・歴史は勝者によってつくられる。

・白人がアメリカ大陸を発見しそこにインディアンを見出すと、ヨーロッパで「インディアンは人間か、否か?」と言う大論争が生まれた。結論は、「インディアンは人間ではない。」。こうしてインディアン虐殺を倫理面で正当化した。

・インディアンに捕まり処刑されそうになったジョンつかまり=スミスをインディアンの酋長の娘が救ったという話(ポカホンタス)は、創作の可能性が高い。

・1619年にアメリカで初の植民地議会が生まれ、同時に「奴隷制」も導入された。

・キリスト教のプロテスタントの中のカルヴァンの教えを支持する各派を総称してカルヴァン派と呼ぶ。カトリックに対して改革派と言われ、ルター派と共にプロテスタントの一部となった。そして、イギリスのカルヴァン派のことをピューリタン(清教徒)と呼ぶようになった。

・ピューリタンは、国教会に望みをかける上流階級を中心とした「非分離派」と国教会の改革に絶望し、当時話題になっていた新天地(アメリカ大陸など)にプロテスタントの理想郷を打ち立てようとする中産階級を中心とした「分離派」に分かれていく。

・ジェームス一世は、ピューリタンを弾圧した。ピューリタン分離派102名は、ピューリタンの楽園を建設するために「メイフラワー号」という小さな船に乗り込んで、ヴァージニアを目指した。

・ピューリタン非分離派は、国内での弾圧に絶望し分離派と同じく新天地アメリカを目指す。しかし、それでも祖国を棄てることなく国内にとどまった者たちを「議会派」と呼び、後に彼らは「ピューリタン革命」を引き起こす。

・「正しいものは一つ」と言う発想がいかにも一神教のキリスト教らしい。

・イギリス人がアメリカに入植する過程でインディアンの大虐殺が行われた。

・アメリカは常に自国を正義と位置づけ、敵対する国を「ならず者国家」とし、正義と悪の戦いにする。

・アメリカは敵を追い込み、蜂起させ、蜂起したところを徹底的にたたき敵をつぶしてきた。

・1732年、アメリカ大陸で13州の植民地が完成する。しかし、その年、初代アメリカ大統領のジョージ=ワシントンが生まれた。

・フランス人たちは、アメリカ大陸に植民地を持っていたが、インディアンに友好的に接していた。一方、イギリス人たちは、インディアンを「駆除する対象」としか見ていなかった。

・その国の「初代」というのは、英雄化、美化.。神格化される。

・アメリカ中部をめぐり、フランス、インディアン連合とイギリスは闘う。フランスは破れ降伏し植民地を失うが、インディアンは闘い続けた。劣勢になったイギリスは、天然痘菌をばらまく暴挙に出た。

・当時イギリスの債務は歳入の13倍。アメリカ13週に対して次々と税金を課した。これに、ベンジャミン・フランクリンなどを中心に反発が起こる。S・アダムスが「自由の息子たち」という市民団体を組織しイギリス製品不買運動を起こす。

・G・ワシントンは、「インディアン絶滅は正義である。」と明言している。

・P・ヘンリーは、独立の世論を高めるために演説をする。「命とは、あるいは平和とは、鎖につながれ、隷属してまで守るほど価値があるものなのだろうか? 否! 全能の神にかけて断じて違う! 私は断言する。我に自由を与えよ! しからずんば死を!」この言葉は、以後、独立運動のスローガンとなっていく。

・「攻者三倍の法則」とは、守りを固める敵を陥とすには、攻め側に守りの三倍の兵力が必要となる。

・ジョージ三世の「植民地人は、反逆者である。」との国王宣言が、独立反対派を追い詰め、植民地側の結束を促した。

・ジョージ・ワシントンは、人種差別主義者で権威主義者。

・アメリカ独立宣言は、1776年7月4日に、ペンシルヴォニア邦議事堂に大陸会議の議員56名により署名され、採択された。

.。独立宣言の署名者56名、合衆国憲法に署名の40名、その他の建国貢献者20名合わせて116名を「建国の父」と呼ぶ。

・独立宣言の「すべての人間は平等に作られており、生命、自由、幸福を追求する権利がある。」の「人間」は、白人男性のことであり、有色人種や女性には当てはめられていない。All men are created equal の menは、白人男性の意味。

・独立宣言の「政府が上記の諸目的に害を及ぼすようになれば、かかる政府を改変し、または廃止し、新たな政府を設立することは、正に人民の権利である。」の部分は「抵抗権」と呼ばれ、あちこちの反乱、革命に利用された。

・アメリカの独立とは、私利私欲に目がくらんだ独立派と保身を図った国王派が、これに無関心な者たちを扇動して成し遂げた。

・白人社会では、「謝罪」などしようものならたちまちすべて剥ぎ取られてしまう。だから彼らは、逆にふんぞり返り、相手をけむに巻く。

・日露戦争後の日本は、莫大な借金(戦費)を返すために、さらに借金を重ね満州に投資した。

・アメリカ大陸軍を孤立させたかったイギリスは、1777年のサラトガの戦いで敗れたことを境に、逆にヨーロッパで孤立した。ヨーロッパ諸国は、中立かアメリカ側についた。

・「戦力の分散や小出し」は、兵法ではNG。

・アメリカ軍がイギリス軍に勝利し1783年に「バリ条約」でアメリカの独立が承認された。

・フランスは、アメリカ独立戦争にアメリカ側として参戦し、多くの戦費を使ったが、その代償は小さく、借金は3倍に膨らんだ。そのことが、「フランス革命」勃発の大きな要因となった。

・1777年に連合規約が可決も、それが発行したのは3年以上もたった1781年だった。西部領地をめぐる利害調整に時間がかかった。

・国際会議の場合、その会議で「可決」したことも、各国それぞれの議会でそれが承認(批准)されなければ、それは「発効」できない。

・合衆国政府と徳川の幕藩体制は似ている。

・主権はあくまでも13邦にあり、其の連合が合衆国。

・当時の邦は、「北部と中部 vs 南部」と言う構図だった。

・領地に人口が増えると邦に昇格した。

・連合規約は、邦に権力を与えすぎて、たちまち国難に逢着した。

・独立戦争で政府は莫大な借金を抱えることになり、政府とブルジョワは結託してこの借金を社会的弱者に押し付ける法整備をした。

・1787年、連合規約の微修正のための会議で、クーデタまがいのことをして合衆国憲法を成立させた。

・合衆国憲法は、連合規約に比べ、中央政府にかなり強大な権力が与えられた。これを「連邦主義」という。

・合衆国憲法は、「連邦主義」「三権分立主義」「民主主義」の三つの主義からなり、これに、信教、出版、言論、集会の自由などの憲法修正条項巨大(権利章典)が加わる。

・アメリカの本音と建前を見ると、表面上は美辞麗句を述べ、理想を高らかにうたうが、実際は利己主義であり都合の悪い部分は隠す。

・Confederationとunionはどちらも「連合」と言う意味であるが、Confederationは「個」に、unionは「連合体」に重きを置いている。