、恋愛相談とか私を信頼しての話だった。いつもドキドキしていた。いつか友達が誰一人いなくなる気がしていた。
その反動か、私はいっぱい思い出をつくった。旅行にいったり、交換日記をしたり、文化祭をしたりした。私は不器用だったけど、本音をなんでも言える仲間がほしかった。それはまもなく現実になった。私の歯にものを着せぬ言動にビックリして、私と喧嘩をする人もいた。けれど、この子と決めた女友達には特別に、真綿に包むように繊細に大切にしていた。
Nくんは、文化祭の前日に、わたしが携帯雨として雨雨のなか一緒に探してくれた。それもよく覚えてる。
なんでか忘れたけど文化祭初日の帰りに、私が感極まって泣いたんだ。強がってる私が泣いたからN君はビックリして、「そんなに弱いところを見せられたら好きになる。好きになると困る」と言われた。その日の夜は文化祭の準備がありすぎで眠れなかったけど、頭からその言葉が離れなくてどっちにしろ眠れなかった。私はそのときに付き合ってた彼氏に「別れよう」とメールを打った。N君への自分の気持ちに気が付いたからだった。
文化祭最終日の次の日の放課後、皆で集まるはずが他のメンバーが綺麗にドタキャンしてA君とふたりになった。体育館でバドミントンした。そのあと帰り道ベンチでわたしが腕を組んだら、N君はきょどりまくって「友達だからそれはやばい」「付き合う?」「でもそれはまずい」「だってみんな友達だから・・・みんなにどんな顔をしたらいいのかわからない」と葛藤していた。
そう迷いつつも、最後彼から付き合おう言われて、付き合うことになった。ずっとずっと話し込んだ。電車がなくなるくらい、それに気付かないくらい夢中で話した。11月7日のことだった。
お付き合いは、帰るのが嫌だってくらい楽しくて笑ってばかりで、そして驚くほど心が安らかだった。私の人生で安らぎを感じたのは20年ぶりの事だった。「ママ」ってまちがえて呼ぶくらい安心していた。一緒に授業を受けて、図書館でテスト勉強をして、海外ドラマを全シリーズ一緒に見て、筆談をしたり、くだらないうたを作ったりした。
彼は実家から一人暮らしの私の家にくるときに、バイト代を使ってバイクを買って私に会いにきた。二人専用の、かけ放題の携帯を契約した。私はこの幸せがなくなったらどうしようと悲しい想像をしては、風呂場で何度も号泣した。手紙も沢山かいた。
もっとN君に愛されたくてダイエットをストイックにやった。半年で7キロも痩せて、そのあと1年以上キープした。見違えるほど可愛くなったと惚れ直してくれた。
私はいつふられるかと、考える度に胸が潰されそうだった。私はいきなりN君から嫌われたら、生きていく自信がなかった。なのでこんな約束を取り付けた。
「私を振るときに守ってほしい振り方がある。いきなり会わないとか、別れを切り出すのはやめてほしい。急に白紙にするのではなく、黒をグレーに、グレーを白にするようにしてほしい。私には受け入れる時間が必要だ。フェイドアウトしてほしい」彼はそれに同意してくれた。私の提案を受け入れてくれた。
ケンカしてしまった日は、決まって仲直りした。閉まりかけた電車に駆けこんで、「けいちゃん!」「やっぱり無理だった!」「別れるなんて無理だった」そう追いかけてきてくれたこともあった。
私が学部の提出期限を忘れていて、レポートが出来てるのに手元にあってバイトに遅れられなかったとき。電話一本で私の為に走ってくれたこともあった。「ふざけんなよ、何で俺が」と文句や小言を言いながら、私の為に必死になってくれる人だった。保護者みたいだった。
「けいちゃんは生きるのがツラそう。不器用で下手くそだから、俺が教えてあげる。」「俺は、このことを、けいちゃんに教えるために生まれてきたんだと思うんだよね。」本気でそう口にした。
彼の実家の犬の散歩もしたし、正月もクリスマスもバレンタインも、一緒にいない日はなかった。
大学卒業と共に付き合って2年が経過、私は病気で寝たきりになってしまった。二人で付き合い初めに買ったお揃いの携帯で、毎日電話をかけてくれた。外回りの営業のN君は、それこそ暇さえあれば一日10回でもかけてきた。私が暇してるだろうと思って、さりげなく励ましてくれた。これが一年以上続いた。病気だからって二人の気持ちが離れることは無かった。
奇跡的に回復をして、同棲を始めた。リハビリがてら私はネイルスクールに通った。社会人になったN君の帰りを、夕飯を作って毎日待っていた。私は、N君と一緒に人生を歩むことに迷いはなかった。
私は自信を喪失していた。いつか「私って何でこんなにダメなんだろう」って落ち込んだとき、N君は「お前は絶対スゴイやつだよ」「なんで?」「いや、絶対スゴイやつだって、俺が保証する。」そう言い続けてくれた。
付き合って4年が経過した。「結婚しよう、そうしよう。」電話であっさり決まった。「来年の2月14日に籍を入れよう。親にも言おう。」
N君のお母さまは最初反対した。「病気の子はやめなさい、苦労するから」「今は治ってるかもしれないけど、万が一またなったらどうするの。全て背負う覚悟はあるの?」
N君はそれでも反対を押し切ってくれた。あちらのご両親も了承してくれた。「あなたがそこまで言うなら、わかったわ」と許してもらえたと私に報告してきた。その頃、私は最初の会社に内定が決まって、研修がてらアルバイトを始めていた。上司の男の子が気になり始めていて、どうしていいか悩み始めた。
好きになりそうな子と、N君と比べたわけではない。N君は家族だった。家族で恋人で彼氏で婚約者で親友で。全て兼ね備えていた。なんでなんだろう。なんでなんだろう。私は苦しかった。
私は、こう考えた。「どんなに好きな相手でも、一途になれなくなった時点で終わりだ」と。N君を不幸にしたくなかった。N君は自由で気ままでワガママで身勝手で、それでも必ずN君を裏切らない一途な私を愛していた。
どっちがいいとかではなく、1人のひとに目を向けなくなった瞬間、その恋は終わりなんだと思った。
最初の約束通り、提案した別れ方を私は実行した。ちょっとずつ電話やメールを、分かるか分からないかくらいの頻度で減らしていった。会う回数を減らした。スキンシップを減らした。そのうち、仕事で忙しいと言うようにした。
N君は心配して、私が働いている時間に私の職場に1時間以上かけて会いに来た。その時、新しく気になってる上司も近くにいた。私はN君の私を見たときの笑顔が愛しかった。まだ愛しかった。けれど、それとなく冷たくしないといけないと冷静に思った。このあと忙しいから会えないって連絡した。
この頃から、N君も勘づき始めた。いつも何があってもN君を心の拠り所にして、帰る場所としていた私は、二度とN君の元へ帰ることはなかった。
別れを会って切り出す時、「好きな人が出来た」と理由を告げた。5年目で二人の関係は終わった。7月10日のことだった。
私はN君と一緒だったら、どんなに安らげているかと思うけれど、他の人に余所見をするような妻は最低だと思った。そんな昼ドラみたいな二人は見たくなかった。私は二人の想い出に今でも恋している。綺麗だった。
私は彼が新しい彼女が出来て、結婚すると告げられた日。おめでとう、幸せになってね。といった。半分寂しかったけれど、本当の気持ちだった。
その新しい彼女は、私の話になったり影が見えると号泣してしまい、修羅場になるそうだ。話を聞く限り、真面目な良い子だった。私と違って物分かりが良くて、大人しそうな子だった。結婚報告を最後に、私はN君と絶縁した。
N君に未練があるかと言えばそうではないと思う。ニュアンスが伝わりにくい。私はN君が困っていたら、今でも全力で助けたい。死にそうだったら、何としてでも食い止めたい。「恩人」だと思っている。
私を救ってくれた人だった。
そして、8月1日にお台場の噴水の前で、
新しく恋をしたS君から念願の告白をされた。
「ちゃんと言えなかったから言わせてください。」
「けいちゃんなことが大好きじゃけぇ。」
「僕と付き合ってください。」