・「国民主権」、「教育権」、「法の下の平等」、「思想、信条、発言の自由」などを基盤とした先進諸国の社会は、いつから始まったのか。どれ一つとってもこれを勝ち取るためにどれほどの人々が血を流したことか。その格好の教材が、「フランス革命」である。

・財政再建のためには、優れた政治家が立ち、財政悪化を招いた原因をあぶり出し、財政改革を実施しなければならないが、大多数を占める汚職政治家が足を引っ張り、改革は彼らにより妨害され骨抜きにされる。

・汚職政治家自身が前面に立ち、口先だけの改革を叫び、彼らが実施する改革と言えば、増税だけ。

・オーストリアがプロシアと戦うためにはフランスを味方につける必要がある。オーストリアはこれに成功。そして、後のルイ16世が1歳8ヶ月の時、後のマリーアントワネットが生後6ヶ月の時に、政略結婚が成立した。

・オーストリアとフランスの同盟は、200年の敵対関係の転換であり、ヨーロッパ諸国は、新しい国際関係を再構築しなければならなくなった。

・「ある時代」を理解したくば、その時代の社会、経済、文化、しきたり、価値観、制度、風習など「表」の部分を支えた時代背景を幅広く理解しなければならない。

・特権階級(聖職者と貴族)は、人口比率わずか2%にも満たないほどだったが、土地保有率は、国家全体の40%近くに及んだ。

・貧富の差が極端になると、その社会、文明、国家の崩壊の大きな要因となる。

・革命には、「明確な理想と信念を以て、全体の動きを見極めつつ、大衆パワーを一つの方向に向かわせる指導者階級」が必要。

・ブルジョワ階級は、フランスの現体制を「旧制度」と呼んで批判し、民衆を啓蒙し扇動した。

・「社会契約論」のルソー、「法の精神」のモンテスキューなどそうそうたる啓蒙思想家が現れ、人々を啓蒙、扇動していった。

・江戸時代は、身分制度があっても、「ガス抜き」ができるように逃げ道が用意されており、もし、武士が、地位も名誉も権力も富も何もかも独占していたら、「徳川300年」は続かなかった。

・財政が破たんしているにもかかわらず、特権身分への課税は聖域化されていた。

・多くの人たちが革命を感じ取っていたが、党の特権身分達だけが、それを全く理解できなかった。

・歴史と言うのは、ひとたび動き始めると、決壊したダムのごとく何人たりともそれをとめることはできない。

・「バスティーユ牢獄襲撃事件」と、それに続く「大恐怖」は、ついに民衆自らが武器をもって直接「旧体制」と戦い始めた。これをもってフランス革命の勃発と見なす。

・人の上に立つものは、「アメとムチ」をいかに巧妙に使いこなすことができるか月限は、、その人の「優秀」「無能」を決める。

・フランス人権宣言(自由、平等、主権在民、法の支配、三権分立など)は、外国人、女性、奴隷は対象外だった。

・自分の生まれ育った社会の中にない概念を理解するのは難しい。

・その国の君主を懐に収めたものが、「官軍」として政治を代行することができる。

・何事も、相手を追い詰めすぎてはいけない。逃げ道を作ってやる。

・本当に能力があるものは、「的を射た批判」をすることがあっても、「何が何でもとにかく反対」はしない。

・粛清が進み、あらかた外敵がいなくなれば、今度は、内部分列を起こすのが世の常。

・フララス革命が、血で血を洗うような収拾のつかない混乱となったのは、革命が、政治に無知なド素人集団によって乗っ取られたためである。

・「始める者」は、必ず「終わらせる展望」を持たなければならない。

・ルイ17世は、狭い部屋に押し込められ、酷い虐待を革命側から受け、亡くなる寸前に助け出されたものの、10歳で衰弱死した。