人が歴史を作るのか、歴史が人を作るのか。


これは、卵と鶏みたいなもの。


だから、どっちがどうということはありません。


ただ、混沌とした時代の中に必ずといっていいほど


歴史に名を馳せる人が現れる。


だから、そういう意味では歴史が人を作るといえる。


でも、その人がやった功績が今なお伝えられるとなると


人が歴史を作っている。


そう考えると歴史が人を作り、人が歴史を作る。


やっぱり堂々巡り。


自分たちの歴史なんて、教科書にものらないし、


身内しかしらない。


それも、身内でも4世代もあとになれば


全く忘却の果てへと追いやられてしまうだろう。


ただ、自分たちの存在はあとの存在に


歴史を作るために存在するのだと思う。


命のバトンというけど、本当にそのとおり。


自分たちの命も脈々と受け継がれてきた


奇跡の命のバトン。


どの先祖がいなくてもこのバトンは


受け継がれなかった。


歴史は興味深い。



自分の頑張る理由、それは自分ができてないから出来るようになりたい。


そういう理由が大きい。


今の仕事もそういうスタンスでやっている。


できてないことが多すぎて、できてることのほうが少ない現状。


迫りくる焦りと不安の中で、自分ができることを


増やしたいと奮闘する毎日。


自分は一ジャンルの中でしか活躍できない。


だから、オールジャンルで全て


見れるようになりたいって思ってた。


人がどうこう言うじゃなく


自分がどうありたいかって事が重要で


認められなくてもいいって思ってた。


でも、今日は久々ショックを受けた。


自分自身が一番嫌なこと。


それは、必要とされて無いということ。


それに近い感覚を味わいました。


本当にこの夏で仕事をやめようか迷い中。


自分なりに努力して色んなところを見たいと思ってただけ


なのに難しいよね。

                    ■最後だとわかっていたなら■




あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を
伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから

一秒、大切にしてますか?


一分、大切にしてますか?


何気なく過ぎてゆく時間。

自分は大切にできてないです。

それを戒めるために書きますl。


一秒、それはもっとも尊い時間。


現代では医療技術も進み、

天寿をまっとうされる方も多くなりました。

しかしながら、現代の医療も万全ではありません。


よって、色々な病やまたその他の原因で

命を落としまう方がいらっしゃいます。


もう、自分には明日は来ないかもしれない。

そう思った人が願うこと、一秒でもいいから先を見たい

って事だと思います。


自分たちが生きている今、

世界中で生と死が繰り返されています。


死に行く人たちが見たいと願った一秒を無駄に生きること、

それは先を見たいと願った人たちへの冒涜以外の

何ものでも無いと思います。


愛しい人がいればなおさら、

子供の成長を一秒でも目に刻みたい、りっぱに成人の姿を見たい

そう思いながら運命を終えていった人もたくさんいるはずです。


そんな一秒を大切にしたかった人たちの

一秒と何気なくすごす一秒は時間上では等価値なんです。


だからこそ、その人たちの思いが詰まった一秒と同じくらいの

思いが詰まったものでならないと思います。


一秒ほど重い時間はありません。

だから、大切に生きたいし、行きたい。


ありがとう、感謝の言葉。


あなたは言ってますか?


自分は忘れてしまいました。


人と関わる事が少なくなってるせいで


あまり機会がありません。


でも、何気ない感謝の言葉、


ちゃんと伝えるべき。


本当にそう思います。


人は当たり前の状況を当たり前と認識する。


いわゆる慣れという状態。


慣れることでたくさんのことを


処理できるようになる。


でも、その弊害で慣れてしまうと


それを当たり前と認識してしまう。


いつ何が起きてもおかしくない


バランスの取れてない世界なのに。


当たり前を当たり前と思うせいで


感謝の気持ちをいえず、永久の別れをした


ということもあります。


人生は一度きり。


起こってしまって変えれるもの


と変えれないものがある。


大切な人を失うということは


変えれないもの。


大切な人がいなくなる前に思いや


ありふれた感謝の言葉をいうべき。


なくしてからじゃ遅いから


なくす前に後悔のないように。


でも、人間は偉いけどおろかだから


なくすまで気付かない。


そんな部分をかえなきゃね。



世界中の頑張っている人へ。


頑張らなくていいんだよ?


あなたは頑張っているから。


頑張っている事実を認めて欲しいよね。


でも、結果のでない頑張りを強いられてる人


たくさんいると思います。


頑張っている時に頑張れっていう言葉は


本当にきつい。


自分自身がパンクしちゃうよね。


だから、周りがみんな頑張れって言っても


俺は頑張らなくてもいいんだよって言ってあげたい。


だーれも認めてくれなくても


頑張ってるねっていってあげたい。


だって、見てくれている人がいるってことがうれしくなるし


それだけで救われる気がするから。


自分自身を救うことができてない自分が


こんなことを言うのは変だけど、


たくさんの人を救いたい。


人はつながりを求める。


自分もつながりを求めたい。


つながりあうことによって、救うことができたなら


どれだけすばらしいことかな?


世界の人が敵になっても


1人だけでも味方がいてくれたらそれでがんばれる。



夜の明けない世界はない。


漆黒の闇夜が世界を包んでいたとしても


いつかは光が差し込んで、


神々しい朝の光が世界を照らす。


それと同じように、人の人生にも山谷がある。


どれだけ辛い日々が続いても


その辛い日々が一生続くことはない。


だから、人は生きていける。


もし、一生辛い日々が続くのならば、


生きている意味などなくなるから。


それに、夜があるから朝のありがたさがある。


夜が教えてくれることもたくさんある。


夜は人に眠る時間を教えてくれる。


休息の時間を与えてくれる。


闇が光のありがたさを教えてくれる。


もし、光ばかりある世界ならば


光のありがたさをかんじないだろう。


対極のものがあるからこそ


そのもののすばらしさが分かる。


夜は耐えるとき。


どんなに辛くても耐えるとき。


どんなに泥だらけでみっともなくても


生きなさい。


死んでしまえば何にも残らないから。



人が人を思う気持ち、それは年々に薄くなっていってるのか?


最近痛ましい事件が多い。


通り魔事件は去年おきた件数、8件をもう今の時点で


並んだらしい?それも、共通点は「疎外感」。


人と人との関係が希薄になっているからかな?


今を映し出す鏡だと思う。


人は便利さを手に入れた。


でも、その便利さというのは実は諸刃の剣で、


便利さを得れば得るほど


人の関係は希薄になっていく。


昔は人とあって話さなければ物事を伝えることができなかった。


でも、今は多種多様なコミュニケーション手段がある。


その手段の多さが人と人との関係、


本当の意味での関係をなくしていってるのだろう。


通り魔をおこした犯人を許すことはできない。


一番の原因はその人自身にあるから。


けど、少なからず犯人の人格を作るきっかけを作っているのは


この社会構造なんだと思う。


便利を追求するあまり、大切なものがなくなっていく。


これからもこんな痛ましい事件が増え続けるかもしれない。


何かが変わらなければね…。


今の時代。


ものがあふれ豊かな時代。


日本の識字率は99%といわれている。


経済大国から堕ちかけているものの、


裕福な国には違いない。


でも、60年前は違うかった。


戦争が残した傷跡を修復するのに


必死な時代。


飢えやストリートチルドレンがたくさんいた時代。


今を考えると全く違う。


でも、今の人はそんな事関係ないといわんばかり。


ただ、覚えておいて欲しい。


この今の裕福な時代を支えたもの。


それは、時代の変わり目にあったたくさんの犠牲。


物の犠牲、人の犠牲、数数えられぬ犠牲がこの時代を作った。


戦争が1つの大きな転機。


日本は先の大戦で負けてしまった。


でも、その負けたおかげで特需~高度経済成長の波に乗り


今日の日本がある。


しかしながら、戦争に負けるために大きな犠牲を


払った。ある人には大切な恋人がいて、ある人は父、母


ある人は大切なわが子を残して。


たくさんの悲劇のドラマがあったのだろう。


そんな悲劇のドラマの上にこの世界はなりたつ。


時代は進む。進めば進むほどに


古い時代はやがて色あせてゆく。


その語り部も年を追うごとに少なくなる。


ただ、1人の語り部もいなくなったとしても


誰もしらなくなっても、思い出さなきゃいけない。


自分たちの不自由の無い暮らしのしたには


たくさんのイシズエがあることを。

生きていく意味、それに誰も迷う。


自分も迷ったことがある。


仕事をし、帰って寝て、また仕事。


自分が生きている事に意味があるのか、


誰かに必要とされているのだろうかって。


考えても答えは出なかった。


そう、どれだけ考えてもでるものじゃない。


1+1=2になるように、はっきりと出る答えならば


誰もそのことに苦悩し考えないだろう。


世の中には、方程式のように明確な答えが


出るものの方が少ない。



自分としては、人に必要とされたかった。


それしか自分が存在する意味が無いと思っていた。


でも、それは卑怯で意味がないこと。


人がいないと自分が存在できない。


そんな滑稽な世界があるだろうか?


人が存在しなくても自分は存在する。


それは永久に変わる事の無い事実。


存在していれば、何かを変えることができる。


もちろんいい事ばかりではない。


悪い事もある。


例えば、生活すればごみが出る。


それも、自分たちが生きる結果。


生きて、何かに変化を及ぼす、それだけで存在する意味がある。


自分でそれを認めず、人に自分という存在を求めても


いつかはその人たちはいなくなるかもしれない。


自分で自分を認めてあげることが意味あること。


それがたどり着いた答え。


人に自分の存在を求めても


現実にあるのは辛い現実。


自分が居なくも世界は回るという


空虚な現実より、自分が居るという


その事実が大切なのだと。


生きている事、それが事実で意味があること。


ただそれだけでいい。