そう言えば
私が世界平和だと思い
裕山単衣を広めたい理由は
タンスに眠る着物を使いたいと思うひとつに
日本で起こった戦争を忘れたくない
がある
戦争はいつの時代も今まであり
今も尚、世界の地域によっては行われている
戦後日本は豊かになり
着る服も変わり
着物は文化となり
日常から着物姿が特別な日
と認識が変わって来ている
(もちろん着付けを楽しむ人がたくさんいることも知っているし素晴らしいと思うことはまず前提としてある話)
文化という点で見ると
海外の方の人が着物良いよね✨と羽織を着たり
ぜひ着物着たい✨👘と言ってくれたりする中
若者は成人式ですら
着物は着たく無いと言う
(個人差はもちろんあるが)
その分平和なのだ
世界平和だと言わなくとも平和なのだ
だけど
だからこそ
いや、なのに?!
なぜ自殺者は一向に増えるのだ
しかもコロされるのは自分の手で
自分をコロスのだ
心をまずコロスのだ
そんな中
では戦争とは一体国と国のことだけなのだろうか?
私自身
自分で自分のことを嫌い
自分で自分を何度もコロそうとして
だけど身体は生きていたら自殺にならないと
知らず知らずに心をコロしてきた
そして実際自分の体が病気になってやっと
まだ死にたく無い
まだ死ねない!って本当に思ったから
では心をコロスのは自殺ではないのか?
いや、
むしろその方が酷くて残酷かもしれない
昔の一日いちにちを
一生懸命、精一杯生きていた日本人の生活は貧しかったかもしれないが
心はとても豊かだったと思う
食が違う服が違う
生活がもう
今と全然違うのだから仕方ない
たしかにそう、だから
だからこそ
人間は
忘れてしまう生き物なら
忘れないように生きること使うこと
甦らせ活かすこと
今の戦争を知らない私達が出来る事
私に出来ること
そして
自らを生かし
喜び、心に豊かさと
本当のゆとりを持って生きることは
必ず世界平和に繋がると
思うのだ
世界平和は
個人の豊かさから
そう本当に思っている
1人豊かな気持ちの人がいて
2人豊かな気持ちの人がいて
5人10人
100人1000人1万人
数千人と周りに必ず影響していく
豊かな人は心から笑顔溢れるから
心も体も身の回りも穏やかでアクティブで
日本人が築き上げてきた
伝統の祭り等は必ず着物なのだ
そう思うと
私は着付けや作法などは疎くて
きちんとなんてできない💦
教えてもらってもなかなか覚えられない
だから
だったら何が私に出来るのだろう
知らなくても文化や豊かな気持ちになれて
心が感じれる
そんなこと増やして行けば良い✨
私に出来ることからで良いんだ✨
それが戦争を乗り越えて存在してきた
着物を触り着物を纏う
着付けが出来ないけどタンスから
ひっぱり出す👘
きっかけになればそれだけでも面白いじゃないか✨
戦争を乗り越えて来た着物なら
布が怖い?人の念が怖い?
本当か?それは本当か?😱😳
戦争を乗り越えて来た
着物がタンスに眠っていた着物はどれだけ大切に扱われてきたのか
そのままゴミになるより
明るい未来を共に歩くほど
ポジティブで豊かな国を誰が呪うだろうか
日本には八百万の神が宿るなら
着物にも神は宿り
エネルギーがある
一生懸命
精一杯生きていくことを
忘れないように
魂が溢れてエネルギッシュな精神を本来持っている日本の豊かな平和は
世界唯一多くの神々や
先祖代々の祖先仏が守って来ている
私の実家も永代供養することが決まり
墓を閉める
だけど私はそれはある意味拡がりを覚える
人類皆兄弟
そこへ帰るような感覚がある
ものは考えよう
良いように考えすぎ
それのどこが悪いのだ
私の考えは人の逆を行くかもしれない
だからこそ
良い考えで人生をまっとうする
そんなことで幸せに生きることは
私はカッコいいと思うんだ✨
もちろん試練がたくさんあるだろう
それも考えているけど
まだわからないから(笑)
笑って生きることは大事だとも知る
想いが詰まっためんどくさい重い話かもしれないけど深い想いがあるから
私はもう言うしかない(笑)
だから踊り、笑い、歌い、今日を楽しむ
もちろん落ち込むし
浮き沈みもある
八百万の神のひとりのように✨



