私の先生…
今の私があるのは前回申し上げたように星岡の井関先生のお陰ですが、もう一人忘れてならない方が、私にず~とお点前を教えて下さっている佐野先生です。
私がず~と何十年も茶道を続けてこられたのは、佐野先生の優しいお人柄のお陰です。
嬉しいとき、悲しいとき、共に喜び、共に悲しみ、何時も優しく接して下さる、先生だったからです。
まだ若いころ星岡も知らず、本と首引きの状態で、何も知らないのに、お茶事をしました。
佐野先生は、「まだ早い」とか、「あなたには無理」とか一言も仰る事無く、何度もお客様になって下さいました。
他のお社中の友達に聞く所によると、他の先生は大抵嫌がられるか禁止されるそうですが、後に星岡でお茶事の勉強をしてお茶事をすることを、佐野先生はむしろ応援してくださり、幾度も社中の皆とお客様になってくださいました。
だから、私は心置きなく一杯勉強できて、今の私に成れたのです。
大きな優しい心で応援してくださる佐野先生に感謝しています。
私もそんな先生になりたいと思っています。
* 本日のお稽古場 *
11月に入り、1回目のお稽古日です。
11月はお茶の世界では、「口切り」という大事な行事があり、お茶のお正月でもあります。
10月まで<風炉>でお手前していたのが、寒さもだんだんと増してくるこの時期、お茶さまの近くに火がくるよう<炉>のお手前に変わります。
畳に切られた炉の中で、炭は赤々とおこり、釜はいいように煮えたぎる…。
初夏に摘んだ新茶が寝かされ、美味しくなって初めて味合う今年のお茶は、また格別でしょう。
優権のお茶事でも、今月は『口切りのお茶事』。
いつもお茶事は、月末あたりが多いのですが、今年は月初めに行われので、お茶事で使った茶壺がまだ手元にあるとのことなので、来週は社中でも、<口切り>を見せていただきます。
さて、今日のお稽古。
久しぶりの<炉>のお手前。
また、風炉の時期から入門された方は、初めての炉のお手前になりますので、シンプルに平手前の濃茶と薄茶を。
* 釜・・・双鳳文宝珠釜(菊池正直 作)
このお釜は、おめでたい宝珠の形をしています。
向かい合わせに鳳凰がほどこされ、茶の正月にはふさわしいもの。
そうそう、「鳳凰」は麒麟、亀、龍とともに四霊と呼ばれる想像上の動物で、喜ばしいことがあると出現すると古代中国で考えられいるもの。
「鳳凰」は、オスとメス合わせて鳳凰になるわけで、鳳凰と書かれていれば2羽いるのが本来の姿とか。
去年も使っているのに、鳳凰のこと、初めて知りました。
でも、今ではほとんど、鶏のように冠をもち、尾が長く、羽毛は五色に彩られ、鶏と孔雀を組み合わせたような姿を見れば、1羽でも鳳凰って言ってますね。
主菓子は、時代物の菊の器に盛られた<鶴屋吉信>の「京観世 」
しっかりした甘さが、濃茶を引き立てます。
最近の和菓子は、ヘルシー指向なのか甘さが控えめな物が多いですが、お菓子を頂き、濃茶までの余韻と相乗効果をねらえば、やはりそれなりにしっかりとした甘さも必要だと感じました。
真塗りの瓦型の菓子器に盛られた干菓子は、先生のお手製。
季節の「紅葉」と、おめでたい「松葉」です。
どちらも作りたてですから、市販で求めるポキっと堅い物とは違い、柔らかな食感が初めて頂いた時、感動ものでした!
さて、床飾り。
・軸・・・・・・「蓬莱」(前大徳寺 西垣大道 筆)
・花・・・・・・菊(名前 不明)・令部
・花入・・・・竹二重切
二重切とは、窓(水が入るところ)が二つあるものをいい、今回のは、花が入れられている所と、一番上にも水が張られています。
・香合・・・・石臼(花映 作)
さて、この先生が作られたばかりの竹の花入れ。
上の床飾りの時には、油抜き前なんです。
お稽古後、油抜きの仕方を教えて頂きました。
「油抜き」とは、竹の中の油や水分を除去することで、これによって竹の美しさを保ち、丈夫にします。
火で炙ったり、茹でたりする方法がありますが、先生のところでは、ガスコンロの火で直接炙っています。
一般家庭では、この方法が一番やりやすいようです。
焦げないように回転させながら気をつけて炙り、油分が浮いてきたらすぐさまゴシゴシとその油で表面を磨くと、とても綺麗な若草色になります。
これを油が出なくなるまで、丹念にゴシゴシと…。
人間でいえば、産毛をとってお肌を磨いた状態になるわけです(笑)
さて、磨くとどんなに変化するんでしょう。
↓の差、分かります?
* 油抜き前 * 油抜き後
竹本来の茶色部分と青の部分との景色が、いっそう美しくなりました。
どうしてそんなにお茶事なの? ②
80歳の母に聞かれます。
1人で出来る趣味に変えたらど~お?
手伝いが居なきゃ・お客様が居なきゃ出来ない、しかも重労働!
どうしてそんなにお茶事なの~?
病人を送り、なかなか元気が出なかった私は、陶芸を始めるのも1日延ばし
・・明日から・・明日こそ・・でも今日もやる気にならない・・・
そんな時、星岡の井関先生が、
「お茶事をしてください。お客になるから。暇にしていると何時までも元気が出ないよ」
とおしゃって下さいました。
それで重い腰を上げ、井関先生をオモテナシする為にいろいろと考えた末、8月でしたので、「夏祭り」の趣向にしてお茶事をしたのです。
お茶碗や水指等焼き物は全て優権窯・母と私の作品を使いました。
料理はもちろん、主菓子も干菓子も心を込めて作りました。
「これこそ手作りのお茶事」と、とても喜んで頂け、
「これだけ出来るのだったら、星岡のように、毎月お茶事をすればいい」
と仰いました。
そのお言葉で素直な私は、その年平成5年の11月から今のように
「どなたでもどうぞ!!お茶事を体験して元気になってください」
と、月釜をはじめたのです。
1人でやる陶芸と違って、お茶事は前もって人とお約束するので、お約束したからには頑張ってやるしか無いし。
お客様に喜んでいただけたら、それが次のお茶事への大きなエネルギーになるのです。
お陰様でそれ以来すごく元気です。
井関先生もお料理教室のときは、一寸怖い方かと思われるくらいに、にこりともせず集金されていましたが、お茶事になるとそれは人が変わったように、ニコニコ楽しそうにされていました。
やはりお茶事が、よほどお好きと思われます。
だから私にも勧めてくださったのでしょう。
とにかく今の私があるのは、星岡の井関先生のお陰です。
元気をあげられて、元気を頂ける、お茶事 やめられない!!
どうしてそんなにお茶事なの?
引っ込み思案で話下手な私は、18歳のときお茶を始めました。
余計な話をしなくても良い、むしろしないほうが良いお茶は一番性に合って、只々続けて居りました。
もう17年くらい前になりますか、阿佐ヶ谷の「星岡 」の日本料理講習会に参りまして、井関先生のお茶事 に出会ったのです。
茶道の真髄を知らされるお茶事でした。
素晴らしくて、楽しくて、美味しくて、もう夢中になり10年間毎月通い続けました。
そんな折家族が重病になり、看護の明け暮れで、それはそれで迷いの無い日々でしたが身も心も疲れ果てておりました。
一時病人の具合が小康状態のとき、1日お休みを貰って星岡のお茶事に行きました。
その4時間の間は、死にそうな病人を抱えていることも忘れ、仙境にいるような心地で、体も心もすっかりリフレッシュ出来て、さあまた看護頑張るぞ!!という気になりました。
そのとき お茶事ってすごい!!と痛感したのです。
続きはまた今度 。
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『優権の庭の花たち』
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蔓蕎麦













