高野山にお参りに行った
素晴らしい自然の中
感じたのは
私の中の男性性
今までずっと私を守ってくれていた
どんな時も
こうして
あれして
こうした方がいい
コッチの方がいい
と
誰にも文句言われないように
頑張ってくれていたんだ
そうたくさん
私を彼(私の中の男性性)のやり方で
守ってくれていた
私はわたしの感じるように
感じたことをなるべくわかりたくて
わかってあげたくてずっと見てきた
人形の目線(女性性)
だけどどうにも
苦しくなったり
悲しさが込み上げてきたり
わかって欲しい
認めて欲しい
もっと愛して欲しいって気持ちがあった
それから3つの視点の意味が
やっと自分の中でわかってきたから
当てはめてみた
この認めて欲しいって
人形操る側の目線だった
そう思考、私の男性性
むしろ男性性の嘆きだった気がした
私たしかにあまり感謝してなかったんよね💦
私の身体をあまり気遣うわけでもない
いや、気遣ってくれてるんだけど
扱い店が雑😱💦
今までもたくさん無理させてきた
もうしんどいって感じているのに
まだいける
他の人に迷惑かけるから
とか
私はいつも寄り添って欲しいって思っていた
ただ側で笑い合う
ただそこでご機嫌に
ただ手を繋いで
仲良くいたい
穏やかな日向ぼっこみたいな
柔らかくて優しい感覚
なのに人形操る人は
私を振り回して
他人優先
相談もなしに
ほらこれ好きだろ?!食べな!
ほらこれ欲しいんだろ?!ほら!
言ってたよな!
ってすごいたくさんしてくれるけど的外れ
おっちょこちょいだから肝心のところ抜けてるし
だからずっとそんな風に
感謝もしてなかったかもしれない😱💦
それに荒神社に行って
気付かされた
以下私の解釈入ってます(笑)
神様も頑張っている
色々な邪悪な目に見えないモノから私達を守っているのに
御神体がないと崇められないのは嫌だから
ちゃんと祀って欲しいって
そしたら弘法大師さんが御神体を板に書き移し神社を作ってくれた✨
それからみんなお参りに来るようになったとか
結局この神社によって私の中にわたしという御神体が出来たんだよね✨
私という人形を操る人がいる
肉体があり魂がある
感じる女性性と思考して行動する男性性
どちらか片方だけ強いとバランスが悪くなる
そしてそのふたつを見守る太陽のような愛である
魂の源ソース
この3つの視点に気づいているだけで
動きが変わってくる
私の感じることは何か?感じるチカラ
私が動くのはなにか?考える能力
私は何があっても大丈夫なんだという安心感
三毒
Wikipedia
三毒(さんどく)とは、仏教において克服すべきものとされる最も根本的な三つの煩悩、すなわち貪・瞋・癡(とん・じん・ち)を指し、煩悩を毒に例えたものである。
これって
三毒と言われる鍵になるんじゃないか?と思ったらワクワクしてきた✨
人形の目線だけだと
怒りが出る
人形操る側だけだと
目の前のモノが欲しくなる
太陽が無いと思っていると
私の存在を否定してしまう
なんか
すべてが私で
どれかひとつでも欠けたら私ではない
どんな私もわたしなんだ
と
改めて気付かされた






