父にまつわる不思議な話
早いもので 父が亡くなって半年以上が過ぎた…
喪中なので 年末恒例の餅搗きも 年賀状書きもなかったので 何だか忘れ物をした気分…
あまりにも味気なかったので 大晦日位はちゃんとやろうと【こづゆ】や【茶碗蒸し】そしてカニも用意した

そして 新しい年になったわけだけど やはり年賀状が届く楽しみが無いのは淋しいものだ
お雑煮は買った餅で作った
やはり家で搗いた餅とは何かが違い 物足りなかった気がした
ずっとブログを更新してなかったこの間 細々としたいろんな事があった
こうして毎日生活して行く中で 父への悲しみも薄らいで行くのだろう
でも 忘れたくない事は書いておかなければ!と強く思う不思議な事があったので 書き記しておこうと思う‼️
あれは父が亡くなった翌日
亡き骸は離れの座敷に寝かされた
枕元には簡易的な祭壇が置かれ 線香や花 水や枕団子が供えてあった
一晩中線香を絶やしてはいけないので 父の側には息子が寝てくれた
夜が明け 様子を見に行ったら 息子がこんな事を言った
「夜中にウトウトしてたら足音がしたんだけど お母さんコッチに来たか?」
私はもちろん行ってないし 兄や主人に聞いても 誰も離れには行っていない
「確かに足音したんだよなぁ…」
と腑に落ちない様子だった
そしてまたその日の夜も 息子が父の側に寝た
翌朝
「夜中また足音したから『じいちゃんか?』って呼び掛けたら足音が止まった!」
「オレ ちゃんとしっかり起きてたから 夢とかじゃ絶対ない!」
「あれはシッカリとした足音で 何かと間違うような音ではなかった!」
興奮気味に息子が言った
「えぇ〜っ?…そうかぁ…じいちゃんはいつも夜中に家中の見廻りしてたから そうかも知れないな…」
私自身そうは言っても 自分が耳にしたわけじゃないから まだ半信半疑
それが【確信】に変わったのは次の出来事だ!
納棺が済み その日は手伝いに来てくれてた人や家族みんなで夕食を囲んだ
食べ終わり 一通りの片付けが済んだ時 息子とマコトくん(通称マコチン)が何やら興奮気味に話している
このマコチンと言うのは 姪っ子の旦那さん!
実はかなりの霊感の持ち主😅
マコチンの若い頃の話になるが 東京の街なかで信号を渡る時 向こう側に居る人が普通と違って見えたから 何だろうと思ってずっと見ていたらしい
そして 横断歩道を渡るすれ違いざま その人が
『お前オレが見えるのか?』
と声を掛けて来たそうだ😱
それがあってから 自分は霊が見える事を認識したのだとか!
詳しくは書かないけど 他にも霊にまつわる色んな話を聞いた事がある
普段のマコチンを見ていれば 話を盛るタイプでもないし ましてや作り話などもする人ではないので 私達みんな マコチンは【霊感】がある!と疑わない
その日みんなで夕食を食べていた時 誰かがマコチンの肩をトントン!と叩いたのだとか…
『ん?誰だ?』
と思って振り返っても誰も居ない…
席を立っている人もない…

歳を取るにつれて いわゆる【霊感】は薄れて来た…と言っていた矢先の出来事だ
問題の日にちまでは6日ある!
7月22日の朝 往診に来た先生が
「今日か明日だね…」
そう言われた時
『あぁ やっぱり今日旅立つんだな』
私は覚悟を決めた!
その夜 22時31分
父は安らかに104歳と10ヶ月の生涯を終えた😭
数字の妙と言うのか こんな事ってあるんだな…
不思議でならなかった
その後 葬儀屋さんとの打ち合わせで 告別式の日付けを提示されたが その日は7月26日…
亡き母の誕生日だ
告別式の会場には母も来ていて きっと見守っていたに違いない
今 父と母はどこにいるのだろうか…
今度家に来るのは春彼岸になるのかな?
二人が好きだったおかずを たくさんあげてやりたい!
父の叙勲
父が亡くなって四ヶ月が過ぎた
存在の大きさ
父が亡くなって あと一週間ほどで3ヶ月になる
先月の9月14日は 生きていれば105歳の誕生日だった
毎年赤飯を炊いて親戚や友達に配ってたけど 今年はそれが無くて寂しくもあった…😭
9月7日には四十九日の【壇払い】と【納骨式】があって 無事に終える事が出来た
それにしても父の存在が あまりにも大きかった事を 今更のように感じている
100歳を過ぎた辺りから 夜寝る前には必ず父の部屋を開け 寝息を確認するのが一日の締めくくりになっていた
今でも部屋を開ける度に『父はもう居ないんだ…』と思い知らされ 毎晩寂しい気持ちになる
買い物に行けば 父の好きだったものに無意識に目が行く
祭壇に朝晩御膳をあげていた時は なるべく好きだった物を供えていた
1ヶ月何も食べられないまま逝った父…
「お腹空いてたんだから いっぱい食べてよ!」
と声をかけ そのたびに涙が出ていた
一体いつまで涙が出るんだろ…
とは思ったけど「これも供養!」と思い 我慢せずに泣く事にしていた😭
思えば父は《そこに居て当たり前》の存在だった
困った事があった時でも そのまま受け止めてくれて 多くを語らずとも助けてくれた
親不孝な事をしても いつだって私を信じて味方をしてくれた
頭ごなしに怒られた事は 一度も無かった
父が亡くなってから よく息子と思い出話をする
息子が一番印象に残っているエピソードは小1の時のこと…
学校から帰って 同級生2人にいじめられた事を話したら
「よし!オレが文句言ってやっから乗れ‼️」
と50ccのバイクに息子を乗せ小学校に向かった父!
「◯◯はどこだ?」
そこら辺にいた子に聞いたら 当のいじめた2人はバス通学だったので もう帰ってしまって居なかった…
「帰っちまったならしょうがねぇな…」
と言いながら
「またいじめられたら いつでも言えよ‼️」
と キッパリとした口調で息子に言ったらしい
「あん時のじいちゃんはカッコよかったなぁ✨❗️」
と息子がしみじみと語った
普段温厚な父だけに 意外な一面を知り驚いたものだ
私は昔から婦人科系が弱く 今まで3回手術をしている
そんな事もあって 息子が小学校に入学する半年前に浜松から実家に戻った
必然的に主人は単身赴任となった
父はきっと【男手は自分だけ!】
自分が父親代わりで頑張らないと!と思っていたに違いない
冬 雪が積もった朝も まだ暗い内から起きて 除雪車の置いて行った雪の塊を スコップ1つで片付けていた
私が仕事に行くのに支障のないようにしてくれていたのは いつもありがたかった🙏
責任感が強かったから すべてが家族の為を思って行動していたように思う…
父はとにかく人の喜ぶ顔を見るのが好きだった
美味しい物があって それが自分の大好物でも 家族に「食べろ!」と差し出す
自分が食べるより それを食べた人が喜んでいれば嬉しいみたいだった
息子は家と会津若松で塾をやっているが 家から会津若松に戻るのは いつも土曜日
一方父は二ヶ月置きに会津若松の病院に通院していて 行く日はいつも土曜日
息子を送りがてら父の病院に行けるので 通院日は一石二鳥だった
病院が終わってからは三人で【かっぱ寿司】に行くのが恒例になっていた
そしていつも父が奢ってくれる😅
自分はマグロを二皿と玉子焼き二皿
その位しか食べなかったけど
「遠慮しねぇで いっぺぇ食えよ(いっぱい食べなさい)😊」
と息子や私に言う
会計が終わり 車に乗り込んでから息子が
「ごっつぉさまでした!いつも悪いなぁ💦」
と言うと
「また来んべな(また来ような)!😊」
と ニコニコと嬉しそうな顔で笑っていた
先日 息子と回転寿司に行った時 その時の事を話しながら 二人して涙が滲んでしまった😭
あれもこれも 父の事をこれほど思い出すのは それだけ長く 家族として一緒に濃密な時間を過ごせたからだろうか…
90歳を過ぎた頃からは《近い内にやってくる別れ》を 常に意識するようになった
それは 心筋梗塞で突然に『フッ…』と居なくなってしまった母の事があったのも大きい
母の葬儀の時
「せめて1ヶ月くらいは看病してあげたかった…」
私がそう言っていたのを 父は覚えていたのかわからないが 私のその言葉通り 父はキッチリ1ヶ月だけ介護をされて旅立った😭
いつだって 私に苦労はかけたくないと言っていた父…
日常の生活は これと言って大きく変わりはないけど 気持ちはやっぱりどこか穴が開いたような感じ…
先日 稲刈りが遅くまでかかり 辺りが暗くなってから終わった
急いで帰ったら 家が真っ暗でその光景にドキッとした!
そうだ…こういう時 父は外灯やリビングの電気を点けておいてくれたっけなぁ…
今でも寝る前は 必ず部屋を開けるクセが抜けない
父が居た時の そのままの匂いがしてホッとする
誰もいない部屋に
「父ちゃん お休み…」
そうつぶやく
そんなだから 父の居た部屋の片付けが ちっとも進まない…
でもいいや…
もう少しそのままにして 父を感じていよう




