人になって、

自分が「発達障がい」だと知ると

 

「絶望」するタイプ、と

「安心」するタイプ、とに分かれるそうです。

 

 

わたしは、最初こそ絶望するものの

すぐ「安心、安心、安心」するタイプです。

 

自分のことを知られるので

 

占星術や数秘、算命学の鑑定と

同じような感じで

 

「わたしって、こういう人だったのか」

「やっぱり、わたしってこうなんだ」と

知られることがうれしい、

知られて安心、という気もちだけ。

 

 

もちろん、思いもよらない

ショックなこともあるけれど、

でも自分を知られることは喜びと安心です。

 

 

わたしが自分のことを自閉症としては知らなくて

「自閉症スペクトラム症」の本を読んだ時は、

うれしくてうれしくて、

 

その場で貪るように

取っかえ引っかえ手にとって、

安心してずっと泣いていました。

 

3時間くらいいて落ちついて、

数冊買って、

やっとその場を離れられました。

 

 

わたしは「こんな自分は生きていけない」と

幼少期に隠して、見捨てて、

見ごろしにした自分だったから

 

自分に会えて、本当にうれしかったです。

 

 

受け入れることができなくて

ずっと隠してきたけれど

ずっと大好きだった自分です。

 

 

社会や決められた場所では

生きていけないけれど、

 

社会や決められた場所で

生きていたわたしは

 

しんでいたし

わたしではなかったから。

 

 

幼少期に

「障がい者」という肩書きがあると

「家族の恥さらし」だと思って

「こんなわたしでごめんなさい」と

思っていたけれど、

 

わたしに思わせていた両親や祖母に

問題があるわけで、

わたしは何もわるくなかったです。

 

親になってみて、

ほんとうに、

子どもには何も問題がない

ことを痛感します。

 

子どもには

何も、問題がないですね。

 

幼少期は、家族に合わせて

自分のことを「家族の恥」だと

思っていたけれど

 

今は、自分が何を「恥ずかしい」と

感じるのか。

 

何を恥ずかしいと感じる自分なのか、

自分を感じて

自分で選んで

自分で決めたら

なんでもないということが

わかりました。

 

誰かにとって

「恥」かどうかは

どうでもよくて

 

わたしの「恥」に対する

感じ方を基に生きていくんです。

 

 

他人に合わせていたから、

他人に媚びていたから、

自分よりも他人に価値があると

思っていたから

絶望しただけで、

 

自分の中に全てありました。

 

 

自分の中にあるもので

自分らしく生きていくこと。

 

それは、自分が「障がい者」だと

受け入れたことで

決めることができたことです。

 

きっかけは、

自分でつくるものだと

実感しています。

 

 

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