・価値観など、時代が変わり、社会が変わり、民族が変わり、国家が変われば簡単に変化するもので、断じて、普遍的でも絶対的でもない。
・その時代にはその時代の正義、常識がある。
・西太后は、おのが欲望のままに生き、そのためならわが子だろうが甥だろうが、ためらいなく殺す。
・西太后が、自国の金を自分のために使わず、軍備増強のために使っていれば、清は滅びなかったかもしれない。
・中華思想(中国こそが中心であるという考え)は、中国にとって公理。
・国家の「歴史、伝統」(下部構想)の中から「制度、学問、思想」などという文化(中部構造)が生まれ、その中から「システム、技術」(上部構造)が生まれる。中国は、西欧の上部構造だけを取り入れて近代化を図ろうとして失敗した。日本は、中部構造である西欧の制度、思想、学問を和魂の下で取り入れたため、西欧式の近代化に成功した(和魂洋才)。
・高いプライドと低い実力に苦しむ者(国)は、「見せかけの実力」を演出するようになる。
・目の前の吉凶に一喜一憂することなく、その事態をいかに次に活かすかという努力が重要であることを歴史は教えてくれる。

・暗記馬鹿になるな。理解し考えろ。そうした時初めて知識が人生に役立つ知識となる。
・外交で「強気vs強気」がぶつかると戦争に発展すると誤解されがちだが、「強気vs弱気」の方がむしろ戦争になりやすい。
・ペリー来航への幕府の狼狽ぶりが、その後の幕府の威信失墜の原因。
・明治維新の頃の朝鮮は、中華思想に浸っており、また、その長い歴史で「中国が一番。わが朝鮮はその一番の子分。日本は三下。」という考えに縛られていた。
・戦争開始したい側は、相手を挑発し先に手を出させて、其の後それを理由に大きく反撃する。
・朝鮮は、歴史時代以降、常に半島北部は外国の支配下に置かれ、南部はその属国だった。
・朝鮮は、日本に植民地化されなくても、ロシアによって植民地化されていた可能性が高く、そうなっていれば正に地獄絵図だったであろう。
・日本は、朝鮮が白人列強の植民地になることを恐れた。なぜならそこを前線基地として日本を征服しようとするからだ。だから日本は、朝鮮の独立を望み、近代化に協力した。
・帝国主義時代と言うのは、白人列強諸国が、有色人種を奴隷民族にしようとした時代。
・19世紀、アジアで断トツの力を持っていた清は、西太后の浪費と内部の対立によって白人列強にむしばまれた。
・日清戦争での日本の勝利は、日本の軍事力強化と清の生態壕の浪費のおかげ。
・朝鮮の閔氏政権は、ただ私腹を肥やすことにのみ専念。
・国際法を理解し国際世論を味方につけることが、戦争に勝つために大事。
・組織にとって一番怖いのは、内なる腐敗。
・ライスクリスチャンとは、キリスト教徒に改宗することでご飯を貰い、彼らのスパイとしてその国を植民地化する先方となる人々。
・知識量と教養、分別、理解力は別物。
・ブラゴヴェシチェンスク事件とは、日露戦争直前に義和団事件を制圧するために列強諸国が中国に出兵した際に、ロシア軍が、その必要性がないにもかかわらず、ブラゴヴェシチェンスクの町民約2万人を、戦闘員、非戦闘員、女、子供関係なく惨殺した事件。
・日露戦争では、国力が劣る日本がロシアに勝つには短期決戦しかなかった。
・偉大な業績を残した歴史上の人物は、成功する市内は二の次で、とにかく行動し、努力した。
・当時、極東の小さな島国日本が、当時世界最大の陸軍大国ロシアに勝つと思う国はなかった。・戦争の勝敗はその兵站(前線に武器、物質、兵員などを送るシステム)にかかっている。
・太平戦争前までは。宣戦布告梨の奇襲攻撃が当たり前だった。当時のアメリカが、日本軍を非難するために無理やりこれを卑怯とした。
・日ロ戦争で圧倒的日ロには戦力差があったにもかかわらず、日本が勝ったのにはロシアの油断もあった。
・正しいやり方をすれば簡単に成功するものを、間違った方法でやればどれほどの労力と犠牲をはらっも失敗するもの。
・バルチック艦隊との戦いは、正に天下分け目の戦い。
・日露戦争で日本が勝ったことで、欧米列強は日本を対等の国として認めた。
・日本の勝利はアジア諸国に大きな影響を与え、アジアのナショナリズムを喚起し、アジアの偉大な救いとなるが、その後日本は、欧米列強に倣い、帝国主義国家となってしまった。
・日本の海軍省曰く、日本が勝てたのは、六割が天運、四割は、日本人が死ぬような血みどろの努力を重ねて自らつかみ取った運。

・日露戦争は、どんな絶望的な状況になっても、最後の最後まであきらめず努力したからこそ勝てた。