前回の心理学の講義でアドラーを
勉強しました。
私が今まで幸せを感じてこなかった理由が、
そこにはっきりと書かれていました。
「これだ…」
幸せって何?
と思ってた私にとって、
幸せに感じるために必要なものすべてが
なかった![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
![ポーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/040.png)
幸せを感じるためには
共同体感覚があるかどうか
私はここにいていい
人を信頼してもいい
私は役に立っている
を感じているかどうか。
これを感じる度合いと幸せの
度合いは比例している
と言うことでした。
私は少し前まで、
私はいない方がいい。
私は迷惑ばかりかけている存在だ。
人は信用できない。
この3つが綺麗にない状態じゃあ
幸せに感じるはずがないじゃん…![チーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/045.png)
![チーン](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/045.png)
腑に落ちた瞬間でした。
あの頃は、
幸せになりたい。
誰か私を幸せにしてとか、
誰か私がいてもいいのか証拠はどこ?
私は役に立ってるの?
私が信用できる証拠が欲しい。
と全て他人に求めていました。
でも証拠なんてどこにもなく、
人が与えてくれるものでもないこと、
それに気づいていませんでした。
自分で信じることができるかどうかでした。
根拠も証拠もないけど、
幸せになりたいなら、
私はここにいてもいいし、
人も信用してもいいし、
私は居るだけで役に立ってる存在だ。
と信じること。
信じてみると、
私以外とここにいていいかも、
人って信用できるかも、
私は十分役に立ってるかもと
感じる体験があることに気づくよう
になりました。
信じることから始まる![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/048.png)
![ウインク](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/048.png)
まさにそれ!!
信じないと何も始まらない。
今はね、
私はみんなから愛されている。
と信じてる![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
![デレデレ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/047.png)
料理が上手にできなくても、
物覚え悪くても、
不器用でも、
寂しがりやでも、
すごく怖がりな私でも、
どんな私でも大丈夫。
愛されているからね![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
![照れ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/027.png)
最後まで読んでいただきありがとうございました。