訃報が続きます…。
将棋棋士の加藤一二三さんが亡くなられました。一昨年から体調を崩しがちとなり入退院を繰り返している状況だったそうです…。
現役として60年以上の長きにわたり活躍されたトップ棋士であった。福岡県嘉麻市生まれで、幼稚園の頃に近所の子供が将棋を指しているのを見よう見まねで覚えたのが将棋との出会いで、その後は空白期間はあったが将棋の魅力に取り付かれ、まだ小学生の昭和26年に南口繁一門下となり関西奨励会入りしプロ棋士への入り口に入り、元々並外れた素質の上に当時日の出の勢いの升田幸三さんから可愛がられよく将棋を指した事もあって力を付けて昭和29年8月に14歳7ヶ月という当時の史上最年少記録で四段に昇格し晴れてプロ棋士となった。
その後は順位戦で必ず大勝ちして昇格するという期待に違わぬ活躍を見せ、昭和33年4月1日付で18歳3ヶ月でA級昇格で八段となった(なおA級昇格は現在も破られてない最年少記録である)、そしてこの活躍振りから「神武以来の天才」と呼ばれる事になった。
そして昭和35年の第14期順位戦ではA級トップの成績を収め20歳3ヶ月の若さで名人戦挑戦権を得た(なおこれも現在も破られてない最年少記録である)、そして名人の大山康晴さんと対決したが敗れてしまった。そしてここからの1960年代は大山さんの全盛期でありタイトルの挑戦権を得てもなかなか大山さんの牙城を崩す事が出来なかったが、昭和43年度の十段戦の挑戦権を得て十段保持の大山さんと対決して破り初タイトルとなる十段を獲得した。
そして1970年代に中原誠さんが第一人者に台頭するとタイトル戦は中原さんとの対決が多くなったがこちらもその牙城をなかなか崩す事が出来なかったが(なおこの時期の昭和48年に九段に昇格)、昭和51年度の棋王戦で大内延介さんから棋王のタイトルを奪取すると翌昭和52年度に中原さんの挑戦を退け棋王のタイトルを防衛。そして更に翌昭和53年度の王将戦の挑戦権を獲得し王将の中原さんと対決したのだが、加藤さんの3勝1敗で迎えた第5局で指し手が見付からず悩んでいた中で中原さんが席を外した時に中原さんの側から盤面を見て指し手を編み出して勝利して王将のタイトルを獲得し二冠を達成した。なおこれを機に時に相手の側から盤面を見る事を折を見て行うようになり、これは大分後年に「ひふみんアイ」と呼ばれるようになった。
その後昭和55年度に十段戦で中原さんを破り再び十段を獲得し、翌昭和56年度に米長邦雄さんの挑戦を退けタイトルを防衛。そして昭和57年度に名人戦の挑戦権を得て名人の中原さんの勝利し念願の名人を獲得、これにより再び二冠を達成した。
そして昭和59年度の王位戦で高橋道雄さんから王位のタイトルを奪取するも、翌昭和60年度にその高橋さんに王位を奪還されると以降はタイトル戦の登場する事は無くなったが長きにわたり活動し、平成元年には史上二人目の通算1000勝を達成・(途中何度かB級1組に落ちたが)62歳の平成14年度までA級に在籍・平成19年には史上初の1000敗を達成(これは逆に長くやり続けた証の名誉ある記録である)を打ち立てたが、ピークが過ぎた事もあり順位戦のランクもどんどん下降していった。
そんな最中の平成24年にトークバラエティー番組『アウト×デラックス』で「クイズを出したがる棋士」として出演したところそのキャラクターが大いにウケて、以降は「アウト軍団」の一員として番組に常時出演し「ひふみん」の愛称で親しまれ大いに活躍するようになり、それ以外のバラエティー番組にも出演するようになりタレントとしても大いに活躍するようになった。
そして平成28年12月の第30期竜王戦6組初戦で加藤さんの最年少プロ棋士の記録を塗り替えた藤井聡太さんのデビュー戦の対戦相手となり、敗れはしたものの注目の中学生棋士と既にバラエティー番組で大活躍のレジェンド棋士の対決は大いに話題となった。
そして平成29年に入ると最下位クラスのC級2組での平成28年度の順位戦の成績が芳しくなく降級点が3つ付いてしまいC級2組からの降級が決定した事により規定により引退する事となり、6月20日の第30期竜王戦6組昇級者決定戦の対局で敗れた事で全ての対局を終えた事で現役を引退、77歳5ヶ月での引退は史上最年長となった。
基本私は将棋はそんなに詳しくはない人間ではあるが、いわゆる『アウト×デラックス』出演以前から名前は存じておりました。トップ棋士という事で名前を知ったのだが「一二三」という珍しい名前という事もあって印象には残っておりましたが、まさかその後『アウト×デラックス』であれだけの大活躍をする事になるとは思いもしなかった、あの番組はちょくちょく見ていただけに番組での活躍振りは目にしておりました。それもあってその後の前述の藤井聡太さんとの対局や最後の対局は既に人気者となった事もあってマスコミに大きく取り上げられたのだが、将棋棋士の引退でここまで大きく取り上げられたのはこの方だけじゃないかな?
現役引退後は相変わらずのバラエティー番組出演でタレント活動が旺盛な一方で、将棋評の執筆やイベント出演などでサイドから将棋の普及に務めた。そして長年の功績から令和4年に文化功労者となった。
考えてみると自分としては(他の人もそうだと思いますが)この方のバラエティーでの活躍が完全に「つい最近」の感覚だったので時の流れの速さを残酷に感じる次第であります…。今頃はあの世で数多の名棋士達や先に逝ってしまった同じアウト軍団の遠野なぎこさんと再会してるだろうな…、でも正直寂しいな…。
合掌