5月7日 午前3時05分
お義父さんが亡くなりました。

76歳でした。



病気をして施設に入ってからはなかなか面会も難しかったのですが、去年7月に会ったのが最後となってしまいました。
危ないかもしれないと言われてからも頑張って生き続けたお義父さん。
骨髄異形成症候群という病気でした。

亡くなった7日、パパの実家を訪れると
施設から帰ってきたお義父さんが眠っていました。
やっと帰ってこれたね!おかえりお父さん!
と迎え入れたそうです。
わたしはその瞬間には立ち会えませんでした。

息苦しそうで可哀想だからとお顔には白い布などがかけられていませんでした。
ふっくらお顔のお義父さんがすっかり痩せていましたがお顔はとても穏やかな表情でした。
今にも起きそうな、ちょっと寝ているだけのようなお顔でした。

姿を見た瞬間から涙が止まりませんでしたが
遺族には決めなければならないことがたくさん。
お義父さんを見て泣いているわたしのそばでお義母さんたちが葬儀社の方と打合せをしていました。

お義父さんの遺影の写真
その写真の背景、額縁、会葬礼状
棺をどれにするか、食事のこと
明るい家族なので冗談も交えながら笑いも起こりながら話を進めていました。
わたしが着いた時には写真が決まっていましたが、お義母さんとふたりで写った、とてもいい笑顔のお義父さんの姿がありました。
わたしは自分の結婚式ぶりくらいに会う親戚の方とお話していました。皆さんとても優しい。
なのに、お義父さんもお義母さんも兄弟が多いのでなかなか関係性が覚えられないままです。



翌日は納棺にも立ち会いました。
納棺の前にはお着替え、お化粧もしてもらい、元々シワが少なかったお義父さんがさらにかっこよく素敵になりました。

お通夜は18時から。
お焼香の練習もしましたが、しゅんしゅんはお経が唱えられると寝てしまいました。
でも寝ちゃうってお寺さん冥利に尽きるそうです。
パパは葬儀場に泊まり、私たちは帰宅しました。



その翌日、13時からお葬式。
わたしの父も来てくれました。
しゅんしゅんはまた途中で寝ちゃいました。
そーすけは棺の中にたくさんお花を飾りました。
お義父さんに触れられる最後の瞬間でしたが、わたしは触れることができませんでした。
お義父さんの必需品の眼鏡、ジャンバー、お義父さんが大好きだったお菓子もいれました。

そこから火葬場へ向かいました。
2時間もかからず骨になったお義父さん。
子どもたちも骨壺にお骨をいれました。

葬儀場へ戻り初七日も済ませました。

お寺さんのお話の中で
誰にでも最期が来る。
お義父さんがそれを教えてくれた。
この世に生がある者は1日1日をしっかりと生きなければならない。
その時を迎える時に逆らうことなく、死を受け入れることができたらいい。
といったことがありました。

ありきたりかもしれないけど、本当にその通りだと思いました。


お義父さん、ありがとうございました。
怒ってるところなんて見たことがない、いつもニコニコ笑顔のお義父さんでした。


心配なのはお義母さん。
泣いている姿を見ませんでした。
いつも語尾に「ね、お父さん♡」って付くくらいお義父さんのことが大好きなのに。
覚悟はしていたと思うけど、みんな帰ってしまって大丈夫かな…??


パパは3人姉弟の末っ子
お義姉さん、喪主を努めた長男のお義兄さん、次男のパパです。
パパはいろいろ3人で相談しながら決めることができてよかったと話していました。
姉弟全員がすぐ集まれる同じ市内に住んでいるのも珍しいことですよね。

子どもたちもみんな近くに住んでとまでは言わないけどいざという時に支え合って欲しいです。


ちょっとびっくりしたこともあっただろうけど
子どもたち初めてのお通夜、お葬式。
貴重な経験ができたかなと思います。
子どもたちのおかげで和む場面もありました。



わたしも近くで見させてもらってよかったです。


お義父さん、安らかに眠ってください。