あらすじ

 こうして、須磨・明石での、およそ1年半のわび住まいが始まった。

須磨の閑居は、都の華やかな日常とはうって変わり、うらさびしい限り

である。京に残してきた女性たちとの文通だけが、わずかに傷心の源氏

を慰めた。

 一方、明石の入道(もと播磨の守。桐壺の更衣のいとこ)は、源氏の

須磨下向を聞いて、娘明石の君に結婚の好機がめぐってきたことを喜ん

だ。妻(母君)の懸念をよそに、宿願の実現に踏み出す。

 

       明石の入道夫妻の意見の衝突

本文

 母君「などか、めでたくとも、ものの初めに、罪に当たりて流されて

おはしたらむ人をしも、思ひかけむ。さても心をとどめ給ふべくはこそ

あらめ、戯れにてもあるまじきことなり」と言ふを、いといたくつぶや

く。

現代語訳

 入道の妻は、「どんなにすばらしいと言っても、罪で流された人を、

どうしてわざわざ娘の結婚相手に考えるのですか。それでも 気に入っ

てもらえるなら、それでいいのですが、冗談にも考えられないことです

わ」と言う。

 

本文

「罪に当たることは、唐土にも、わが朝廷にも、かく世に優れ、なにご

とにも人に異になりぬる人の必ずあることなり。いかにものし給ふ君ぞ。

故母御息所は、おのが伯父にものし給ひし、按察使大納言(あぜちだい

なごん)の御女(おほんむすめ)なり。

現代語訳

(入道は、妻の語気に押されながらも、抗弁した)「罪に当たるのは、

唐土の国でも日本でも、世に優れ、ぬきんでている人には必ずあること

だ。いったい、あの君はどういうお方か、知っているのか。亡き母(桐

壺の更衣)は、私の伯父にあたる按察使の大納言の娘だ。

 

 

本文

 いとかうざくなる名を取りて、宮仕へに出だし給へりしに、国王すぐ

れてときめかし給ふこと、並びなかりけるほどに、人の嫉み重くて、失

せ給ひにしかど、この君のとまり給へる、いとめでたしかし。女は心高

く仕ふべきものなり。己かかる田舎人なりとて、おぼし捨てじ」など言

ひゐたり。

現代語訳

 才色兼備の評判高くて、宮中に入り、帝の特別な寵愛を受けて並ぶ者

がなかったが、他の妃たちの嫉妬のせいで亡くなった。けれども、源氏

の君が生まれたことは、実にめでたいことだよ。女は理想を高くもって

仕えるべきなのだ。自分はこんな田舎にいるとは言っても、娘を源氏の

君が見捨てることはあるまい」などと言っていた。

 

本文

 この女優れたる容貌ならねど、なつかしうあてはかに、心ばせあるさ

まなどぞ、げにやむごとなき人に劣るまじかりける。身のありさまを口

惜しきものに思ひ知りて、「高き人は我を何の数にもおぼさじ。ほどに

つけたる世をばさらに見じ。命長くて思ふ人々に後れなば、尼にもなり

なむ。海の底にも入りなむ。などぞ思ひける。

現代語訳

 明石の入道の娘は、特別に美人というわけではないが、優しくて品が

よく、怜悧な態度は、都の姫君たちにもひけをとらない。自分の田舎育

ちをどうしようもないと諦めて、高貴な方は自分を相手にしてくれない

だろう。でも、身分相応の当たり前の結婚など絶対にしたくない。両親

に先立たれたら、尼にでもなってしまおう、海の底にも沈んでしまおう、

などと思い詰つめていた。

 

 

 ★第12帖須磨には 明石入道の娘との出会いが描かれている。彼女は

  父親譲りの野心家で、都育ちの姫君にはないたくましさを持ってい

  る。この女君がやがて 温室育ちの源氏を下から支えて、栄華を実

  現することになる。

 

 

            角川ソフィア文庫ビギナーズクラシックス

                    日本の古典源氏物語より