自分がスワローズファンになって以降、荒川監督から真中監督までを観てきたことになる。


先月、荒川元監督が逝去という報に際して、当時の僅かばかりの記憶めいたものを記してみた。その際、スワローズファンの1人として観てきた各監督に対する印象を記してみようかと思い浮かんだ。


自分は一般的なスワローズファンとは、監督に対する印象などが異なる気がする。


ここでは古田敦也選手兼任監督について記してみたい。


2014年以前から、当ブログを目にして頂いている向きはご存知かもしれないが、自分は古田選手に対してスワローズ史上で若松選手(元監督)と並び立つ最高の選手だと思っているものの、古田(選手兼任)監督に対しては全く評価をしていないファンである。


監督時代の成績が振るわなくても、時間の経過とともに再評価されるケースもある。最近ではスワローズ監督退任後、タイガース監督に就任したものの3年連続最下位で退陣した野村監督、ベイスターズ監督に就任後、3年連続Bクラスで退団した中畑監督などは、その例である。


当タイトル記事に記したスワローズ監督だったら、自分は就任時は全てBクラスだったものの、土橋監督、関根監督には感謝しており、魅力も感じられた。


古田選手兼任監督がスワローズを退団してから、今年で10年目となる。だが、個人的な評価は全く変わっていない。成績も振るわず、人も遺さず、失われた2年間だと思っている。


自分は古田選手兼任監督の初年度だった2006年のシーズン中に疑問符が膨らみ始め、翌年のシーズン中には監督を退任して欲しいと思っていた。現役選手としてプレーをするのはともかく、監督専任でも期待を持てなかったからである。


投手陣に不安を抱えていたとは言えど、古田選手兼任監督は打ち勝つ野球という、時代を代表する名捕手として培ってきた野球感を反映させているとは思えないような方向性を打ち出した。


野村元監督の志向したID野球の申し子とさえ謳われた球歴から予想された野球とは異なる色合いだった。個人的には最初の疑問符がついた。


そして、選手としての出場は限定的。チームは優勝争いとは無縁なまま、試合を重ねていた印象がある。


自分が古田選手兼任監督に絶望したのは、シーズン中にある二軍の選手を一軍に昇格させた際にメディアに発したコメントを見た時である。その内容はその二軍選手は一軍のレベルではないが、一軍の経験をさせる為に引き上げたというものである。


当時の古田選手兼任監督が、こうした思いを抱くこと自体を否定するつもりはない。だが、こうしたコメントをメディアに発する感覚は、自分には理解不能だった。


監督のコメントは、選手の耳には否応なしに目に入る筈である。その選手に代わって二軍落ちした選手は、一軍のレベルではない選手と入れ替わって落とされたことを知る。一軍に昇格した選手は、そのレベルではないにも関わらず昇格したことを知り、やりにくい立ち位置となる。観客は一軍のレベルではない選手のプレーを入場料を払って観せられる格好となる。


個人的には、古田選手兼任監督が率いるチームの一軍は、その程度のレベル、場に過ぎないのかと考えさせられた。


それまでも、監督の好き嫌いで選手が起用されている感があったが、一軍入りに対する競争原理が働かない組織であることを公言しているかのようなコメントを報道で知り、古田選手兼任監督のままでは強くなる訳がないという思いに至った。


就任2年目の2007年は、土橋監督時代の1986年以来、21年ぶりとなる最下位に転落。古田選手兼任監督は現役引退、監督退任となった。


もっとも、自分は古田選手兼任監督の誕生時には、喜びを感じるとともに大いに期待もした。ホークス時代の野村選手兼任監督以来のプレイングマネジャーだが、古田選手が遺した実績はスワローズの球団史に燦然と輝くものだったからである。名選手、名監督にあらずというが、当時の自分は古田選手の実績などによって盲目的だったのかもしれない。


古田選手兼任監督の失敗に際して、ヤクルト球団が古田選手兼任監督の要望に耳を傾けなかったことを理由に挙げるファンが一定数いるように思う。


だが、個人的な印象はむしろ真逆のものである。寧ろ、ヤクルト球団は古田選手兼任監督の誕生にあたり、予算措置などで過去の新監督誕生時とは比較にならない程、多額の投資をしたと思う。


ヤクルト球団も古田選手兼任監督の誕生にあたり、予算面で相当奮発した。古田選手兼任監督の年俸は、選手としての推定年俸が2億5000万円、監督としての推定年俸が2年契約で8000万円。2006年の推定年俸は3億3000万円に達した。


そして、MLBに活躍の場を移していた石井一投手と推定年俸2億4000万円で契約を締結。高津投手(現二軍監督)も年俸3000万円ながら復帰させた。


そして、古田選手兼任監督の要望に応える形で、ヤクルト球団はヤクルトスワローズ→東京ヤクルトスワローズへ名称を変更。古田選手兼任監督が自らのイニシャルを謳ったFプロジェクトの展開にあたり、ブレーン招聘も球団に認めさせた。名称変更と言っても、それを反映させるのは多岐に及ぶ。また、Fプロジェクトという地域密着、イベント展開にあたり、ヤクルト球団は古田選手兼任の要望に応えた予算措置を行なった。


個人的にはヤクルト球団が古田選手兼任監督の誕生にあたり、10億円規模の予算措置を図ったように思う。


だが、成績は順位こそ3位だったものの、前年比で勝率は低下。観客動員数は、130万7731人→131万5389人と微増。


ヤクルト球団の立場では、大幅に投資額を増やしたにも関わらず、成績も人気も振るわなかったのだから、投資内容を見直すのは至極当然だと思う。


個人的にはヤクルト球団の立場に立てば、これだけの莫大な投資をしながら、結果が伴わないのは球団のバックアップが不十分だからだと責任転嫁されたら、憤りを感じても仕方ないように思う。


もっともヤクルト球団にも古田選手兼任監督という判断をした責任はある。


生え抜き監督だった武上監督、若松監督ともに監督就任前にコーチ経験など、前段階を踏んでいた。古田選手兼任監督に対しては、こうした前段階を踏まず、話題性と監督適正を兼ね備えていると判断してしまったからである。


今後、ヤクルト球団は古田選手兼任監督の失敗を教訓として、生え抜き選手をいきなり監督に据える判断はしないのではないだろうか。


スワローズファンの多くは、再び古田監督が率いるスワローズを観たいと思っているのかもしれない。


だが、自分はそうした思いは皆無である。あの2年間の野球を観せられて、監督待望論がどこから醸成されるのかが理解できない。当時の方向性、選手起用、その後に遺したもの、現在までに至る評論活動の何れを振り返っても、監督再登板の期待を全く抱いてはいない。


もっとも、自分は監督としては失望したものの、一選手としては未だに凄い選手だったという思いで、現役時代の活躍が色褪せたりはしない。スワローズ史を彩るレジェンドであることには変わらないからである。