何かが

全てが違う

ないのではなく

なぜあるのか、なぜそこにモノがあるのか

なぜこの人がここにいるのか

なぜ私はここにいるのか

すごく考える   朝起きたとき


私はなぜここにいるのか


私は何者なのか

ここは一体どこなのか

とても考える




そして神がいるかどうか

神様と言われる全知全能の

この世界の創造主


と教えられてきた




神様と言うものは一体何なのか


と考える


何かが全て違う、ない のではなく


なぜあるのか


なぜそこにものがあるのか


なぜこの人がここにいるのか


なぜ私はここにいるのか


すごく考える


朝起きたとき


私はなぜここにいるのか


私は何者なのか


ここは一体どこなのか


とても考える



そして神がいるかどうか


神と言われる全知全能の


この世界の創造主と教えられてきた神


と言うものは一体何なのか


と考える


そして


この世に生まれたのは

私であって


神ではない



私が生まれたことによって

この世界はある



そして遡っていけば私の母が生まれた時に

母の世界が生まれ

私が生まれている



そして母の母が生まれた時に

母は生まれ母から私が生まれ

私が生まれている


ただしそれをさかのぼっていくと

私は全く何もない


私が生まれた時に全てが生まれている


このプロセスは確認しようがない


は確認ができないのだ


何百年も昔に戻ることもできない


受け継がれている私の中に流れる


血と言うものがある


それを思うと目に見えないものと言うのは


この世界にはたくさん溢れていて


私の中にもたくさん流れているのだと知る


それぞれ個人が神であるのであれば


私も神である


神と言うものは

誰かが定義付けた何かであって

誰も見た事は無い


だけど私の中に流れている

私も見たことのないような血の流れ

血縁と言うようなもの


思ったのは



ここに龍のしっぽがあるので

踏まないでください


と言ったとしたら

その尻尾を踏んでいこうとする人と


何もないと言って

そのしっぽを避けていこうとする人と


2手に分かれると思う


その尻尾を避けていくような人と言うのは

きっと私と同じように

何かがあると

見えている感じている


からかもしれないなと思った


そしてしっぽがあると聞いても


踏んづけて行くが悪いと言っているわけではなく


人それぞれであるだけ


だってその人の中には

また何か別の信じるものが

きっとあるのだから


私は信じると言うことが

いまいちよくわかっていなかった


信念と言うものが

いまいちよくわかっていなかった


信じている念

念 今の思い


今信じていると言う心


ただそれだけである


と言う見方をすればしっくりくる


私は自分の中でしっくりくるものを

ずっと探し続けているのかもしれない