私は


目に見えないモノを

大切にしていた




だけどそれじゃダメだと


目に見えるモノをもっとしっかりしないと

生きていけないって



生きるためにしっかり生きないといけないって



周りに聞いて


周りの言うことが正しくて



周りの言うことを

聞いていかないと

生きていけないんだと

素直に思って






それから親や周りの大人を見て


自分以外の人を見て

自分と随分と違うことがわかり





私はどこかおかしいんじゃないか?

って思っていた






そういう

目に見えないモノじゃなく





目に見えるモノをしっかりと

ちゃんと

チキンとやらなきゃ

ダメだと





すごい思って

結婚生活をして

大人になって来たけど



だんだんと

それは本来の私には合わず


どんどんおかしくなって


毎日

少しずつズレた歯車は音を立てて軋み出していた




私は

私のことを見るのが苦手




俯瞰して自分を見るって

難しい

他人のことはよくわかるのに



だから

本当にやばい!となる出来事が起きないと


わからないのだろうな



だからなのか

病気や事故が起きる





もう嫌なんだ

そこまでしないと気づかない私





だからある時

もう私は私を大事にしたい!って

誓った







結婚って


自分との誓いだと思う




自分がどれだけ自分を守れるか


自分がどれだけ自分を見て行くことができるか


そして

出来ない自分のことも

許せるか


そんな

いや、

こんな自分を愛せるか


元々愛していたはずなのに



自分以外に正解があると思って

そちらを優先してしまう


いいんだけど


それが自分の認識なくしてばかりだと


やはり歪みが生まれてきて


私みたいなタイプは

自分を責める




だから


元々に戻るだけ




本来の自分に戻るだけでよかった



ただそれだけなんだけど

根付いた

思考癖や思い込みというビリーフは


なかなか

外れるには

毎日の筋トレのように


一回では慣れない




私は周りから見たら

簡単に羽根が生えたみたいに

動いているように見えるかもしれないけど


毎回何かの挑戦するときも

うんコラショ😱💦💦💦と

すごい負荷がかかっている



やりたい✨を大切にしたいし


何より


経験したい私に

色々な経験をさせたいから



バランスって上手く行かそうとすると難しくて


わかってもらおうと思うとなかなか伝わらないことが多くて


誰にも言わない愚痴みたいなのは

布団にくるまり叫んだりもする



私はどこか独りなんだと

孤独に襲われる時もある





誰かにわかって欲しいと思いながら


だけど

地下深く降りていくからこそ


暗闇の静けさと

孤独の落ち着きと

独りの心地よさも知りながら

地下から上がって行くときの

喜びの味も

明るさも

そりゃよくわかるんだなと思うんだ




何も考えなくてもいい


何か考えながら動いてもいいし

動かなくてもいい


何も知らない

何もできない


だとしても


私は誰でもなくわたし


なんだ



わかっているけど

比べてこそ

私だと認識するし


私だからこそ

出来るを知りたい



私とはいったい何か?

って



子供の頃

考えてもわからなくて

でも考えるってことが

なんだか楽しかった



いまだに私っていったい何か?を考えるけど



今わからないだけで

死ぬ時にわかるかもしれないし


わからないかもしれない


本来

不確かなものばかりを見て

今まで見てきたなら



不確かなモノを

確かなモノにも出来るチカラ


備わっているかもしれない



目標みたいな何がしたい

が無いと生きにくかったけど



何がしたい

もなくても生きている私がいる


私にとっては

挑戦する事が生きることでもある


そんなのわかってるよ

ってことも

言葉にしたら


何かしら


不確かなモノを

確かなモノにも出来るんじゃないか?と思う




きっと人一倍

すべてあるを知ってるから



だから証拠をみたくて


あるを感じて


あるを見たくって


あるを知りたいんだろうな






ずっと欲しかったアメジストの石をついに買ったよ(笑)


私の欲しいを叶えていくんだ

私のために



何年かかったんだ

この話はまた今度