たしは4人兄弟で

兄弟がいてよかったと思うから

 

一人っ子の息子に

兄弟がいたらよかったのにごめんね、

と思っていたり、

 

母親が専業主婦だったので

仕事に行って家にいない母親で

ごめんね、

 

と思っていたり

 

田舎に住んで自然が豊かな

ところで育っていたから

都心部に住んでいて

ごめんね、

 

と、とにかくいちいち

「ごめんね」と思うことが

とても多かったです。

 

 

「罪悪感」というものが

人間関係に必要なものだと思っていたし、

 

人と比べて落ち込むことが

正しいことだと思っていたからです。

 

 

人と戦っていて、

人と比べて負けることが

「大事だ、正しいこと」と

思っていたのです。

 

わたしにとって

「ごめんなさい」は

 

「愛しています」とか

「あなたが大切です」と

 

という意味だったのです。

 

 

それを「愛」だと伝えられても

うれしくないし

まぁ、迷惑ですよね。

 

 

勝手に誰かと戦って、

勝手に誰かに負けている年上の女性人に

 

いつも「ごめんなさい」と思われている。

 

 

息子は、兄弟がいたこともないし、

家に一人でいることも楽しんでいたり、

今住んでいるところを気に入っているのに、

 

勝手に、ディスカウントされて、

勝手に、卑下されて、

 

だからといって

与えてもらえるでもなくて

 

謝ってくるエネルギーで

なんとなく、今が、

「だめっぽい」ことだけ

伝わってくる。

 

 

ただ、落ち込んでどんよりして

 

でも「自分はよかったんだ」と

優越感を感じている女性と

 

一つ屋根の下に暮らすことにしてしまって

とっても迷惑をかけてしまいました。

 

 

息子よ、こっちのことこそ

ごめんなさい。

 

問題なのは、

兄弟でもなく、

働く母親でもなく、

都心部に住んでいることでもなく

わたしの「心」「考え方」です。

 

 

そんな問題だらけのわたしは

兄弟がいたからこそ

歪んだこと、

母親が家にいたからこそ

育めなかったこと、

田舎に住んでいたから

遅れていたことなど

 

自分にはみえていなかったことを

受け入れたことなどで

戦いを終えることになりました。

 

 

「ごめんなさい」以外でつながる

人間関係を信じることで

問題と向き合えるようになりました。

 

 

わたしは、ずっと

戦ってばかりの人で

とってもしんどかったです。

 

与えられた環境の

よしあしを受け入れられなくて

ゆがんでいた人で

とても困っていました。

 

 

他人との戦いをやめても

生きていける。

 

そう知られたことは

しあわせなことで

 

あたり前のような

懐かしさがあります。

 

 

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