僕の父、


博通は深澤家


本家の長男であり


5人兄弟です。



そして深澤家は


父姉母SOBOそれぞれが


自営業なので


世間が浮かれるような


イベント事には無関心


一家団欒というものもあまりありませんでした。




そんな深澤家でも


年末だけは


親族が集まり


蕎麦を打ちます



29日に山芋を掘りに行き


泥を洗い


30日に天日に干して


31日の朝5時ぐらいから


家族総出で摩り下ろす


昼すぎぐらいまでに


50食ぐらいを完成させる・・・





祖父勇の代から


行われている


唯一の家族イベント




小さい頃は深澤家では行われない


クリスマスパーティーだったり


誕生日会


そういうものに憧れが強かったので


朝起きて 


普段会わないようなイトコのお兄ちゃんだったり


人がいっぱいいる気配がする台所


そういう非日常的な空気にワクワクしてました。





蕎麦を打つ過程で


幼かった僕が出来る事は少なく


そば粉を練る機械の蓋を押さえる


という役割でした。


落ち着きの無い子供だったので


機械が動いてる時に蓋を開けて


部屋中にそば粉をばら撒いたり


そんな失敗もありましたが


今では正しい名称が分からないけど


棒みたいなので


玉状の蕎麦を伸ばす重要なポジションです



一日で40~50玉近く伸ばすので


朝は早いし肉体労働だし


大変なんだけど


打ちたての蕎麦を疲れた体で食べる


なんて贅沢な時間なんだろうと


思っている反面


今年もやるのか・・・・もういいだろう・・・


という気持ちもあり


一概に楽しみとは言い難いが



僕にとっては年越しを一番感じるものでもあるので


無駄な責任感もあり


気張るわけですよ



なのに今年は僕の人生初、


父博通が


「今年は打たない!」


と宣言をしたので


他の親族は


面倒ごとが無くなってホットしていた


一人を除けば・・・





その一人というのが


父の兄弟の末っ子


タカハル



僕からすると叔父にあたる


タカハルはどうしても


蕎麦を打ちたい


まぁ~でも本家がやらないって 言ってんだ


本家の長男である僕は関係ない


今年は33年間の人生で


初めてゆったりと年を越すんだ






でも分かってた


電話が来た時もう覚悟は出来てた


タカハル「明日8時に集合な」


だろうなぁ・・・


一人で蕎麦打ちはムリだ


NOといえる日本人を目指す僕も


ぐずりながらも承諾



というわけで


今年も例外なく


JIKKAに帰り


蕎麦を打つ



5玉ぐらいまでは


普段ない新鮮な作業に


楽しみを見出し


手を動かせるんだけど・・・


何分、量が多いから・・・



流れ作業みたいになるよね



工場長とお呼び!!!