自分が洋楽を聴き始めたのは小学生高学年で、中学に入ってからはラジオ関東(現ラジオ日本)で土曜日の深夜にオンエアされていたビルボードの最新ヒットチャートを紹介する「全米トップ40」(日本版)を必ずフルで聴くようになった。



その「全米トップ40」を聴きながら、大学ノートにトップ40全ての楽曲タイトル、アーティスト名、順位(今週/先週)、星印(チャート上昇期待度)の有無を数年間は記し続けていた。ある程度馴染んでからは、FEN(英語版)も併せて聴く機会が増えた。



自分がティーンエイジャーだった時期に、女性ミュージシャンで強く惹かれた存在がブロンディのボーカルであるデボラ・ハリー、アイリーン・キャラ、フリートウッド・マックのボーカルであるスティーヴィ・ニックスである。



だが、この数日間でアイリーン・キャラに加え、フリートウッド・マックのボーカル兼ピアニストであるクリスティン・マクヴィーの訃報が相次ぎ報じられた。



自分が年齢を重ねて思うことは、リアルタイムで目にしたり影響を受けた存在の訃報は心により響くというものである。幼少期にエルビス・プレスリーやジョン・レノンの訃報に触れた時にも強いインパクトがあったが、リアルタイムで目にした時期は限定的だったり、追体験だったからか、自分の人生と重ね合わせることは余りなかった記憶がある。



アイリーン・キャラは、80年代に映画「フラッシュダンス」の主題歌「Flashdance(What a feeling)」で日本でも広く知られるようになった。彼女の訃報は、全てが映画「フラッシュダンス」と併せて記事化されたものである。



自分にとってはアイリーン・キャラの名を耳にして真っ先に思い出すのは、「フラッシュダンス」の3年前にヒットした映画「フェーム」の主題歌「Fame」である。「全米トップ40」で「Fame」を初めて聴いた時に衝撃を受け、この主題歌の映画をどうしても観たいという思いに駆られ、日比谷にあったスカラ座に1人で足を運んだ。自分が初めて1人で観に行った洋画作品である。小学生の頃から年間で30試合程度は1人で野球観戦に行っていたので、同じ感覚で映画にも行ったのだが、振り返ると行動力があったようにも思う。



映画「フェーム」を観てニューヨークへ行ってみたいと思い、大学時代に実際にブロードウェイに足を運んだ時には映画の記憶が浮かび上がった。アイリーン・キャラは享年63歳とのことで、些か早過ぎる気がする。



海外の人気とは裏腹に、日本では人気やセールスという面では振るわないアーティストがいる。フリートウッド・マックは、そんなグループの1つという印象である。



フリートウッド・マックは、1977年にアルバム「Rumors」(邦題・噂)が全米チャートで31週にわたり1位を獲得し、現在までの累計で4000万枚以上のセールスに達しているとされる。時代的にはイーグルスの「Hotel Carifornia」と近いが、日本ではイーグルスは知られていれども、フリートウッド・マックの認知度はメガセールスを記録したグループとしては高くない気がする。



自分がリアルタイムでフリートウッド・マックを聴くようになったのは、「Rumors」の次のアルバム「Tusk」からである。フリートウッド・マックには、スティーヴィ・ニックス、リンジー・バッキンガム、クリスティン・マクヴィーという3人のボーカリストがおり、3人ともソロの楽曲で全米トップ10入りしている。



自分はフリートウッド・マックを聴いて、スティーヴィ・ニックスの華麗な存在感とハスキーで力強いボーカルに強く惹かれた。一方でクリスティン・マクヴィーが作った楽曲とボーカルも印象に残っていた。グループにはスティーヴィとクリスティンという女性ボーカリストが2人おり、クリスティン・マクヴィーのボーカルは、優しく包みこむような感覚だった。



自分は学生時代に好きなアーティストを聞かれ、フリートウッド・マックのスティーヴィ・ニックスと答えると「知らない」と言われることが大半だった。日本でも自分より上の世代であれば認知度が高いのかもしれないが、フリートウッド・マックが知られていないと思うようになったのは、そうした経験によるものである。



クリスティン・マクヴィーの訃報に対し、海外ではデボラ・ハリーをはじめ、多くのミュージシャンがメッセージを発した。彼女の名作である「Songbird」と重ね合わせるものもあった。リアルタイムで聴いた作品では「Little Lies」は長年のお気に入りである。クリスティン・マクヴィーは享年79歳だった。謹んでご冥福をお祈りします。





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