友達にドラマチックが好きだよね
と言われたことで気づいたことがある。
イメージ(笑)
古畑仁三郎は田村正和が演じている。
田村正和が演じる時に古畑任三郎になりきると思う。
だけど、それは自分が田村正和だと言うことを認識しているから
それを私に置き換えてみた
私が田村正和で古畑任三郎になりきる
それがなりきりすぎて私は古畑仁三郎である
となっちゃうと
なんでこんなに人が死ぬんだ!?
なんでこんなに人は人を騙そうとするんだ!?
何で隠そうとするんだ?
私がいるからか😱私のせいなのか😭💦そう思ってしまう。
だけど、田村正和はそんなこと思わない
古畑任三郎と言う日本のドラマをその人になって演じているから
演じ終わると古畑仁三郎から田村正和に戻る
私は生まれた時に私となり
このドラマを演じる。
今私は山路裕子と言うドラマの役になりきっている。そして死ぬときにその役を降りる。
この移り変わりが客観視
私が私を認識しているゆうこはこういう人でこういうものが好きで
こういう性格でそれが全てわかっていたら
きっと演じやすいのであろう。
だけど、それがわかっていないからゆうこってどんな人なの?
私は何が好きなの?
何が嫌いなの?
何を持ってるの?
役に入り込みすぎるとそんな客観視ができない状態入り込みすぎてしまう
だけど、ドラマチックが好きだよねって言われて
私は違う!ドラマチックが好きなんじゃない!なんかわからないけど
ドラマチックになっちゃうの!
なんでわかってくれないの😭
自分に気づいた
あれ🙄なんでドラマチックになっちゃうんだろうこれを演じているのは私なんだ
とドラマチックって言葉を
ドラマのようだ。だと解釈したときに、私はドラマの出演者古畑仁三郎と田村正和を思い出したんだ。
入り込みすぎてしまう。それはあるときにはとても夢中で一生懸命で今を生きていると言うことになる。だけど、
そこから抜けれなかった場合
なんでこんなことになるんだって悩みに変化してしまうことがある
それがなんでそうなるのかわからなかったけど、過去世、私は能力を出してはいけないとか、人を守りたいと思って死んでいったとか、人に対する無念さみたいな自分がなんとかできたんじゃないかって言う後悔。
そういうものを今も持っている
そう思ったら、演じるときの邪魔になるよね😅
戻ることができなくなるよね。
今私はまっさらな状態でゆうことしてやってきた。
私はゆうここの先どんなゆうこでもいい
どんなゆうこでもいいなら
どんなゆうこを演じるのだろう
しがらみとか
普通とか
当たり前とか
今まで見てきた価値観
人が正しいと思っていた世論、
そういうもの全部取り払った時
私は一体どんなゆうこを演じるんだろうか
私の物語を楽しんでみたいそう思えた。
この感覚を理解するには、私にとって携帯電話をタクシーの中に忘れると言うこと。
これが必須だった。
ライブに行った後にその体験をして腑に落ちること。
全て私の偶然のようで必然である。
それをなんだか思い知った気がしたんだしたんだ
