私にはウェルビーイング
幸福な状態の流れがある
血を巡り心臓を動かし呼吸をする
自分で止める事は出来ない
これがウェルビーイング
私達の身体の中にも巡っている流れ
簡単に知るには胸に手を当ててみると鼓動を感じる
呼吸に意識を向けると息をしていることがわかる
それを感じるには
私という身体と感じる心が必要になってくる
そして
私を知るには他者が必要
この世という世界が生まれた時
ただの点から始まったなら
はじまりのすべては
そこからたくさんのモノを作り出した
1番最初
はじまりのすべては
すべてを生み出すチカラがある
私達は
そのはじまりのすべてのカケラなのである
なぜそんな創り出したのか?
きっとはじまりのすべては
ただの暇つぶしに世界を作ったのではないだろうか?
ただの暇つぶしに
私達は日々翻弄されている
そう思うと
なんだ、どーでもいいじゃないか?
良くも悪くも
はじまりのすべてにおいては
良い悪いという観点がないなら
日々の悩みで悩むことは
くだらない事なんだと
だけどなぜこんなにも
人は悩み苦しむのか?
気分の良い悪いがあるのか?
その時に
思い出すのがウェルビーイング
自分の身体の中にも流れている
自分では止めることのできない幸福な状態
出来ることは
その流れに逆らい
抵抗することだけ
人の苦しみは
ただの抵抗
抵抗しなければウェルビーイングの方向と同じ方向を向いていると
気分が良い
気分が悪い時は
自らが抵抗をしているだけなんだ
抵抗、幸せの流れに抵抗するから
苦しみを味わう
ならなぜみんな幸せになりたいと思いながら
抵抗をするのか?
それこそ人間に与えられた
忘却という能力
そして
それがあるからこそ
人は集中し、
夢中になることができる
そしてその夢中になっているときに
ボルテックスという巨大な渦が生まれる
その渦はすべてを巻き込むのだけど
考えて見て欲しい
ウェルビーイング幸福な状態で
ボルテックスの渦が出来たら
幸せを巻き込むことしか出来ないのだ
幸せを感じたい安堵感に包まれたい
歓喜を味わいたい
この2つが揃うと
人は動物には感じることの出来ない
幸せを感じ味わうことができる
動物は常に
静寂で安堵の中存在そのもので君臨している
ただそこにいるだけで
美しく力強く素晴らしいみなぎる力を魅せている
それはなんの抵抗もなくウェルビーイングを感じて生きているから
だから動物は忘れない
忘れないから
喜びや感動、拡大や歓喜
ワクワクドキドキなどはなく
常に自然と共にある
人間は違う
忘れる能力がある
それゆえに
抵抗もしてしまう
動物とは違う
人間にしかない能力は
忘れてしまうこと
そして夢中になること
なんだ
私は忘れてしまう私を責めていたり
夢中になってしまうことに恐れたり
なんだ
立派な人間じゃないか
それを思い出し
身体に駆け巡るウェルビーイングを感じ
湧き上がる想いを感じるだけで
幸せの渦が動き出す
はじまりのすべては
どんな状態もどんな状況も
すべてをただ見ている
許可している
良いも悪いもない
それでいい
それでいいよ、と
なんだ
本当に
なんでもいいとは
そういうことなんだ✨
私はわたしでここに君臨する
私は自分軸をもつ
私はありのままの自分でいる
私はわたし
圧倒的な存在感は
自分がそう感じるだけなんだ✨
落ち込む私も
喜ぶ私も
すべては私
そして
はじまりのすべては
私が生まれた時に
はじまっている✨
