思い返せばこの一年間

濃かったなぁと。
一年前に使ってた携帯見てしみじみ思います。

去年の今頃。
ちょうど一年前に

退職

大阪から実家へ

再就職

結婚

離婚不倫騒動

別居

妊娠発覚

退職

再就職

鬱発病

子供産まれる

現在


いや、濃かった!

そりゃ鬱なるわな


来年の今頃は

もっと想像できないことが
待ってるのかのう(;´д`)
恥の多い生涯を送ってきました。


太宰治の人間失格

私も太宰治と同じように他人が怖く他人の目ばかり気にして、周りに上手く合わせる人間です。
ほとんどの方はこれが当てはまると思います


自分の人生を振り返っても自慢できるものはなく、人を欺きながら生きてきました。


自殺することは
悪いこととは思いません

ただ、自殺をする前に
周りの人間を残して悲しみだけ残すような自殺は悪いことだと思います

あぁ、死んで楽になれたんだな

と周りに思わせるような自殺であれば。




誰もが抱く感情であり
誰もが考えることであり

死をどういう形で受け入れて生きてくのか



私は何度か死にたいと考えたことが
ありました。
でも漠然と考えるだけで
次の日には忘れる程度。


ここ最近、鬱を患ってから
死と向き合うことが多くなりました。

それこそ、周りの人たちはなんで生きてるのか、どうせいつか死ぬのになぜなんの目的で生きてるのか
睡眠して食事して仕事してセックスしてお金は衣食住を満たすための切符であり衣食住は生きるため手段
その衣食住を他人と差別化させるため他者よりも優越になるため何かを努力したり媚びたり欺いたり殺したり。生きるため?なんで生きるのか?

仏教の教えでは輪廻転生
の考えがあり、
現世に肉体を授かり修行し
あの世で魂だけになりどれだけ自分自身を高められたかどうかであの世での位置付けが決まるのだそうです。

宗教は生きるための理由がわからなくなったときの指標であり、迷い子を助ける役目はあると思います。

でもそれは人間が作り出した単なる気休めに過ぎないのかもしれません、宗教を非難するわけではありませんが、ただ宗教も生きるための手段に過ぎず、現実味も何もありません。


あっち側に行ってしまえば


何か変わるのかな

何もかも忘れ
何もかも消えて
ただそれだけで幸せ

そう思える今日この頃です。



もうすぐ
生まれてくる我が子


俺は父親になる資格などないだろうな


せめて泣いて生まれてくる我が子に
笑顔で向かい合える様

人生が希望でみちあふれる

ていますように。



妻との話し合いは平行線で終わり
結局、お腹の子供が誰の子供かはっきり科学的にわかるまで別居という形になりました。

胎児の状態での遺伝子検査は母子ともに危険なので生まれてからとなりました。


それから早、半年。



あと数週内に子供が生まれてきます。複雑な心境ながら、虎視眈々と結果を待つ日々です。

この半年
私にとっては辛く過酷な日々でした。しかし生まれてくる子供は不幸にはしたくない、結果がどうであれ。

妻の衝撃告白も
今となれば受け入れつつあります。
これから先、子供が生まれてくる、その事実がいろんな感情を洗い流してくれていることは事実です、



いろんな葛藤がありながら受け入れる体制を自身がとっていることを客観的にみたら酷く滑稽かもしれません。
ただ、生きる意味を失いつつあった自分に唯一、子供が生まれてくる事実が生きる意味を取り戻してくれそうな気がして。


毎日、自殺を考え、
毎日、残された人の事を考え
毎日、自分の弱さに悶え
毎日、生きることの絶望を考え

こんな毎日にうんざりです。


生きることを考えるのは
死ぬことを考えるのと同意語なんですね。


どんな風に生きたいか
どんな風に死にたいか



後悔だけはしたくないですね。

今から通ってる心療内科で
相談してみようと思います。


では(^-^)/