●「和と洋のあわい」に、なぜ私は惹かれるのか:マナーハウス島津重富荘&仙巌園
〜内側の反応が広がる場には、“選び方”を変える力がある〜


人生の選び方が自分軸に変わる。感覚を見える形にする、侑季蒼葉です。

170年の時に磨かれた「マナーハウス島津重富荘」に、初めて行きました。







かつてこの地は、「篤姫(あつひめ)」の生家である今和泉島津家の別邸跡地でもあったそうです。

大河ドラマ「篤姫」が放映されていた頃、毎週欠かさず見ていました。

「いつか訪れてみたい」

そう思っていた場所に、時間を越えて実際に立っている。

それだけで、不思議な気持ちになります。

今回は、滝が流れる庭園を眺めながら、和のしつらえを感じる空間でフレンチをいただきました。











小雨の中で始まった食事。

























その後、ふっと晴れ間が差し込み、庭園の表情が変わる。

同じ場所なのに、光や空気でまったく違う景色になる。

その変化まで含めて、その場を味わっているような時間でした。

そして私は改めて、「和と洋が融合している場」に、強く惹かれるのだと感じたのです。



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■マナーハウス島津重富荘

HP:https://www.s-shigetomisoh.biz/about/

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「あわい」という世界

私は昔から、和と洋が自然に混ざり合う空間に惹かれます。

その時、ふと浮かんだ言葉が「あわい」でした。

「あわい」とは、「こちら」と「あちら」を、はっきり分けきれない境界のこと。

和でもない、洋でもない、その両方が溶け合っているような世界。

白か黒か、正しいか間違いか、どちらか一方に決めるのではなく、

その間にある、まだ形になりきっていない余白のような空間。

日本独特の美意識のひとつです。

私は、この「あわい」に、とても惹かれます。

なぜなら、そこには「こうあるべき」が少ないから。

人は、強く固定された空間にいると、無意識に役割を演じ始めます。

でも、「あわい」のある場所には自由があります。

その自由が、内側の反応をゆるめ、

「本当はこうしたかった」「本当はこういうものが好きだった」

そんな、自分の奥にあったものを、静かに浮かび上がらせてくれる気がします。

「発想が広がる場」には共通点がある

その後訪れた、仙巌園(せんがんえん)。



ここへ来たのは、この日で2度目でした。

目の前には雄大な、桜島。

空が広く、何もかものスケールが大きい。

島津家の別邸から見ていた景色を、今、自分も見ている。



こちらでは曲水の宴が開催されるそうです。

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曲水の宴は、上流から流した酒盃が、前を通り過ぎないうちに詩歌を作り、盃を取り上げて酒を飲むという風流な宴です。

参宴者は、武家の礼装で宴に臨み、雅な春の行事をお楽しみいただけます。

名勝「仙巌園」の曲水の庭は、1959年に発掘され、現存する国内の曲水の庭の遺構の中でも最大のもので、建造当時の様子が良好に保存されている貴重な文化財として高く評価されています。

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私が訪れた日は、2026年4月11日。

なんと、翌日12日に開催されたそうです、、、

一度見てみたいものです^^











その時間の重なりもまた、内側を開いてくれるものでした。

私は、「気持ちが緩む場所」が好きです。

でも、それは単にリラックスしたいからではありません。

緩むと、人は本来の自分に戻りやすくなるから。



いつもは「現実的に考える」が先に来る人も、広い空や、歴史を感じる場や、美しいしつらえに触れると、

「本当はこうしてみたい」

という想いが、ふっと出てくることがあります。

つまり、「可能性を感じる場所」とは、何かを教えてくれる場所ではなく、

自分の中に元々あったものを、思い出させてくれる場所なのかもしれません。

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■仙巌園

HP:https://www.senganen.jp/

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人生の選び方は、「内側の反応」で変わり始める

人はつい、正解で人生を選ぼうとします。

損をしないように。
失敗しないように。
間違えないように。

でも、本当に自分らしい選択は、

「なぜかわからないけれど惹かれる」

という内側の反応の中に、眠っていることがあります。

私は、場所との出会いでも、作品でも、人でも、

「内側が動くか」を大切にし、そして、実際に行動してみます。

理由を先に探すのではなく、まず惹かれる。

そして、行動することで、自分を知ることができる。

そんな選び方が、人生を少しずつ「自分軸」に戻していくのだと思っています。



最後まで読んでくださり、ありがとうございます。

「あわい」には、まだ言葉になっていない自分が眠っています。

だから私はこれからも、境界がゆるみ、内側がほどける風景に、会いに行きたいと思います。

マナーハウス島津重富荘の様子はこちらからもご覧ください

侑季蒼葉
●【鹿児島で感じた】“その土地を味わう”という選び方:地鶏の里永楽荘&城山ホテル

人生の選び方が自分軸に変わる。感覚を見える形にする、侑季蒼葉です。

旅先で、私が大切にしていることのひとつがあります。

まず、土地の神社へご参拝^^





そして、「その土地ならではのものをいただくこと」。

景色だけではなく、空気、香り、器、食材、人の声。

その土地に流れているものを、身体で感じるように味わいたいと思っています。

今回は鹿児島。

黒豚料理、さつまあげ、きびなご、鶏刺し、鹿児島ラーメン、白熊かき氷…。

鹿児島には、「土地の個性」がそのまま食になっているものがたくさんあります^^



「ここに行ってみたい」が感覚で決まる時

今回、ChatGPTで調べながら見つけたのが、

「地鶏の里 永楽荘」。

鳥刺しの写真を見た瞬間、「ここ、好きそう」という感覚がありました^^

鹿児島空港から近かったので、到着してそのまま向かうことに。

ホームページには、

「カーナビだと細い山道を案内される場合があります」

と書かれていて。

実際、「本当に合ってる…?」と少し不安になるような道を進みます(笑)

でも、道路に出てくる看板を頼りに進んでいくと…

ありました^^





緑に囲まれた、風情のある建物。

“隠れ家”という言葉がぴったりでした。



予約より少し早く着いたので、周りを散策^^





裏側から見た建物もまた素敵で。

私は、こういう時間が好きなんだなぁと思います。

ただ食事をするだけではなく、「その場に流れているもの」を感じる時間。

空気や風景まで、ご馳走だと思わせてもらえました。

「美味しい」だけでは終わらない体験

予約したのは、厳選焼きコース^^

とり刺し、せいろ蒸し、サラダ、スープ、牛タン、地鶏焼、カルビ、ホルモン、デザート。

最初に出てきた、お目当ての鳥刺し。



鹿児島の甘いお醤油に、玉ねぎをつけていただくと…

むっちむち^^

柔らかいのに、しっかりしている。

「あぁ、来てよかった」と、これだけで満たされる感覚。



カルビも、とろけるような柔らかさ。



せいろ蒸しの豚も、素材の美味しさがまっすぐ伝わってきます。



「厳選している」と聞いていましたが、想像以上でした^^

惹かれる方向へ行動すると、記憶に残る

今回改めて感じたのは、「惹かれる方向へ行動する」は、記憶に深く残るということ。

効率や有名さではなく、

「なんとなく惹かれる」
「ここに行ってみたい」

その感覚を大事にして動いた時、その土地との出会い方が変わる気がします。

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■地鶏の里 永楽荘

HP:https://www.eirakuso.jp/

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城山ホテルで感じた、整えられた美しさ

鹿児島でよく宿泊する城山ホテルでも食事をいただきました^^



今回伺ったのは、「城山ガーデンズ 水簾」。

まず前菜が運ばれてきた瞬間、

「美しい…^^」と思わず声が出ました。



中庭を眺めながらのお食事。



自然を感じながらいただく時間は、心まで静かに整っていくようでした。

鹿児島は、私の中では「黒豚」のイメージが強かったのですが、お刺身も本当に美味しい^^

甘いお醤油にも、すっかり慣れてきました。



今回、このお料理の写真に惹かれて、このお店に決めたのです^^






綺麗にいただきました^^

最後のしゃぶしゃぶまで、美味しかったです^^



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■城山ホテル

HP:https://www.shiroyama-g.co.jp/feature/index.html

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自分の好きやしたい、をもとに行動してみる

人生の選び方は、大きな決断だけではなく、

「どこで食べるか」
「何に惹かれるか」
「どんな空気を心地いいと感じるか」

そんな小さな選択の積み重ねの中にも現れます。

頭や、条件(お金やカロリーなど)で選び続けたり、こうしたいと望んでいながら、行動しないでいると、だんだん自分が何を望んでいるのかがわからなくなってきます。

「なんとなく好き」「惹かれる」

を丁寧に拾い実際に行動する。

その積み重ねで、自分の軸が少しずつ輪郭を持ちはじめるのだと。

旅は、その感覚を取り戻させてくれる時間なのかもしれません^^

侑季蒼葉



●人生の選び方が変わるとき—「好き」は、理由ではなく“通り道”になる—

こんにちは、侑季蒼葉です。

ゴールデンウィーク、いかがお過ごしでしょうか。

私はこの期間、少し変わった実験をしていました。

「何も考えない30分間を1ヶ月」

そしてその後に始めた、「私の好き探し」。

一見、ゆるやかな時間のようでいて、実はここに“選び方の転換点”がありました。



「やるべき」に覆われると、感覚は見えなくなる

日々は、「やらなければならないこと」で埋まっていきます。

気づけば、

・効率
・役割
・期待

そんなものを優先して、

「私はこれが好き」という感覚は、後ろへ後ろへと押しやられていく。

でも、それが続くとどうなるか。

選択が、外側基準になる。

つまり、“自分軸ではない選び方”になっていくんです。


「好き」を辿ると、説明できない地点に行き着く

改めて、自分の「好き」を辿ってみました。

すると、思い出したのが——

小学生の頃、公園の砂場で山を作って、トンネルを作って、壊して、また作って、また壊して…を繰り返していた記憶。

そのときも思っていました。

「なんで私は、これがこんなに楽しいんだろう?」

でも結局、今も理由は分かりません。

ここで一つ、はっきりしたことがあります。

「好き」は、説明するものではなく、通っているもの。


見えてきた“自分の動き方”

「好きなことは何?」と問われたとき、出てきたのは

「作ること」


よく見てみると、私の中ではずっと一貫しています。

・協会という形を作る
・認定講師の活躍の場を作る
・セミナーという仕組みを作る
・作品を作る

ずっと、“何かを生み出す”流れの中にいる。

さらに言えば、

・やったことのないことを試す
・人の人生(伝記やドラマ)を追う
・刑事ものの展開に没入する

これも全部、“流れを見ている・組み立てている感覚”につながっている。


感覚は、言葉にした瞬間に使えるようになる

ここで大事なのは、

好きが分かったことではなく、「その感覚が“見える形になったこと」です。

なんとなく感じているだけのときは、選択には使えない。

でも、

・私は「作る」という流れに乗ると自然に動ける
・新しいことに触れるとエネルギーが動く

と、見える形になると、人生の選び方が変わります。


自分軸の選択とは、“感覚に沿うこと”

自分軸というと、強い意志や信念のように思われがちですが、実際はもっとシンプル。

「自然に動いてしまう方向に、素直に乗ること」

これだけです。

理由がなくてもいい。

説明できなくてもいい。

むしろ、その方が純度が高い。


「好き」を探す時間は、人生を整える時間

「好き」を探している時間は、何かを得ているわけではないのに、ただそれだけで、満たされていく感覚があります。

それはきっと、本来の自分の流れに戻っているから。


今、つくっている空間

このゴールデンウィーク、サロンの模様替えをしています。

テーマは、「好きに囲まれた空間」

一歩一歩とゆっくりと。

でもその一歩一歩が、“自分軸の選択”で積み重なっていく。

「好き」は、未来を決めるための材料ではなく、今この瞬間の、自分の通り道。

その感覚を、見える形にしていくとき、人生の選び方は、静かに、でも確実に変わり始めます。
行動に落とすと何が変わるのか

侑季蒼葉です。



見取り図とは、言語化はなぜ大切なのか、をここまでお伝えしてきました。

人生は“見取り図”で変わる①──再設計リトリートの実験

人生は“見取り図”で変わる②──見えないものを、見える形にする

人生は“見取り図”で変わる③──言葉にした瞬間、現実は動き出す

残念なことに、見取り図を描き、言語化までできたとしても、そこで止まってしまう人が多いです。

理由は簡単です。

行動は、怖いから。

しかし!

本当に怖いのは、行動そのものではなく、“ズレた行動をすること”です。

見取り図がなく、言語化もされていない状態での行動は、当てずっぽうになります。

だから疲れるし、続かない。

一方で、見取り図があり、言語化されている状態での行動は。

とてもシンプルになります。

やるべきことが明確だからです。

迷いが減り、エネルギーのロスが減る。

すると何が起きるか。

変化のスピードが一気に上がります。



ここで重要なのは、大きな行動をすることではなく、

“構造に沿った小さな行動”を繰り返すことです。

その積み重ねが、気づいたときには、

「以前とはまったく違う場所にいる」

という状態をつくあげます。

被災など人間の力が及ばない劇的な出来事により人生が変わる瞬間はあります。

しかし、節目節目でより「自分の人生」へとステージシフトさせる場合は、“整合性のある行動を続けた結果”として訪れるのです。

だからこそ、

見取り図 → 言語化 → 行動

この3つは切り離せません。

行動とは、ただ動くことではなく、

「自分の構造を、現実に反映させること」です。

そしてその瞬間から、人生は「起きるもの」ではなく、「そうなっていくもの」に変わっていきます。

最後までお読みくださいまして、ありがとうございました^^

▼人生は“見取り図”で変わる①──再設計リトリートの実験

▼人生は“見取り図”で変わる②──見えないものを、見える形にする

▼人生は“見取り図”で変わる③──言葉にした瞬間、現実は動き出す

▼人生は“見取り図”で変わる④──動き出した瞬間、別の人生が始まる
なぜ言語化が必要なのか

侑季蒼葉です。



「人生は“見取り図”で変わる②」

続きです。

ここまでの内容は上記に記載していますのでお読みください^^

「なんとなく分かっている気がする」

こういう感覚になったことありませんか?

私、あります。

実は、この状態は、とても危ういです。

人は、感じているだけでは変わりません。

なぜなら、「曖昧なものは、現実に作用しない」からです。



たとえば、

・やりたいことがある気がする
・今のままでは違う気がする

こうした感覚は、多くの人が持っています。

でも、それだけでは何も変わらない。

なぜか。

それは、脳も身体も“指示が出ていない状態”だからです。

言語化とは、単に言葉にすることではありません。

感覚に輪郭を与えること

曖昧なものに境界線を引くこと

自分自身に「これだ」と認識させること


です。

例えば、空気は目に見えないですよね。

なのに、私たちは、なぜ空気の存在を知っているのか?

それは、「空気」という名前がつき、どういう成分なのかと、言語化されているからです。

こうして、私のさまざまなものは、言葉になった瞬間、それは“意識できる対象”になります。

夢や目標も気持ちとして持っているだけでなく、言語化した方が叶いやすいのも同じ理由です。

意識できるものだけが、選択できる。

そして、選択できるものだけが、現実を変えます。


逆に言えば、

言語化されていないものは、存在していないのと同じ扱いになるのです。

どれだけ本質的であってもです。

だから私は、

「感じる → 終わり」ではなく、

感じる → 言語化する → 構造にする

ここまでを一つのプロセスとして扱っています。

言葉にすることで、初めて“自分の人生に対して責任を持てる状態”になる。

言語化とは。

自分の人生を、“偶然から選択へ”変える行為です。

最後まで読んでいただいてありがとうございます。

続く。

▼人生は“見取り図”で変わる①──再設計リトリートの実験

▼人生は“見取り図”で変わる②──見えないものを、見える形にする

▼人生は“見取り図”で変わる③──言葉にした瞬間、現実は動き出す

▼人生は“見取り図”で変わる④──動き出した瞬間、別の人生が始まる