極楽とんぼ ~it's a blow~
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暑すぎた夏

もう9月も半ばで秋彼岸を迎えた!

…なのに相変わらず暑い日が続いている



数年前から暑くなったと記憶しているけど 当初は【猛暑】と言われていた

それからも最高気温は記録を更新し続け【酷暑】と言われるように!

そして今年は40℃を超える事が度々あって【災害級の暑さ】と言われるまでになった💦💦


地球環境の事をあれこれ書くほど詳しくはないけど 確実に地球がおかしい!とは思う




昔はどうだったんだろう…

私が小学生だった頃の夏を 改めて思い出してみた



夏を迎えると決まって登場したのが【蚊帳(かや)】


網戸があまり無かった時代 夜窓を開けていると蚊や虫が入って来るので それらから逃れる為に蚊帳を吊って その中に布団を敷いて寝ていた


今の若い人達はピンと来ないだろうけど この蚊帳が私は好きだった😊


部屋の中にもう一つ部屋が出来たようで 特別な空間にワクワクしたものだ🥰

蚊帳の中に入る時はコツがある

身体をパタパタ叩いて蚊を追い払い たくし上げた蚊帳の中に素早く入る


夜は涼しい風が入って来たので 暑くて眠れないと言う事は無かった

逆にタオルケットを掛けないと寝冷えするほど


この時代クーラーが無くても 全く困らなかったなんて 今だと考えられない😓



夏休みが近付くと 必ずと言っていいほど渡されたのが【肝油ドロップ】の申込書

美味しいお菓子なんて売っていない こんな田舎の小学生にとって【肝油ドロップ】は憧れの味だった


母に頼んで注文してもらい 終業式の日に渡されるのが楽しみだったなぁ

そして渡す際 先生がいつも言った一言

「いっぺんに食べてはダメですよ!」



【通信簿】や【夏休みの友】を始め なんやかんやの大荷物を持って帰宅!

こうして 楽しい楽しい夏休みに突入だ😆


夏休みだからと言って寝坊はしていられない

地区ごとに【ラジオ体操】があるからだ


当時はカセットテープなんて代物はなかったから 必ずリアルタイムで始まるラジオでやらなければならなかった


近所の広い庭にみんなが集まり 高学年が担当してやっていた


高学年が担当するもう1つの夏の行事は【肝試し】👻


夏休み前 地区子ども会で集まり 場所と日時を決める

低学年の内は 参加して「キャーキャー」騒いでるだけで良かったが 自分が高学年になったら係が割り当てられた


その年の肝試しの場所は【お墓🪦】💦

私はお化け担当

おぼろげだけど シーツを被ったような記憶が😅


お化け役は みんなが来る前からお墓の陰にスタンバイ


辺りはすっかり暗くなったが 誰も来る気配がない


他のお化け役とも離れていて 大声で話すわけにもいかず…


段々心細くなったし ふとお墓に居る自分が怖くなって来た

お化けが出そうで怖い 見た目お化けの私😅



遠くに「キャー!」と言う叫び声が聞こえ 段々近づいて来る気配に 妙にホッとしたものだ


そしていよいよ私の所へ!


「うらめしや〜👻」←(定番(笑))


「ギャー❗️」

と叫んだのと同時に 何を思ったのかその子が私に抱きついて来た😳

私自身も怖い中で待ってたからか それをキッカケに私まで「ギャーギャー❗️」言いながら その子と抱き合いながら大騒ぎ😱


めちゃくちゃだったけど 今となると楽しい思い出だ😆



そう言えば「うらめしや〜…」で思い出されるのが怪談映画


村には当時【映画館】があった

ごくごくたまに上映され 決まって加山雄三の《若大将シリーズ》だった


日頃娯楽に飢えているから 忘れた頃にやって来る映画は満員になるほどの客入り

そして夏には決まって怪談映画…

有名どころの【四谷怪談】【番町皿屋敷】などを 父に連れられて観に行ったけど 怖くて怖くて 帰り道は父の手をギュッと握って歩いたものだ



お盆近くになると 毎年東京からイトコが何日も泊まりに来た

家は本家だし 父は9人兄妹だからイトコがたくさんいる




みんなで小川に行き メダカ捕りやサワガニ捕りをしてビショビショになり 暑さを凌いでいた


子供達が集まって それはそれは賑やかだったけど 何をして遊んでいたのかはあまり覚えていない💦


今 自分が大人になって考えると 母はみんなのご飯を用意したり大変だったんだろうな😅



お盆が終わり もう少しで夏休みも終わる!と言う頃になって頭を悩ますのが宿題の山


定番なのは【夏休みの友】


『今年こそ早めに終わらせて 焦らないようにしよう!』


毎年そう思うのに実行出来なかった😓


大体最初の内に簡単な所ばかりを終わらせるので 難しいのだけが残る😱

だから尚更後回しに…


そして更に面倒だったのは【絵日記】

毎日同じような生活だし 取り立てて描くような事がないので かなり困った


ある日の事 タバコ屋さんをやっていたYちゃんの家に遊びに行った時 私は彼女の描いた絵日記を見て衝撃を受けた❗️


《波の上に人が立っている絵》を見て これは何かと聞いた

すると 新潟の海に泳ぎに行って 波乗りをして遊んだのだと言う


私は実際海を見たことが無かった

『海で泳ぐと波に乗れる!』

というのは 海を知らない私にはかなりの驚きだったので忘れられない


そして 夏休みの宿題としてもう1つあったのが【薬草採り】


ドクダミ ゲンノショウコ オオバコなどを夏休み期間に採取し 始業式の日に持って行かなければならない


ただこの薬草採りは殆どが親がかり😅

おまけに始業式の日に 子供が大量に薬草を持って行くのは難しい

かと言って 今の時代と違い車など無かったので どの家も親が一輪車や耕運機で運んでいた記憶がある


体育館いっぱいに集まった薬草を 業者が引き取りに来て 売上を学校の資金にしていた


今でもドクダミの匂いを嗅ぐと 光景が頭に浮かぶ



今の子供達が大人になって 小さい頃の自分を思い出した時 どんな景色が浮かぶのだろうか…

もしかしたら この暑かった夏でさえ『今よりは涼しかったなぁ…』なんて事になってるかも!

そう考えるとあまりにも恐ろしい😱


シケモクおじさん

駅勤務になってしばらく経ったある朝のこと…


山奥から来たバスに乗って 一人のおじさんが降りた


ガッシリとした体格

ギョロっとした目で口元には無造作に白いヒゲが伸びていた


みんなが切符を買ってもおじさんは椅子に座ったまま


電車が入って来ても動かないから

「上り電車来ましたよ〜!」

と声を掛けた

「俺は乗んねぇからいいだ!(乗らないからいいです)」

と言いながらニヤリと笑った



『乗らないのになんで来たんだろ…?』


しばらくして下り列車が来てもジッとしている


『誰かと待ち合わせでもしているのか?』


上り・下りの電車を見送り 一旦家に帰る私は

そのまま事務室の鍵を締め 一声かけて駅から出た


朝食を済ませ 1時間ほどして駅に戻った


おじさんは帰ったのか居なかった



次の電車まで時間があるので この時間は細かい所を掃除する


ゴミ箱に吸い殻入れに窓拭きに…



今の時代だと考えられないだろうが 当時駅待合室の中央には デーン!と吸い殻入れが置いてあった

そんなだったから 待合室の中もタバコ臭かったし 乗客がたくさん居る時は 煙で霞んでいる…なんて事はザラだった💦


その日も当然たくさんの吸い殻があるだろう…と覗いたけど 何故か一本もない…


?????


不思議ではあったけど たいして気にも留めず


『あまり吸う人が居なかったのかな?』

位にしか思わなかった



何日か経った駅出番の日

バスからまたおじさんが降りて来た


前回と同じように電車には乗らず

私が家に帰って また駅に戻るといない…


何度かそんな事があったある日の事!


おじさんが来た日に限って 吸い殻がキレイに無くなっているのに気付いた!


『さっきはけっこうあったのは間違いない!…って事は誰かが掃除した?』

『おじさんが掃除してくれたのか?』

『なんのために?』



おじさんは吸い殻を必要としてて 欲しくなると駅に来るんだ!

その考えに行き着いた


その後もおじさんが来たあとは いつも吸い殻入れが綺麗になっていたから間違いない❗



タバコの吸い殻を水に入れ 抽出した液体を撒くとヘビ避けになると聞いた事があったから それかも知れない…

見た目はヘビなんかへっちゃらそうだけど 案外苦手なのかも😁




それからしばらくしたある日 松倉さんと話していた時 シケモクおじさんの話題になった


すると松倉さんが衝撃的な事を言った❗


「あの人 持ってった吸い殻を吸うみたいよ😅💦」


「ウソ〜っ😳まさかそれはないんじゃない?」


そんな私の言葉を聞きながら 続けて松倉さんが言ったのは


「だってね…となりの駅は根性悪い!水に浸けちまうから吸えない!って言ってたもの😅」


😱😱😱


誰が吸ったかわからないタバコの吸い殻を吸う?

唖然とし 思いっきり口を開けたまましばし固まった😵




その後おじさんを見るたび『本当なのかなぁ…』と思ったけど 確認するわけにも行かず…


ただ確実に おじさんが来ると吸い殻が無くなっていたので 事の真相を知ってからは複雑な心境ではあった💦



それから徐々に【禁煙】ムードが高まって来て 吸い殻入れは外に追いやられ その内完全に撤去された


それと同時におじさんの姿も 見る事が無くなった…



名前も住んでいる所も知らないけど インパクトが強いあの風貌のまま 私の記憶の中に生きている


無人化から三年が過ぎた

勤めていた駅が無性に恋しくなり フラッと行ってみた


無人化となって早いもので三年が経ったなんて…



2021年3月31日の最終日はよく覚えている

福島テレビさんが朝から取材に訪れていて 慌ただしさと寂しさの中で最終日を終えた


翌日放送された番組は とても感動的に編集されていて プロの腕前を思い知ったし そんな風に記録として残す事ができ ありがたい気持ちでいっぱいになったものだ🥰



最初の一年は さまざまな事に絡めて よく駅を思い出していたし 月日が流れてもやはり何かにつけて頭に浮かんでいた




改めて駅に勤めた20年間を思い出してみたくて【連絡ノート】を引っ張り出してみた


ノートには その時その時の出来事が綴られていて しみじみと懐かしかった



そもそも私が駅に勤める事になったのは 親戚であり同級生でもあるシュウイチくんから

「駅で人を探してるんだけど どうだ?」

そう声を掛けられたからだ


当時教育委員会での臨時が終わり 何か仕事がないかなぁ…と探していた時期だった

今まで色んな仕事を経験して来たけど 駅は未知の分野


でも週に二〜三日だし 時間は7時〜16時まで

電車の走らない時間には家に戻る事も出来る

それに人と接するのは嫌いじゃない


思い切ってやってみる事にして 平成12年(2000年)の10月から行きだした


先に勤めて居た松倉さんに付いて 駅舎の掃除から始まり 発券機端末の操作 お客さんへの対応 電車の見送り 締切業務…と一通り教えてもらった

何日か練習して いよいよ独り立ち!という日はかなり緊張したものだ


当時は朝の電車はかなりの人が利用していた


朝7時半頃になると 山奥の方から来るバスが二台駅に着く

バスを降りた人達が駆け足で窓口に並び行列を作った

電車が来るまでの5〜6分の間に 切符を出してさばかなければならない

慣れない内は 毎回手が震えていた


会津若松や喜多方など 近場の切符はまだいい

時々「東京まで!」とか言われると「ゲッ!」と焦った💦

乗車券とは別に新幹線の切符も出さなきゃならないので時間がかかる

慣れない手つきで端末を操作する内に「キキーッ!」と電車のブレーキ音がしようものなら焦りはMAX😱

汗が吹き出した💦💦


間に合わなかった事がたびたびあって落ち込んだりもした


少し慣れてからは 時間を見ながら無理だと思った時は 迷わずに車内で買ってもらうように…

それが出来るようになってからは随分気が楽になった


それにしても最初の頃はよく失敗をしたなぁ…😅


中でも忘れられないのが 全席指定の特急なのに そうとは知らずに自由席特急券で売ってしまった事…

会津若松駅から鉄電が来て 間違いを指摘されてわかった


会津若松駅ではお客様に説明し 一旦払い戻しをかけて 再度指定券を発行する形で対応したらしい

一枚の切符で何人かの人に迷惑をかけてしまい 責任の重さを痛感した出来事だった😖

それにしてもあの時電話をくれた駅員さんは優しかったなぁ…



【春】

雪が解けると 会津の春は一斉にやって来る


駅から歩いて5分程の発電所は桜の名所🌸

おまけに桜並木に沿って線路があるので SLの走る日はカメラマンが大勢やって来る




少しずつ桜の蕾が膨らんだ頃

「今の桜の状況はどんなですか?」

決まって駅に問い合わせの電話が何本か入る


「満開はいつぐらいですか?」

「今度の土日はどの位ですかねぇ?」


この質問が一番難しい

いつ満開かなんて 天気具合で予想出来ないから…

ただ向こうもそれは心得ているから その時点の状況を伝えればわかってくれる


SLに関しては色々あったっけ💦

思わぬハプニングで遅れたり 運休になったりした時は カメラマンのいる場所に何度伝えに走った事だろう!

頼まれてもいないのに 今思えばお節介魂全開だったなぁ😅


最初の頃は誰もいない駅に 電話が虚しく鳴り響いただろうけど もう電話をかけてくる人もいなくなっただろう…



【夏】

とにかく暑かったの一言❗

…と言うのも 駅事務所はものすごく狭く 畳一畳分くらいしかなかった

その狭さなのにクーラーがない

おまけに防犯上ドアを開けてはおけない

灼熱地獄そのもの

お客さんがいない時は 待合室に出て凌いでいたものだ


その駅事務室の隣は ガラス一枚隔てて農協の支所になっていた

見るに見兼ねた当時の支所長が ガラス戸を少し開けるようにしてくれた!

20cm程度の隙間から冷気が入って来る

それだけで どれだけ助かった事か😭

ただ 土日担当が多かった松倉さんは 農協が休みのため それすら出来ずかなり大変だったと思う😖


【秋】

毎年9月中旬になると我が家の稲刈りが始まる

ハッキリ言って稲刈りが嫌いな私は駅勤務がありがたかった㊙


駅は3人でシフトを組んでまわしていた

当然替わってもらう事もあったけど よほどでなければシフト通り!

私が駅の日は主人が一人で稲刈りをしている


『駅の仕事をしているんだから 稲刈りは考えない事にしよう!』


そうは思うけど やっぱり稲刈りをしている主人が気になるわけで…


『またコンバインがハマってんじゃないだろうなぁ…』

『脱出手伝ってくれる人いるかなぁ…』

それはそれで気になって仕方ない💦


旅行とかに行ってても留守中の事が気になって 心底楽しめないタイプ

つくづく損な性格だわ😓


【冬】

とにかく雪には泣かされたなぁ…


駅構内やホームの除雪は 別棟に除雪隊が控えているので 基本私達はやらなくてもいい

ただ 除雪隊が帰った後や休みの日にドッカリ降られると ホームの降車口あたりはやるようにしていた


一番大変だったのは遅れ


遅れが出た時は 家に帰る時間もなくなるから 朝食を食べられなかった事が何度もあった

乗客が居ない時は 構わず戻ろうかと思っても 発車した事を隣の野沢駅に電話しなければならないので そうも出来ない

そこへ行くと運休になった時は諦めがつく

窓口に【運休】のお知らせを出しておけばいい😅

だからと言って 駅が休みになる事はないけど…




数々の失敗も含め 様々な事が頭をよぎるけど 思い返せば 総じて駅勤務は楽しかった🎶


色んな人との関わりも ちょっとした事件やらハプニングも今となれば懐かしい思い出


この間松倉さんが急逝するという 思ってもみない事もあり 駅にあまり足が向かなかったけど 私にとってこの駅はやっぱり大切な場所だ



待合室のベンチに座り 様々な事を思い出す貴重な時間が持てて良かった😊

そう言えば 一番印象に残っている【シケモクおじさん🚬】は元気かなぁ…


その話はまた次回に😁


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