おばあちゃんの命日
急にお父さんから連絡が来て
病院に
駆けつけたら
もう息を引き取った後だった
やっぱりショック
亡くなったことについてのショックはある意味準備していた
おばあちゃんは96歳で
もう危篤も何度も繰り返していたから
準備はしていた
だけどなんでこんなショックだったのかと思ったら
その
ひとつに
その日は
私の産んだ娘の誕生日だったのだ...
娘におばあちゃんが亡くなったことを伝えるのが
今日だよ(あなたの誕生日)って言うの
なんかなんとなく嫌だった
それは
亡くなった日と誕生日
悪いことと良いことみたいな気がして
真逆な感じがしていたから
本当はそんなことないのに
勝手な概念だと後で気付かされた
それは
帰ってから
ダーリンに
よっぽどおばあちゃんは
覚えていてほしかったんじゃないか?
だから娘の誕生日に逝ったのかもな?
よくあるよ
そう言う記念日とか誰かの誕生日とかに亡くなる人
多いと思う
と言われて
涙が込み上げてきて
泣いた
おばあちゃんのこと忘れたりしない
でも私をとても愛してくれて可愛がってくれた
その私の娘の誕生日に亡くなって
おばあちゃんは守ってくれてるんだな
と思った
そう思っておく
だから私は離婚して
子供達と離れていても
繋がっていることを
教えてくれてる気もした
そう思っておく(笑)
そして
感じたのは
私はおばあちゃんと一緒に過ごしたことは
私の中にちゃんとある
おばあちゃんが居なくなっても
おばあちゃんと一緒にいた時の
感覚は私の中にあるから
それを持っていたら
ずっと幸せなんだと
気づいた
わぁ✨
と気持ちが暖かくなった
すごい
この在るの感覚って
すごい✨
ずっと幸せ
在るから✨
わぁ
すごいな✨...
となると全部在るに変わっていく
無いと思っていたモノとか
無くなると思っていたモノ全部が
あったんだ
とわかる
わかってはいたけど
改めて
実感した
在るの世界に
幸せしかないんだな
と感じた
おばあちゃんの死は
大きなモノを私に与えてくれている
という話
