この記事は、今年2018年(平成30年)の干支戊戌について書いてます。




最近では、今年2018年の干支である戊戌の年は歴史的にどんな年だったのか?を確認していく記事を書いています。。






そして今日は758について書きます。

・マケドニア、スラブ人の反乱
マケドニアは現マケドニア共和国とギリシャ、ブルガリアの一部に跨がる地域。当時住んでいたが住民のほとんどがスラブ人だったらしい。ちなみにスラブ人はおそらくかなり時間をかけてこの地域に流入して来たようですね。しかしそれ以上のことはわかりません。


顔真卿が、顔杲卿らを追悼するために、祭姪文稿を記す

顔真卿は、
唐の政治家。書家。中国史でも屈指の忠臣とされ、また当代随一の学者・芸術家としても知られる。

琅邪郡臨沂県(今でいう山東省)を発祥とする氏族、琅邪顔氏の出身であり、顔回(孔子の弟子)の末裔と称した。生まれは長安。

書家として後世に大きく影響を残している。

そして楷書4大家の一人として数えあげられるものの、その字形は当時標準とされた楷書とは異なり、正統的な王羲之以来の楷書の伝統を破壊するものであった。

そのため、楷書に関しては賞賛と批判が評価として入り混じっている。

しかし、行書に関しては楷書と異なり、書の達人として王羲之に匹敵するとされており、文句なしの賞賛を受けている。

祭姪文稿はその行書で書かれたものであり、安氏の乱で非業の死を遂げた、親戚の顔杲卿、 顔季明(顔杲卿の子)ら一族、中でも顔季明を追悼するため記された弔文の原稿。

国家に忠義を尽くした顔真卿が一族を哀悼する気持ちをも露わに記した書は中華史上屈指の名書とされ、歴代の皇帝が至宝として蔵した。


安禄山の乱(安史の乱:唐に対する反乱)のとき顔真卿の親戚である顔杲卿は、真卿と呼応して、唐朝に対する義兵を挙げた。末、杲卿は一族全員殺されてしまうんですね。

歴史のロマンが書き立てられる話です。




その他にも以下のような出来事がありました。

唐で、塩と鉄の専売制が施行される
・新羅、恵恭王即位(景徳王の子)
・大宰府、唐の大乱に備える
・陸奥、出羽に城柵を築く
・孝謙天皇が譲位し、大炊王が即位して、第47代天皇・淳仁天皇となる
60歳以上を老丁、65歳以上を耆老と改める。
・藤原仲麻呂、大保(右大臣)となり、「恵美押勝」の名を賜る
東大寺大仏殿竣工
遣渤海使小野田守、安史の乱の情報を伝える
・渤海使来朝

でも、今日はたくさん書いてしまったので、続きは、また明日👋