新年あけて、我が家は本当にゆっくりゆったりとした日々をおくっています。

雪がしんしんと積もったり、冷たい風が吹くこの季節は、家にこもりたくなります。

それでもそんなキンと冷える外気が恋しくなって、外に出て柴刈に精を出す。

時折顔をみせてくれる太陽のあたたかいこと。

今年の太陽はどうも、格別な感がある。

光が透明度をましているような。そんな感覚。

太陽でてきてくれてありがと~! 思わず、4歳の娘とお空の太陽にむかって大声をあげる。


あかちゃんのいる生活もすこしずつリズムができてきて、わたしの身体も随分元気になって、日々の薪風呂焚きとご飯作りも、随分楽にこなせるようになってきた。


火のある生活はそれだけで、日常に行う仕事がたくさん。

山にでむいて柴や杉っぱをひろって焚きつけにする。

それらを集めるのは主にわたしと娘の仕事。



由朋(ゆうほう) 朋のブログ

そして、その合い間に最近4歳娘とピアノで遊ぶ時間ももてるようになってきた。

音を出すこと、ピアノを弾くことは、なにも特別なことじゃなくて、内側にあるエネルギーをありのままそのまんま感じて表現できるってことが物凄く素晴らしいことだと、感じていて。

だから、技術的なことなんて、本当はどうでもよいのです。

音の中に自分の感覚すべてを預けてその波のような波動のような 宇宙のような広がりある深い世界の中に埋没してゆくのです。4歳の娘は、わたしから流れ出てくる音にいつのまにか馴染むように自分なりのリズムをもって気持ち良く唄ってる。自由ってこういう感覚なんだ!って、そんなことを実感できるのは、音の感覚の中によくあること。


今日は、いつもの柴刈のあと、どうしても踊りたくなって、0歳の息子を抱っこしたまま、お気に入りの音楽をかけて、身体を感じて身体をゆらゆらさせて、ひとつひとつの筋肉や関節を感じて、そのまま流れのまま身体を動かしてゆく。

4歳の娘と手をつないだり、娘の身体にふれてエネルギーを交感させたり。。。

0歳の息子早人くんがうまれてから、どうしても、娘一番でいれなくなり、時には厳しいこと、たくさん言っていて、そんな日常のなかで、彼女をかんじて、触れて慈しみ合える感覚に埋没していきました。

ものすごく気持ちよくて、体中からあふれてくるこの素晴らしい波動のような喜び・存在できている気持ちよさのような・・・なんともいえないものを感じています。覚醒状態というのかな~ 自分の身体がすべてのものと溶けあっていって今もその状態がつづいていて、丹田がものすごくあたたかい。


嬉しくて 嬉しくて 涙がでてくるのです。


なんでしょう。


わたしたちは生きています。


でも、ほとんどのかたは、経済活動に1日の大半を費やしています。

わたしも、そんな生活をしていましたが、今は生きるために必要な火の確保が重要なしごと。食べるモノを大地に種をまいて、育つのを待ち、実ったものを頂くことが重要なしごと。関わる人の中に、自分をみつけて、さまざまな思い込みからさようならしてどんどん楽に生きれるようになることが重要なしごと。



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そして、わたしが何より。。日々の生きる日常を豊かにさせてくれるのが、言葉をこえた、この表現の場なのだと、今日、また改めて感じています。


声をだす。音を奏でる。ダンスする。誰かとそのエネルギーを交感する。触れ合う。


そこには、喜びしかない。何ともいえない気持ちの良い波のような波動がひろがるばかり。。。。!!!!


わたしがいま、体験しているこの感覚を、これから、いろんな人とシェアしていけたら嬉しいな。いろんな人と体験してゆけたら嬉しいな。

時には言葉も必要かもしれないけれど、今は、こんな素晴らしい感覚を味わえていることに、わたしを生かしてくれている神様に感謝です。


子供と過ごしていると、時に理不尽に子供に対峙してしまうことがあります。

人によっては、そんな衝動を抑えて抑えて我慢している方もいると思います。

でも、それは、それで、良いのではないかな。

良くも悪くも、ないのだと、思うのです。


大切なのは、こういう時間。

相手を感じて、感じあって、交感し合う時。

音を奏でることで、言葉を超えてわかりあえる時がある。

そうするために、特別な技術なんて必要ないのです。

今でも、その昔、共にセッションをした母国語の違う世代も違う友人と、遠く離れているのに、、愛を確かめあい、チャットしたりしている。。。

この感じ。相手が存在してくれている喜び。わたしが存在している喜び。

宇宙があるから。地球があるから。あなたがいるから。



共に踊りませんか?唄いませんか?


生きるって こういうことだって。喜びでいっぱいです。