父の叙勲
父が亡くなって四ヶ月が過ぎた
存在の大きさ
父が亡くなって あと一週間ほどで3ヶ月になる
先月の9月14日は 生きていれば105歳の誕生日だった
毎年赤飯を炊いて親戚や友達に配ってたけど 今年はそれが無くて寂しくもあった…😭
9月7日には四十九日の【壇払い】と【納骨式】があって 無事に終える事が出来た
それにしても父の存在が あまりにも大きかった事を 今更のように感じている
100歳を過ぎた辺りから 夜寝る前には必ず父の部屋を開け 寝息を確認するのが一日の締めくくりになっていた
今でも部屋を開ける度に『父はもう居ないんだ…』と思い知らされ 毎晩寂しい気持ちになる
買い物に行けば 父の好きだったものに無意識に目が行く
祭壇に朝晩御膳をあげていた時は なるべく好きだった物を供えていた
1ヶ月何も食べられないまま逝った父…
「お腹空いてたんだから いっぱい食べてよ!」
と声をかけ そのたびに涙が出ていた
一体いつまで涙が出るんだろ…
とは思ったけど「これも供養!」と思い 我慢せずに泣く事にしていた😭
思えば父は《そこに居て当たり前》の存在だった
困った事があった時でも そのまま受け止めてくれて 多くを語らずとも助けてくれた
親不孝な事をしても いつだって私を信じて味方をしてくれた
頭ごなしに怒られた事は 一度も無かった
父が亡くなってから よく息子と思い出話をする
息子が一番印象に残っているエピソードは小1の時のこと…
学校から帰って 同級生2人にいじめられた事を話したら
「よし!オレが文句言ってやっから乗れ‼️」
と50ccのバイクに息子を乗せ小学校に向かった父!
「◯◯はどこだ?」
そこら辺にいた子に聞いたら 当のいじめた2人はバス通学だったので もう帰ってしまって居なかった…
「帰っちまったならしょうがねぇな…」
と言いながら
「またいじめられたら いつでも言えよ‼️」
と キッパリとした口調で息子に言ったらしい
「あん時のじいちゃんはカッコよかったなぁ✨❗️」
と息子がしみじみと語った
普段温厚な父だけに 意外な一面を知り驚いたものだ
私は昔から婦人科系が弱く 今まで3回手術をしている
そんな事もあって 息子が小学校に入学する半年前に浜松から実家に戻った
必然的に主人は単身赴任となった
父はきっと【男手は自分だけ!】
自分が父親代わりで頑張らないと!と思っていたに違いない
冬 雪が積もった朝も まだ暗い内から起きて 除雪車の置いて行った雪の塊を スコップ1つで片付けていた
私が仕事に行くのに支障のないようにしてくれていたのは いつもありがたかった🙏
責任感が強かったから すべてが家族の為を思って行動していたように思う…
父はとにかく人の喜ぶ顔を見るのが好きだった
美味しい物があって それが自分の大好物でも 家族に「食べろ!」と差し出す
自分が食べるより それを食べた人が喜んでいれば嬉しいみたいだった
息子は家と会津若松で塾をやっているが 家から会津若松に戻るのは いつも土曜日
一方父は二ヶ月置きに会津若松の病院に通院していて 行く日はいつも土曜日
息子を送りがてら父の病院に行けるので 通院日は一石二鳥だった
病院が終わってからは三人で【かっぱ寿司】に行くのが恒例になっていた
そしていつも父が奢ってくれる😅
自分はマグロを二皿と玉子焼き二皿
その位しか食べなかったけど
「遠慮しねぇで いっぺぇ食えよ(いっぱい食べなさい)😊」
と息子や私に言う
会計が終わり 車に乗り込んでから息子が
「ごっつぉさまでした!いつも悪いなぁ💦」
と言うと
「また来んべな(また来ような)!😊」
と ニコニコと嬉しそうな顔で笑っていた
先日 息子と回転寿司に行った時 その時の事を話しながら 二人して涙が滲んでしまった😭
あれもこれも 父の事をこれほど思い出すのは それだけ長く 家族として一緒に濃密な時間を過ごせたからだろうか…
90歳を過ぎた頃からは《近い内にやってくる別れ》を 常に意識するようになった
それは 心筋梗塞で突然に『フッ…』と居なくなってしまった母の事があったのも大きい
母の葬儀の時
「せめて1ヶ月くらいは看病してあげたかった…」
私がそう言っていたのを 父は覚えていたのかわからないが 私のその言葉通り 父はキッチリ1ヶ月だけ介護をされて旅立った😭
いつだって 私に苦労はかけたくないと言っていた父…
日常の生活は これと言って大きく変わりはないけど 気持ちはやっぱりどこか穴が開いたような感じ…
先日 稲刈りが遅くまでかかり 辺りが暗くなってから終わった
急いで帰ったら 家が真っ暗でその光景にドキッとした!
そうだ…こういう時 父は外灯やリビングの電気を点けておいてくれたっけなぁ…
今でも寝る前は 必ず部屋を開けるクセが抜けない
父が居た時の そのままの匂いがしてホッとする
誰もいない部屋に
「父ちゃん お休み…」
そうつぶやく
そんなだから 父の居た部屋の片付けが ちっとも進まない…
でもいいや…
もう少しそのままにして 父を感じていよう
「ありがとう」と「さようなら」
朝の8時過ぎ 診療所の先生がみえた
瞳孔の反応を見たり 胸に聴診器をあてたりなど ドラマでよく見るのと同じだ…
死亡を確認し【死亡診断書】を渡された😭
この後は【エンジェルケア】と言って 専門の看護師さんが二人来て 父の身体をキレイにしてくれた
「もうすぐ終わります」
の声がかかったので 部屋に入った
身体を拭いてもらい 爪も切ってもらったし 何より伸び放題のヒゲをキレイに剃って貰えたのが嬉しかった😭
身だしなみが良かった父だから きっと喜んでいたに違いない
新品の浴衣に着替えさせてもらい 最後の仕上げ
「お父さんハンサムですね😊若い頃の写真があったら見せてもらえないですか?」
看護師さんにそう言われ 嬉しくなった私は告別式のスライドショーに流す為に 用意しておいた写真を何枚か見せた
出征時の写真を見て 看護師さん二人が
「うわぁ!カッコいいですね」
としきりに言ってくれた
涙が止まらない私…
ふとその看護師さんも目を真っ赤にして 涙を溜めているのがわかった😭
葬儀屋さんが来て 祭壇を飾る座敷に父を寝かせた
父の訃報を聞きつけた人が 次々と線香を立てに来たので 対応に追われた
それぞれが父との思い出を口にする
「温厚で親切だったよね…」
「優しくて面倒見が良かったよね…」
「色々と助けてもらったんだ…」
どの話も父らしい!と思った😭
その一方では 葬儀屋さんとの細かい打ち合わせ
コロナ以降 葬式のやり方は大きく変わった!
こじんまりと家族葬で…という形が浸透し コロナが明けても 昔のようなやり方は見なくなった
私はそれだけは嫌だった!
ずっとこの家の家長として たくさんの葬式にも参列し 取り仕切って来た父
そんな父を思ったら 父が采配を振るった 昔のやり方で送ってあげたかった
決して派手にやりたいわけでなく 104年を生きた父にふさわしい葬儀にしたかった
主人も 私の気の済む形でやる事を尊重してくれたのでありがたかった😭
《7月25日 納棺・村見舞い》
父の亡骸を親族がグルリと囲み 納棺の儀式が始まった…
ぬるま湯で絞ったタオルで 顔・両手・両足…とみんなで交代しながら拭いてあげる
そのあと天国への旅支度として 手にはコテ 脛には脚袢 足には足袋を履かせ 最後に草履を履かせた
そうして父は棺におさまった…
『お父さまの棺に入れる物を用意しておいて下さい!』
と事前に言われていたので 父が郵便局に勤めていた時によく着ていた開襟シャツを用意
みんなの頭の中にある 一番父らしい服装だと思ったから…
ミホは父が大好きだった日本酒の紙パックと【純露(飴玉)】を入れてあげた
夕方からは【村見舞い】と言って 村の人達が香典を持って線香を立てに来てくれる
その後はみんなで【念仏】
ところが とんでもなく暑い!
普段使っていない昔の離れの座敷なので クーラーはない
扇風機を数台回しても追い付かない
そんな灼熱地獄の中 約40分ほどの御詠歌を唱えてもらった
倒れる人が出なくて本当に良かった💦
《7月26日 告別式・火葬・忌中払い》
私は朝早くに美容室に行き 着物の着付け
夏用の【絽の着物】は 母が昔揃えてくれていた
父の葬儀に着るとは 夢にも思わなかったが…
外には出棺を見送りに来てくれている村の人達が大勢…
遺影を抱いて挨拶に回った
「いい写真だねぇ…」
そんな言葉に涙が止まらない…
9時に自宅を出て斎場へ
祭壇はひまわりの花で彩られていた
性格そのままに柔らかく微笑む父
ひ孫を抱いた82歳の時の父を切り取って遺影にしたが この写真にして良かった
たくさんの人がお別れに来てくれて つくづくありがたく思った
住職の読経が終わり ひ孫であるミライとミオリが【お別れの言葉】を言いに前に出た
小5のミオリが声をつまらせ 泣きながら読んだこのフレーズ
「おじいちゃん…聞こえてたら返事してください…おじいちゃんの声が聞きたいです…」
参列していたほとんどの人が もらい泣きしていた😭
中2のミライは父が戦争に行って来た事に触れていた
「おじいちゃんが命がけで国を守ってくれたおかげで みんなこうして元気に生きていられます…」
こちらも泣かされた…
二人とも心のこもった手紙で 父もきっと喜んでいただろうな…😭
全員の焼香が済み最後に【喪主の挨拶】
本当の事を言うと 主人がどんな事を言うのか心配でならなかった💦
仲が悪かったわけではないけど 主人は父とあまり話そうとしなかった
耳が遠いから 何か話せば大きな声になるし ケンカごしのようになるのも嫌だったらしい…
父の事をどんな風に思っていたのかわからなかったので 喪主の挨拶で一体何を語るのか💦
マイクの前に立った主人は 儀礼的な言葉をのべてから 次に父の戦争の事を話し始めた
「二十歳で出征し六年近く中国にいて お国の為に戦って来ました…」
半年ほど前だったか 主人は急に思い立って県庁まで行き 父の戦歴を調べた事があった
それを参考に父が中国のどこにいて どんな風に頑張って軍曹にまでなったのかを 時系列にそして感動的に話した
「私は現役時代よく中国に出張してました!親父さんがもう一度戦地を巡ってみたいと言った時 なぜ連れて行ってあげなかったか 今とても後悔しています…」
「責任感が強くて 誰にも優しくて 国を守り 家族のために頑張って来た親父さん!」
「人としても 男としても 立派な人でした!」
「もっと親父さんと話をしておけばよかった…」
「もう声を聞けないと思ったら 涙が出ました…」
泣かされた…😭
父の事をそんな風に思ってくれてたんだ…と知って 涙が溢れた
『父ちゃん?聞いてた?嬉しい事言ってくれたね!ちゃんとわかってくれてたね…父ちゃん…』
告別式が終わり次は出棺
祭壇に上がった花を棺に入れるため 係の人がたくさん切って用意してくれた
それぞれが一言声をかけながら 父の周りに花を置く…
「父ちゃん 長い間お疲れさまでした…向こうに行ったら母ちゃんによろしく言ってな…」
「父ちゃんの娘で幸せだったよ…ありがとね…生まれ変わっても また父ちゃんの娘にしてな…」
込み上げる嗚咽で声にならなかったけど そう伝えた
気付けば棺を囲んでいる人達のほとんどが泣いていた
今までいくつもの葬儀に参列したけど こんなにみんなが泣いてるのは見た事がなかった
改めて父の人柄が偲ばれた場面だった
たくさんの花
そしてミライとミオリの手紙を入れ 棺の蓋が静かに閉じられた
斎場をあとにし火葬場へ
喜多方市の外れにある火葬場までは約50分ほど
車に乗るのが好きだった父の 最後のドライブ…
元気な内に もっと色んな所に連れて行ってあげればよかった…と後悔した
姿のある父を見るのは これが本当の最後…
目に焼き付けてお別れをした
窯のドアが閉められる時は さすがに胸がギュッとした😭
その間昼食を摂り 約1時間半程で収骨の呼び出しが…
収骨室に入った時は 思わず声が出てしまった!
「うわぁ!綺麗な骨だね〜…」
太くてガッシリとした骨は 真っ白で美しくさえあった
104歳という年齢を考えると 父には驚かされてばかりいる
小さな骨壺に収まった父
息子が大事そうに抱え 帰りのマイクロバスに乗り込んだ
途中 義姉がポツリとつぶやいた
「これで町には戦争体験者が居なくなっちゃったんだね…お義父さんは貴重な存在だったんだよね…」
確かに 今回何度も戦争についての事を考えさせられた
貴重な体験を 父がしっかり話せる内にどうして聞いておかなかったのか…
斎場に戻り 火葬場から帰った人全員で【念仏】をし 引き続き 斎場に用意してもらった【忌中払い】の夕食
最近はこの【忌中払い】の席は設けず お弁当を渡して終わる事が多くなった!と係の人から聞いた…
でも あえて私はやりたかった!
父もきっとそれで良かった!と思ってくれただろう
【献杯の音頭】は父の一番下の弟であるヒデオおじさん
9人兄妹の一番上が父で 一番下がおじさん
歳はちょうど20才違う
戦争から帰って来たばかりの父と一緒に入った風呂が とても熱かった!
そんな思い出話を語ってくれた
それぞれが父の思い出を口にしながら 和やかに酒を酌み交わした
父は酒を振る舞うのが好きだったから きっとニコニコしながら一緒に居たに違いない!
お開きの時間が近づいた頃 一番下の妹であるヨッコおばちゃんに呼び止められた
「キョウコだったから あんつぁ(兄さん)はここまで長生き出来たんだよ!ありがとうな!」
「そうかなぁ…父ちゃんもそう思ってくれてるかなぁ…」
そう言いながら涙が溢れた
親不孝をした事もあったけど 結果的には最後まで一緒にいられて 父もそして母も幸せだったと思いたい…
いや 絶対幸せだったよね!
そうだよね…父ちゃん‼️
家に戻り祭壇の一番上にそっと御骨を置いた
無事に葬儀を終えた事に安堵し 長い一日が終わった…
父の遺影も心なしかホッしているような…
そんな気がした





