今日は私についてのお話です
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先日
上野にある東京国立博物館にて
「法然と極楽浄土」展を観てきました
法然上人
浄土宗の開祖であります
浄土宗は宗派がたくさんあるので
なんとなくの理解でしたが
浄土宗の総本山は
京都 知恩院であること
東京は増上寺
長野は善光寺であることも
わかりました
浄土宗サイトより⬇️
称名念仏への確信
比叡山に戻った上人は自身を、仏教理解の乏しい存在「凡夫」とし、荒廃した時代に生きる人々は等しく凡夫ではないかと考えます。そして、その凡夫が救われる教えがないかと黒谷の報恩蔵にこもり、あらゆる経典をまとめた一切経を読みふけりました。
中国唐時代の僧・善導大師(613-681)が著した『観無量寿経疏』という書物の中で「一心にもっぱら阿弥陀仏の名をとなえ、いついかなることをしていても、時間の長短に関わらず、常にとなえ続けてやめないことを正定の業という。それは、阿弥陀仏の本願の意趣に適っているからである」との一文に出会い、凡夫もお念仏により浄土への往生がかなうことに確信を得ます。
善導大師の一文と出会った直後、法然上人は夢を見ます。夢には善導大師が現れ、次のように言われました。「あなたはお念仏の教えを広めようとしている。それが尊いのであなたの前に現れたのだ」。
夢中でのこの出会いは「二祖対面」と呼ばれ、このとき善導大師の下半身が金色であったとの伝承から、浄土宗の寺院やお仏壇にお祀りする善導大師の像は、半身が金色になっています。
法然上人は、比叡山を下り、お念仏の生活を送るとともに布教も始めました。誰もが救われるとする教えは人々の心を打ち、上人のもとを訪れる人は日ごとに増えていきます。
それは他の僧侶にも伝わり、当時、天台の学僧として活躍していた顕真という僧侶がその教えを知りたいと、多くの僧侶を招き比叡山北西の山麓にある大原という地で討論会を開きます。そこで法然上人は、「この世で厳しい修行をしてさとりを得る一般的な教えと、お念仏で往生してからさとりを目指す浄土宗の教え、内容にこそ優劣はないが、今の時代と人の能力を考えると浄土宗の教えが合っている」との立場を示されました。この答えに納得した顕真をはじめとした僧侶たちは一緒にお念仏をとなえたといい、この出来事は、大原問答と呼ばれています。
この世で厳しい修行をしてさとりを得る一般的な教え、お念仏で往生してからさとりを目指す浄土宗の教えの内容に優劣はないが、今の時代と人の能力を考えると浄土宗の教えてが合っているとの立場を示されました
この考えは後に親鸞上人の
絶対他力へと繋がります
ここからは
私が勝手に
感じた感想です