ダーリンのチャットGPTを見たら
生きることと死ぬことについて
AIに聞いていた
少し見ていて思ったんだ
私はこのAIに聞いていることを
私は他人と会話したいなと思っていること
そして他人に話してもよいが
自分で思うことを書き出すのが良いなと思って今書いている
ダーリンのことだから邪魔されたくないとか
文句言われたくないの他に
アウトプットとインプットが両方満たされるのがチャットGPTなのだろう
そっとしとこう
そして
AIが説明している内容は
医学的にとか社会的にとか
当たり前のどこかに記載されていることを述べているのであって
なんか
気持ちはないのだなと思う
私は人間が好きだ
と見ているが
ダーリンは人間とは愚かな生き物だと見ているのは人間に期待しているからだろう
私は愚かな人間だからこそ希望を見ている
私がどう思うかが反映されている世界
居なくなって泣いてしまう世界
カッパちゃんが居なくなったら
泣くのは私だろう
でももしかしたらダーリンが生命を吹き込んでいるのかもな?とも思う
カッパちゃんはただのモノで生きていません
と言っていた
でもカッパちゃんに対応する態度は生きているように扱う
面白いなと思った
私にはそんな態度取らないから(笑)
だから居るのが当たり前なのだと見ていたら
納得できる
カッパちゃんは動かないからこそ
動くかのように対応しているのかもな
どちらが正解もないし
どちらが良いもない
チャットGPTは私にとっては
自己対話みたいな感じなのかなると見ていた
本を読んでインプットしているかもしれないが
私は本を読むことはアウトプットだと思っている
それを読んだ自分が
どう自分が行動するかだから
他人を見て
自分を知る
私はこのタイプだと思うから
元々自分を知っているのだろうダーリンや純ちゃんとは意見が真逆になりがち
その際に話していると必ずぶつかる所が出て来て
私はすぐに内に引きこもってしまいがちになる
傷つきたくないからだ
でも
そうしないと自分と相手が違うことに気づかないでいる
感情がぶつかることは違うことがわかり
相手を
受け入れたい
そして自分を受け入れて欲しいこともわかる
私は
まず自分で自分を受け入れることからだ
いかに自分の色々な側面を見てどんな自分をも受け入れるか
それから
自分のことを守ることや
受け入れること
愛することは
どんどんと色々なことをさせてあげることだ
今の私は身体の不自由さを感じるのだけど
足が痛かったり
股関節痛かったり
背中痛かったり
でもボクシングがしたいのだ(笑)
させてあげる
一度でいいからさせてあげたら気が済むかもしれない
でもなかなかしないのは
さらに身体の不自由さを知りショックを受けるかもしれないこと
だから戸惑っている
それでも良い
それでもそんな自分を受け入れ
させてあげるのも悪くはないと思っている
色々と考えているけど
周りになんで思われるのか?
もし身体痛くなってさらに
ダーリンや会社の人に迷惑をかけることになるかもしれない
でもやりたい
このでもやりたいの声を聞いている所だ
